自分もマイノリティな時がある話
マイノリティ、なんて言葉をよく目にするようになった。性自認や人種、障がいの有無など、とりあえず世間においての少数者を指すらしい(間違っていたらごめん)。
私が義務教育の時はそんなに普及していた言葉ではなかったけれども、「少数者は可哀想!」「少数者にも配慮した環境づくりを」「少数者を理解してあげなくちゃ」といったニュアンスの刷り込みはあったような気がする。
なんなら私もそう思っていた。
わたしたちとはちがうのだから。と。
前提として、私には障害者手帳を貰えないレベルの聴覚障害がある(常にモノラル状態。要するに聴こえはするけど一般より聴こえにくいってこと)。高校生までは自分の障がいについてほとんど話してこなかった。別にちょっと聴こえにくいくらいで、そこまで不便もなかったからだ。だから友人でもそのことを知らない人の方が多い。
私が大学に入り、アルバイトをはじめた時の事だった。
聴こえにくいことを、それまで積極的に周りに話してこなかったが、仕事となると話は変わる。身体的な事情はなるべく多くの人に知って貰わなければと思った。「聴こえにくいのでその仕事はできません」というのは採用段階で伝えておかなければならないだろう。ならば最初から聴こえにくい自分でもできそうなバイトを探していこう。
サイトでいざバイトを探してみるとインカムの着用が必須だとか、騒がしいところでの仕事なんかが意外にあるんだなこれが。
ゲームセンターの仕事なんてやってみたかったけれど、騒がしいところで客の話なんか聴けやしないと思って諦めた。
そこで気づいた。
「あれ、私マイノリティじゃね」と。
いやいやそんなことはない。だって、今までそんなに不便を感じていなかった。
「でも、選べる仕事少なくない?」
聴こえにくくてもなんとかなりそうな職場を選ぶ、という多数派には存在しない過程が、私にはある。でもそれは、聴こえやすい位置に移動したりと、今まで無意識に行っていたこととなんら変わりはなかった。
しかし、それは求人サイトのヒット数で明確に数値化されていた。
人付き合いが苦手だから接客はやめておこう、だとか。ネイル派手髪OKがいい、とか。私にはそういう感覚と同じなのだけれど。
自分にとってそれは当たり前のことだから。人より少し不便(?)なだけで、別に自分のことを可哀想とも周りに配慮してくれとも思わなかった。いや、思って欲しくなかった。
自分がそう思いたくなかった。
マイノリティは可哀想で、守ってあげなくちゃいけない存在だと、私の中の「世間」は勝手にそう言っていたから。
人に話してこなかったのも、根底にそんな気持ちがあったのかもしれない。
でも実際の自分は気が付くまで全然可哀想じゃなかったし、周りが意識して守ってあげなくてもそれなりにやってこれた。
本当に困ったときは自分から伝えるし、わかってくれる人が少しだけいればなんとかなる事が多かった(私の場合はね)。
過去の私よ、大多数に入っていないからって、絶対に可哀想だとは限らないんだな。そんな思い込みは捨てたほうがいいぞ。だって私がそうだから。
だからと言って、自分が我慢しすぎるのもあまり感心しないなとも思った。
この前会社の人にちょっと聴こえにくいことを伝えてみたら
「なんだ〜早く言ってくれれば良かったのに〜」と割とあっさりしていた。ランチの席や立ち位置をちょっと意識してみることってそこまで負担じゃないらしい。あくまでもその人は、だけどね。
また、ある友人に打ち明けてみたらその子も同じ障がいだったことがある。一定の割合でいるらしい。低いけど。
今までよりちょっと打ち明けてみる人を増やしただけなのだけれども。少し、いや、かなり生活しやすくなった。
余程のことを頼まない限りはみんな快く動いてくれる。確かに似たような事を頼まれたら、自分も気にせず動くよね。「これを頼むの迷惑かも」ということすら思い込んでいたみたいだ。
世間っていうのは、色んな人がいるから、自分と違うの人がいるのは当たり前なんだけど。「常識」とか「普通」っていう感覚があるから、自分と著しく違う人(ここでは少数者)に対してどうしても違和感があったり、「なにか特別なことをしてあげなくちゃ」という気持ちになるのはわかる。
でもここで「これ(病気や障がい、性的少数者とかね)について詳しく勉強して配慮しなければ」なんて堅苦しく考えないで欲しいな、と思う。
やってくれるに越したことはないけど。
それらに不快感や嫌悪感を抱く人だって存在するから。無理に理解してくれ、受け入れてくれ、とは言えないし言わない。
本当に困ったら声は挙げるけれど、多数の権利を迫害してまで少数の権利を勝ち取ろうとしている人はほとんどいないだろうし。(いないといいな)
ただ、こういう人がいるんだな。ふーん。くらいに留めてくれるだけでも助かる人は結構いるんじゃないかと思う。
細かく分類したら誰しもが、自分がマジョリティの時だってマイノリティの時だってあるだろう。
自分はマジョリティだと思っていても、この瞬間、何かのきっかけでマイノリティになるかもしれない。また逆も然り。
それは単なる好みで決められる時もあれば、どう足掻いても自分では変えられない事もある。
だから互いに助け合えたら良いよねっていうことが結論なんだけれど。
別に大金とか労力なんてかけなくても、ほんのちょっとの意識でみんなハッピーに近づけるような気がする。
こんな長い文を読んで下さっている方々へ、
日常の「当たり前」や周りの人に対して、そして自分自身へ。思い込んでいる事ありませんか。
一瞬でもいいので、立ち止まってみると少し何かが軽くなるかもしれませんよ。
今日よりみんなの気分が少しでも軽くなりますように。