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「そうあれかし」と祈って眠れば…。

お願いだから静かに眠らせて

あぁまた夜が滑らかに馳せて、雑に朝陽を呼び込む…。頼むから悪夢は寝てる間に済ませてくれよな…。僕はあんまり午前中が好きじゃなくってもうずっと夜で構わないと思うほど陽の光に弱い。と浸って嘆いてはみるものの陽当たりも最悪なこの狭い部屋とは無縁な嘆きだし、此処が自身の投影である事すら別に今更悲しいとも思わない。この家から出なければ孤独と安全は保障される。そういった陰と陽がコンフュージョンする街、それが東京。

最近良い事が沢山起きて、所謂自己肯定感は上がった。それもかなり大きく向上した。だけども何故だか心は永遠に満たされる事はなくって。憎めしいのは欲深いオレの心もなんだけどそれと同じくらいちゃんとムカつくこともあって、多分一生恨むと思うしそんなことくだらねーからやめとけって自分自身を諭す事も繰り返すと思う。だけどそれすら辞めてしまったらオレは“ヒトの皮をかぶったサル”に成ってしまう。そんなの本当に終わりだろ…喰ってクソして寝る…終わってる。オエー

obsession

ちょうど2ヶ月くらい前から、あるオンラインゲームを熱心にやっていてそうこうしてる内にゲームの中で仲良くしてくれる友達が出来て、ほぼ毎日一緒にプレイするようになった。オレはその人のことをアニメ『.hack//SIGN』に出てくる“昴”(すばる)ってキャラクターに重ねてて、昴は本当に優しい心を持っていてでもどこか自分と同じ危うさを持ってるからか主人公は心を開くようになるんだよね。オレはオンラインゲームの中でツカサって名前を使っているんだけど、現実の名前から取ったのも勿論あるんだけど、その主人公の“司”(つかさ)からあやかったんだよね。それはアニメの司くんがとっても羨ましかったんだと今は思う。作中で司くんはオンラインゲームからログアウトできなくなっちゃって、孤独な悲劇のヒロインで、自分は特別だってお高くとまって、他人に横柄な態度を取りつつも現実の悲惨さから「放っておけない」と周りの大人が彼を助けようと必死になってて。オレは正直「いいな〜良いひとがそばにいて」とか「こんなに恵まれてる人間居ね〜よ」とかヒネた見方をしてたんだけど、今にしてみれば自分も意外と周りに良い人は居てくれて、それにちゃんと気付けるほど自分の心が豊かじゃなかった。今はそれを感じられるだけの心を取り戻せたと思う。だけどそれと同時に人付き合いの難しさもちゃんと解るようになって、心は目に見えないけどやっぱりこの胸に確かにあって、それが人に配れば配るほど失くなってしまう事に気付いてから、夜な夜な「社会性がオレの心を分散させる〜」とか訳わかんないこと言って体が足りないことに苦悩してた。だけど、それについては沢山の優しい人達がオレの心をするりとほどいてくれた。
オンラインゲームで出会ったオレにとっての“昴”もきちんと現実の話を聞いてくれたし、電脳体だからと蔑ろにせず自分のSOSを受け止めてくれた。結局のところ自分を縛るのは自分であって、他人に「自由でいてほしい」と願うのには自分自身がそうなれず苦しんでいるからであって、同じ苦しみを大切に思う人に味わって欲しくないからだ。

『.hack//SIGN ORIGINAL SOUND&SONG TRACK2』カバーより。司(上)と昴(下)


オレにとっての現実のもう一人の“昴”は、代々木上原の洒落たバーで上手く話せないオレを静かにうんうんと宥めて聞いてくれて、オレはただただポロポロ…いやボロボロ泣いた。周りの目が気になったけどどうしたって無理だった。でもそれくらいいっぱいいっぱいで、この暗い自分の部屋を出て他人と関わることに真剣になればなるほど他人の刺すような冷たさだったり、渇いた無関心さに気付いてしまって自分みたいな精神弱者のクソ脆い心はマジで秒殺、瞬溶け。砕けた心は鋭く尖ってきっと受け止めてくれた“現実の昴”の心も痛めてしまったかもしれない…と思うととても有難く、そうした柔らかい心を持つ彼女はとても貴重な存在だと思う。オレはこの弱い心が悪いとまでは思わない。(良くは思ってない)けれどもこの脆い心が砕けて他人に刺さってしまわないように柔らかく包むことはしなくちゃあいけないんだよ。それが責任だから。
沢山泣いた後“世界一具のないスープ”を食べたんだけどめっちゃ美味しかった。それを二人で笑った事もオレは一生忘れないと思う。

フレブ・ザ・フレブ クロフ・ザ・クロフ

「そうあれかし」とは所謂“アーメン”のことで願ったり祈ったりする言葉だ。外国から伝わったアーメンってお祈りの言葉を「そうであってくれ」と表現した最初の日本人を心から尊敬する。オレはそういう繊細な言葉の表現や、古めかしい言い回しだったりが大大大大好きで、それはオレにとってコミュニケーションを大事にするってことの第一歩だと思ってる。自分だけの言葉はこの世に存在しないけど、自分だけの言い回しや表現は存在するって思っていて、大切な人と会話をする時に少しでもそういう小さな自分の心を、相手の脳に刺青彫れるかって策謀しては成功したり失敗したりを繰り返してる。

幼馴染とゆっくりと仲が悪くなってしまって、オレはずっとどうしたもんかと悩んでいた、それはちょうど『サブカルと心中する覚悟はいいか…?』を書いた後くらいで、自分が大きく変わってしまった事と、幼馴染の彼が変わってしまった事で溝がどんどんと広がっていった様に感じる。上述した通り人との関わり方を今一度考え直さなければいけないなと思っていた事もあり、これまで10年以上積み重ねてきた関係を崩さなくてはいけないのかもしれないと考えるのもすごく怖かった。けれどオレは彼との関係がここで終わってしまったとしても、自分の言葉できちんと話したかった。それは彼にしか理解できないことや、共有できないことがあったからだしそれ以上に二人で夜中に意味もなくGEOに行ったことや、サイゼリアでダラダラ過ごしたあの時間がどうしても大切な思い出に変わりなかったからだ。そのことを彼に「楽しかったよな」って言おうとしたら泣けてきちゃって言葉に詰まったその瞬間「楽しかったよな」って彼の口から言ってくれてオレは本当に安心した。ケンカの原因やムカつく理由とかそんなこと彼の一側面でしかなくて、オレはそれ以外に沢山いいところを知っている。けれどそう言った“くだらない思い出”を本当にくだらない思い出にせずに、オレと同じように大切に覚えていてくれたそれが本当に嬉しかった。あぁだからオレはコイツと友達でいたいんだなって理解できた。
「そうであってくれ…」と祈ることは決して人任せ神任せではなくて、少しでもそうなるように自分の出来うる限りで動く事に意味があると思っていて。何より一番無責任なのは何かと言い訳をして祈ることすらせず、ただ突っ立って何もしないことだとオレは思っている。

『HELLSING』 二巻 巻末短編作品『CROSS FIRE』より ハインケル・ウーフー

そーゆーのをナメてるって言うんだよ

オレは別にクリスチャンでも仏教徒でも何でもないただのパンピーだけど別に宗教を軽んじてるわけでもなくて、クリスマスの雰囲気も好きだしケーキ食うし、正月は神社行って雑煮も作って食うし。むしろ眠る前には大事な人達のために祈ったり願ったりは日常的にやってる。死ぬ時とおんなじでさ、いつも胸の前で指を組んでお祈りの姿で寝てる。まぁそれは色んなサブカルがオレという個性や精神を創り上げた事にあると思うんだけど、オレは自分以外の存在(生命の有る無しに関わらず)に心や魂と呼ばれる何か見えないモノが宿っていると信じていて、それはちょっとスピっててキモいかもだけど単純にそうであった方が良いな〜って程度に信じてる。宇宙人とか幽霊とか絶対いる!ってほどじゃないけどいたら面白いな〜みたいな感覚に近いかも?まぁ少なくともオレのこの胸(脳?)の中には確かに心があるわけで、うるさいくらいに感情を廻らせてる。
そういうものがそれぞれにあって、それぞれを形作る中核に有るとするならば、そのブラックボックスに汚れた手で不用意に触れて「お前はこうだ」とか「どうせああだ」とか言って決め付けてしまうのはあまりに無礼では無いだろうか?
あーやばい…怒りが込み上げてきた…でもオレはこういう感情をちゃんと残しておきたい。人に対して怒ったりすることすら出来ないほど全てに無気力だったあの忌々しい鬱の苦しさに比べたら100000000倍マシだ。ヒトの形をした糞袋にオレはもう戻りたくないよ。だからちゃんと揺れる感情は大切にしたい。
手前のチャチな物差しではかれるなんて思うその心こそが浅はかで卑しいと知るべきだ。二次元だろうが三次元だろうがキャラクターだろうが動物だろうが電子だろうが現実だろうが何だろうがかんだろうが、現代のオレ達が生きるこの世界を創り成す要素の一つだろ。約138億光年の想像もつかないくらい広い宇宙の、たった一粒の地球の同じ細胞の一部だろう。生命を繋ぐ仲間でいたいのならそういった己の外側に敬意を払わなくちゃあいけない。それが出来ないのであれば、他人からの慈悲なんぞ期待するなよな。もう一度言う。そーゆーのをナメてるって言うんだよ。

吉川れーじ

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