12月のおついたち。副反応ってこんなしんどいの!?
ご無沙汰しております。不破です。
遂に月一投稿になってしまっています、なんと怠惰なことでしょう。
しかし、それくらいの緩さでいいのです。あくまで趣味なのですから。
さて、早いもので今年も残すところ1ヶ月となりました。今年の振り返りなんてしたところで誰も興味ないと思うんでやめときます。
今更な気もしますが、ようやくワクチンの2回目接種を終えました。
予め言っておきますが、私は特段ワクチン反対派というわけではありません。
なかなか副反応がえげつなかったですね。1回目のときは注射した左腕の筋肉痛程度だったので、今回もその程度だと思っていたのですが…
ワクチンを接種したのが午後で、その日はなんともなかったのです。
しかし夜中、目が覚めると、身体中のありとあらゆる筋肉が熱を持っているような感覚に襲われました。それでいて身体は寒さを感じて震えているのです。とりあえずエアコンをつけてなんとか眠りにつきました。
朝目覚めると、激しい頭痛に苛まれました。体温は38.5。平熱が36度あるかないかの私にとってはかなり高い数字です。ただその頃にはもう夜中の感覚はなかったので、そこまで熱があったことに驚きました。あの夜中の一瞬は40度近い熱があったのかもしれません。
とりあえずその日は一日中寝ていましたが、なかなか頭痛は収まりませんでした。
翌日には熱も下がり、多少発熱後のだるさ、しんどさというものは残りつつもおおむね健康に過ごしております。
さて、私個人はワクチンでワーキャー騒いでいたわけですが、世界ではオミクロン株が見つかったり、再び入国規制が厳しくなっています。感染が拡大するドイツではワクチン接種義務化みたいな話になっているみたいです。
ワクチン接種義務化、というのは非常に危険な風潮ですね。
先ほども述べたように、私はワクチン反対派というわけではありません。
ただ、健康な私でもかなり苦しんだので、仮にご年配の方に同じ症状が起きたら命の危険があるのではないか、と思ったのです。
私は医学の知識は全くなので免疫の詳しい話はわからないのですが、COVID-19のワクチンはあまりにも多くの人に対して副反応が重すぎて、やはり急造品といった印象が拭えません。もちろん効果も実証されているわけですから、接種するに越したことはないのですが、まだまだ未完成であるものを義務化するという議論が巻き起こってしまうこと自体が危険だなと思います。
ワクチンの接種が始まったころ、当時ワクチンを接種した直後に亡くなった方のニュースについて友人と話をしました。友人はワクチンの接種については選択の自由があるべきだ、という意見は私と一致していましたが、亡くなった方に対してワクチンとの因果関係にあると結びつけるのは難しいと述べていました。
確かに、ワクチンと死亡原因の因果関係を科学的に証明することは難しいのかもしれません。しかし、前日まで普通に生活できていた人がワクチン接種後に亡くなったとなれば、まずワクチンとの因果関係を疑ってかかるべきなのではないかとも考えます。
そして、国が関わる事業においては官僚は大抵リスクを過小評価する傾向にある、という事例があります。
先日大学のゼミ活動で水俣病について詳しい方にお話を伺いました。
水俣病が発生していた当時には、猫に水俣病の症状が出ることが実験で確かめられていて尚、水銀が工場から垂れ流され続けたそうです。
また、水俣病の被害を被っていた漁民たちが蜂起し、漁民暴動と呼ばれる暴動を起こしましたが、検察、警察は水俣病に関する資料を押収ようなことをせず、一方的に漁民が加害者として裁かれました。
水俣病の原因を作ったチッソという会社は水俣全体の雇用を創造していたといっても過言ではなく、国との癒着もあったわけです。
さて、ワクチンの話に戻りますが、あくまでワクチンは自己判断で摂取するものであるべきです。副反応は人によって様々ですが、安全性が極めて高い、といったようなものではないように見受けられます。ただ、今後の経済活動においても、ワクチンが必要だということもまた紛れもない事実であります。
ワクチン接種済の国民が過半数を超えた今、私たちが気を付けなければならないのは、ワクチンの接種を強要するような同調圧力を生み出さないことだと考えます。個人的にはワクチンパスポートなるものはいかがなものかと思います。ワクチンパスポートというもの自体が、国がワクチンを接種した人を優遇する、そういった政策のように思えてなりません。
長くなったので今日はここまでにしようと思います。
最後に重ねて申し上げますが、私が述べたいのはワクチンを打つべきだ、打たないべきだ、といった極論ではないので、どうかご了承ください。