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日本の美しい国土を永遠に~香取神宮を歩く

香取神宮近くの田野。この美しい国土こそが私たちの故郷。

 太陽が稲穂を黄緑に輝かせているこの秋、私は千葉県香取市にある香取神宮に参拝してきました。

 JR成田線の佐原駅(「さわら」と読みます)で下車し、そこから50分かけて徒歩で向かいます。

 私は歩くことが好きです。歩くという運動行為そのものも好きなのですが、歩かなければ出会えないその土地ならではの魅力を発見することが出来るというのが、私が歩くことが好きな最大の理由です。
 今回はさらに、その楽しさをわかってくれる有難い友人と共に歩きました。

 佐原にも、この土地ならではの魅力があります。
 佐原駅から10分ほど歩くと、そこには江戸情緒あふれる古い町並みが残されています。
 町には、かつて銚子と江戸を結んだ水運路が現存しており、商都として発展した江戸時代の面影を偲ぶこともできます。

 佐原が栄えるようになったのは、それまで東京湾に注ぎこんでいた利根川の流れを、60年をかけて銚子へ移し替えるという、徳川家康の命による一大プロジェクトがあったことによります。
 この大プロジェクトを「利根川の東遷」と呼びます。
 この利根川の東遷によって、それまでは東北からの物資を載せた舟は千葉県の太平洋側をぐるっと遠回りして江戸に向かわなければならなかったところ、銚子から利根川をとおって江戸へ行くことができるようになりました。
 これはだいぶショートカットですね。 
 佐原は利根川のすぐ近くにありますので、佐原から江戸に向かって米や雑穀、薪や酒、醤油などが運び出され、江戸からは呉服や生活用品が持ち込まれるなど、下利根随一の商都として栄えるようになりました。

 そんな佐原の町を通り抜け、香取神宮までの道のりを歩いていきます。

 香取神宮に近づくと、黄金色に輝く田園が見えてきました。
 京成線に乗って成田の方に行ったことがある方はわかると思いますが、千葉県北部の土地は非常に田んぼが多く、春から夏にかけては若々しい緑の茂る姿を、そして秋には黄金色の稲穂が遥か遠くまで連なる姿を見せてくれます。
 このあたりの土地に田んぼが多い理由も、先ほども触れた「利根川の東遷」にあります。東遷した利根川の水を引くことで新田開発が進み、食糧の一大消費地である江戸の穀倉地帯へと変貌したのです。
 千葉県北部の田園風景の魅力は、日本の国土と太陽という「自然」と、利根川の東遷と稲作という「人為」が入り混じったところにあります。

 そんなふうに風景を楽しだり会話を弾ませたりしていたら、すぐに香取神宮に着いてしまいました。

香取神宮第二の鳥居「朱塗りの大鳥居」です。

 朱塗りの大鳥居から入る参道の手前には飲食店が並んでおり、私たちはお団子や紫いものコロッケ(1個250円)を食べました。
 紫いものコロッケを売っている夫婦にお話を伺うと、どうやらこの紫いもというのは周辺の農家がつくっているもので、このお店では紫いも1年分を仕入れ、そのままでは保存ができないので仕入れた時点でいも1年分の皮を手作業でむき、業務用の冷凍庫に保存しておくそうのだです(こりゃ大変)。

 衣がサクサクのコロッケを食べたら、鳥居をくぐって参道に入ります。入った瞬間から、俗界とは異なる空気とエネルギーが感じられます。

 サイエンスライターの鈴木祐さんは、その著書『最高の体調』にて、現代人が体調を崩す大きな原因が「炎症」にあるということを、さまざまな研究データを用いて示しています。
 炎症というのは簡単に言えば、身体が何らかのダメージを受けた際に生じる反応のことで、擦りむいた皮膚が赤くなってヒリヒリすることや、目の充血や鼻づまりといったものも炎症反応のひとつです。

 現代人はストレスや偏った生活習慣によって、体内に炎症が生じており、それによって体調不良が起きているのですが、その炎症を回復させるために非常に有効なのがなんと「自然に触れる」ということなのだそうです(詳しい理屈は、ぜひ『最高の体調』をお読みください。とても読みやすいですよ)。

 そのため私と友人は
「あー気持ちいい、炎症がおさまるわー」
とか言いながらこの清浄な空間を満喫しておりました。
 せっかくですので、みなさまにもこの美しい自然を見ていただきましょう(実は、スマホやパソコンのトップ画面を自然の画像にするだけでも、健康効果があるということが、いくつかの実験によって確認されています)。

参道の豊かな緑に、身体の奥から癒されていきます

 このようにして参道を歩いておりましたら、総門が見えてまいりました。本殿・拝殿も近いのでしょう。

 香取神宮という神社は、大変に格式高い神社です。
 平安時代中期に編纂された『延喜式』の「神名帳」には神社二八六一社が記載されているのですが、その中で最も社格が高い「神宮」とされているのは、伊勢神宮、鹿島神宮、そして香取神宮の三社だけです(意外にも、熱田神宮は入っていないんですね)。

 さらに、香取神宮の境内からは縄文時代の遺跡も見つかっており、まさにここは「日本列島有数の聖地」なのです(『縄文神社 首都圏編』武藤郁子 飛鳥新社 2021年)。

総門。ちょうど神主さんが通られました。

 総門をくぐり、さらに「楼門」(こちらは昭和58年に重要文化財に指定されているものなのですが、現在は工事中のため幕で覆われていました)をとおって拝殿・本殿へと向かいます。

 拝殿は黒を基調としていて、屋根の下の装飾には赤や青、黄色などを使った色鮮やかな文様が施されています。どことなく仏教的な雰囲気も感じました。

拝殿。七五三のお参りに来られたご家族も多くいらっしゃいました。

 香取神宮には、「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」というお名前の神さまがいらっしゃいます。
 経津主大神は『日本書紀』に登場する神さまです。天の世界を治める天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、地上世界(日本のことです)を治めるために遣わしたのが、鹿島神宮の武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)と、経津主大神でした。

 経津主大神は武甕槌大神と共に「武の神」とされています。『日本書紀』では、経津主大神と武甕槌大神が地上世界に降りた後、従わない神たちを草木・石に至るまで平定し、従わなかったのは星の神さまだけだったと伝えられていますから、それはもう「ほぼ無敵」の最強コンビです。

 加えて、経津主大神が武の神であることから、邪を打ち破る強力なパワーがあり、厄除けや憑き物祓いなど悪運を浄化するご利益があるとされています(実は私も、この香取神宮に行ってから、いいことがありました!・・・といっても、あまり「期待」をしていかない方が、むしろいいですよ)。
 その他にも、そのパワーから出世・開運招福・延命長寿、また「ふつぬし」の「ふ」が「"ふっ"と知恵が湧く」といった音とも同じ根っこを持っているため、知恵の神さまでもある、という方もいます。

境内にはとても立派な木が多数。拝殿の近くには樹齢1000余年という木も。

 歴史的には、香取神宮は東北との戦いの前線基地としても使用されていたとも考えられていますから、経津主大神は国に安寧をもたらす神として崇められていたのでしょう。

 さらに、経津主大神には伊波比主大神(いわいぬしのおおかみ)という別名もあり、なんとこの伊波比主大神は女神だともされています。
 荒々しい武神のイメージとは正反対ですが、香取神宮があるあたりの土地というのは、縄文時代にはすぐそばまで海が来ていた土地で、伊波比主大神は海を大切にする海民たちの大いなる守り神であったのではないか、という考え方も。

 香取神宮の「かとり」は「楫取(船頭)」が語源ともいわれているようですので、その言葉からはこの地で海から命を支える糧を得ていた縄文人たちの生活の様子が浮かんできます。

「要石」に向かっていく途中にあった美しい空間。炎症も回復することですし、自然豊かな写真を積極的に載せていきます。

 さて、香取神宮と言ったら「要石」ではないでしょうか。
 知らない方のために解説いたしますと、このあたりの土地の地下には、地震をおこす大鯰がいて、その大鯰が動くと大地がふわふわと動いてしまうと言われていました。そのため大鯰を抑え込むために、香取神宮と鹿島神宮に要石を置いているのです。

 また要石は地中深く埋まっているとされていて、江戸時代には水戸光圀が石の根元を掘らせたそうですが、根本を見ることはできなかったそうです。

 私は最初、要石のサイズはさぞ大きいのだろうなと想像していました。何せ、香取神宮のある千葉県の東北部から鹿島神宮のある茨城県の南東部まで、距離にして約15キロメートルほどの大鯰を押さえ込んでいるのですから。

 でも実際に見てみると、意外や意外、要石はそんなに大きくありません。地上に出ている部分の大きさだけなら、両手でも持ち上げられそうです。それくらいのサイズ感でした。
 しかも、なんだか「つるっ」としていて、可愛らしい見た目なのです。
「これが大鯰を押さえ込んでいるなんて・・・♡」
という感じで、驚きと発見を楽しみました(写真はあえて撮っていませんので、ご自分の目で観に行ってみてくださいね!)。

要石のすぐ横の立て札にくっついていたセミの抜け殻。10月までよく残っていました。この立て札には「石は"意志"に通じます」と書いてありました。ここで意志を立てるのです。

 さて、お参りもして要石も観て、香取神宮を一通り巡り終わったところで、私たちは北に向けて30分ほど歩きました。
 なぜかというと、香取神宮から北に30分ほど行った場所に「鳥居河岸(津宮浜鳥居)があるからです。

 田野や民家がのどかな風情を醸し出している道をしばらく行くと、土手の向こうに大きな鳥居が見えてまいりました。

何でもない河川敷に立っている巨大な鳥居。私は荘厳さに打たれ、畏敬の念を抱きました。

 特に変わったことのないよくある川と河川敷ですが、そこに巨大な鳥居がある様子はある種異様なものでもありました。

 こんな巨大な鳥居が、なぜに何の変哲もない河原にあるのかというと、ここは経津主大神が海路上陸した場所だとされているからです。
 神さまが海を舟で渡ってきて陸地に上がる・・・何となくジブリの『千と千尋の神隠し』の光景も思い起こされますが、おそらくこの経津主大神のエピソードも、この地に住んでいた大昔の人々が、海と密接に関わりながら生活していたことと関連しているのだと思います。

 私はこの鳥居を見て、要石のことを思い出しました。
 要石の隣には立て札があったのですが、そこに
 「石は"意志"に通じます」
と書いてありました。

 私の"意志"、それは、
 「この美しい日本の国土を守りたい。後の世の子どもたちに残したい」
というものです。

 私はこの日、ここに来るまでにたくさんの美しいものを見てきました。
 日の光を受けて輝く田野、静謐な杜の木々、清らかな川、壮大な鳥居・・・。
 これらはすべて、古の日本人が大切に大切にしてきたものです。
 そしてこれらは、すべて途方もなく美しい。

 日本神話の世界観では、この日本列島は伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)と伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)から生まれました。山も岩も風もです。
 さらに、伊邪那岐大神はその左目から太陽神である天照大御神をも生み出しました。
 つまり、日本人の世界観においては、日本の国土と太陽は兄妹なのです。

 妹である太陽が、兄である日本の国土を照らしているという結びつきの中で、人や草木や虫や鳥が生きています。

 こんなに芸術的で神々しい世界観、他にあるんでしょうか。

日本列島と太陽(=アマテラスオオミカミ)は、同じ神(イザナギ)から生まれました。つまり日本の国土と太陽は兄妹なのです・・・

 私は、この美しい国土を、お金儲けのために好き勝手に改造されたらたまらないと思います。
 もちろん農地をつくるのも人間の手による一種の「改造」であると思います。ですが、そこには人間と自然が調和した新たな「美しさ」が生まれています。
 そういうものを抜きにして、「とにかくお金が儲かればいい」というのでは、あまりに心が貧困なのではないでしょうか。

 現実的な話、神社やそれに準ずる由緒ある土地が破壊されることはまずないでしょう。
 ですが日本には、神社以外にもたくさんの美しい風景があります。

 そのような土地を守っていくために、あるいはそれらの土地が持続可能であるために、まず私たちが持つべきなのは、日本の国土と太陽、国土と太陽の結びつき、そしてその絡み合いの中で生きる私たち自身の中に「神」を見出す心です。

 その心があれば、「心の原風景」としての日本を、末永く守っていけるのではないでしょうか。

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ひふみ国師(身、心、神)
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