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氷川神社への旅。氷川神社からの旅。その先に出会う人。

まさき(以下「ま」):師匠師匠!この前大宮に営業に行ったんですけど、近くに氷川神社があるってわかったんで、ついでに行ってみたんすよ。

まほ(以下「ほ」):氷川神社は大宮駅から徒歩で15分くらいで、こんなに近いところにあるんだ~って、驚いたよね。

氷川神社の境内。2500年の歴史にようこそ。

ひふみ国師(以下「ひ」):それは殊勝な心掛けだね。それで、どうだった?

ま:いや~まず、参道がすごい長かったっすね(笑)。

ほ:参道の横にある木がとても大きくて、近くに古風な建物や竹林もあって、なんだかワクワクしました。

ひ:そっか、それはいいね。君たちはきっと、神さまから手招きされたんだ。

ま:で、鳥居の近くに創建されたときとか、いる神さまとかが書いてあったんですけど、なんと創建が2500年前っていう!!

ひ:2500年前はすごいよね。noteでフランク・ロイドさんという方が神社の創建年代を表にまとめているけど、この氷川神社はかなり古い。何と伊勢神宮や熱田神宮よりも古いんだ。

ほ:伊勢神宮よりも!?それはすごいですね!

ひ:そう。というか、このように表に並べてみると、伊勢神宮というのは意外と新しいとわかるね。

ほ:もしかしたら、大神神社は3000年くらい前かも・・・そんな想像をしてみるのもおもしろいですね。いろんな神社に行ってみたいな。

ま:みんなで行きましょう!師匠、今度は一緒に行きましょうね!

ひ:うん、ぜひ行こう!誘ってくれてありがとね。ところで、氷川神社の話は、まだ鳥居までしか差し掛かっていない(笑)。

ま:あ、そっか!そうそう、鳥居をくぐって一番最初に思ったのは、めっちゃカラスが鳴いてるっていう(笑)。

ほ:もう「カァカァカァカァ」って、すごかったよね(笑)。

ひ:そこに注目したか(笑)。まぁ、カラスも2500年の時間が生み出す何かに触れたかったんだろうね。

ほ:境内もステキだったよね。朱塗りの欄干の橋の両側に池があったり。

氷川神社、そこは小宇宙!(ま)

ま:菊の品評会?みたいなこともやってたんですよね。いやーすばらしかったっすね。

ひ:君は、菊のよさがわかるのかい?(笑)

ま:いや、全然わかんない(笑)。

ほ:全然ちゃんと見てなかったじゃない(笑)。

ま:いやーでも、拝殿があるところはすばらしい雰囲気だったのはわかりましたよ。大きい木もあって、能楽堂?っていうのかな、それもあって、何だか躍動感を感じる空間でしたね。

歴史マジすごい(ま)

ひ:ふ~む、それは素晴らしい感性と言語化力だ。氷川神社にいらっしゃる神さまは誰かな?

ま:えっと・・・

ほ:スサノオとイナダヒメとオオナムチです♪

ひ:さすがだね。では、この3人の神さまに共通することは何だろう?

ほ:はい!それは出雲に関係する神さまだということです。

ひ:うんさすが、よく勉強しているね。

ま:いやーすっごいなー!ぼくももっと勉強するっす!

ひ:そうだね。でもまさちゃんもよく勉強してるのは知ってるよ。日本の神さまの名前は、最初はちょっと覚えにくいと感じる人もいるからね。ゆっくりで大丈夫。

ま:師匠、ありざます(泣)。

ひ:君たちが感じた躍動感やワクワクも、スサノオが持っているパワフルな面なのかもしれないね。私も中学生の頃、学校からの帰り道にあるスサノオがご祭神の神社で、だいたい10人くらいで遊んでたんだけど、それはそれは盛り上がったからね(笑)。

ま:おおーそれは楽しそう!どんなことして遊んでたんですかぁ?

ひ:それはね、女子がいる前ではちょっと言えないような、楽しいことだね(笑)。

ま:師匠、やんちゃ!(笑)

ほ:別に話していいですよ(笑)。

ひ:まぁまぁ(笑)。ところで、神さまの前で手を合わせているとき、どんな気持ちがした?

こちらが拝殿です。シンプルでパワフルでした(ほ)

ま:あ、話を逸らしたな!(笑)でも、あれだけカラスが鳴いてたのに、手を合わせてるときには静けさを感じたような気がします。

ほ:どの神社でもそうなんですけど、やっぱり自分の心と体がスーッと整ったように感じました。整ったことで、心がやわらかく、広くなったような・・・。

ひ:ふたりともホントに素晴らしい感性だ。自分自身をよく観ているね。実際、神さまへの感謝の心を込めて手を合わせると、心も体も整い、いつもよりもずっと高い波動になるんだ。

ほ:どうりで・・・そっか、神社でお願いをして願いが叶うという人がいるけど、それは高い波動になるからなんですね。

ひ:そうだね。感謝や愛など、高い波動になると願いは叶いやすい。そういう波動になると、その人の願望成就を手助けする人がどこからともなく表れたり、欲しかった情報が偶然目に入ったりする。でも、神社で手を合わせれば必ず高い波動になるかと言えば、そういうわけでもないんだ。

ま:そうなんすか!?

ひ:うん、せっかく心が広くなって高い波動が出ても、自分のエゴ丸出しのお願いばっかりねだっていたら、波動が低くなってしまうからね。

ほ:なるほど。願いが叶う人と叶わない人の違いはそこにあるんですね。

ひ:そうだね。もちろん、高い波動になったからと言って、必ずしも願いが叶うわけじゃない。死んだ人でも生き返らせてしまうドラゴンボールの神龍とは違うんだ。
 ただ、私が思うに、神社に行って参拝する本当の意義は、「願いが叶いやすくなるから」ということじゃない。

なんとなく、神々しくないっすか!?(ま)

ま:おおっ!師匠、待ってました!

ほ:その本当の意義とは何ですか?

ひ:では、お教えしましょう(笑)。でもその話をする前に、まずは君たちが、日常をどんな意識で過ごしているかを聞かないといけない。

ま:日常かぁ。う、ん~・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ひ:黙っちゃったな(笑)。

ほ:私は、何でもない日常を楽しもうと心がけてます。でも、やっぱり繰り返しの仕事は「めんどくさいな」と思っちゃうこともありますし、不快な人間関係を避けようとしたり、家事もただこなすだけになったり、心ここにあらずなことが多いですね。

ま:確かに!おれはサブスクでドラマとかを観るのが好きなんですけど、心ここにあらずで観ると、結局何を観たんだかよく覚えてないっていうことがあるっすね。でも、『アガサ・オール・アロング』はおもしろかったっすよ!あれはアツかったな~!マーベル復活の兆しですね!!

ひ:確かに『アガサ』はおもしろかったね。上がったり下がったり、また上がったり、というのが世の中の常なのかもしれない。
 というわけで、話題を戻してもいいかな?(笑)

ま:あ、スンマセン。時を戻そう!・・・あれ?

ひ:普段の生活って、やることが膨大にあるから、全てのことに心を込めて取り組むことはとても難しい。
 さっきも言ってくれた「心ここにあらず」の毎日。そんな日常に心身ともに慣れてしまうと、幸福な時間が、まるで遠い世界の出来事のように他人事になってしまう。

ほ:確かに・・・悲しいけど、ほんとにそうですね。そうなっている人、世の中にとても多いと思います。

ひ:そう、幸福が他人事になっている人は、世の中にとても多い。
 でもね、その状態を改善してくれる場所が、この日本にはたくさんある。

ま:わかった!それが神社っすね!

ひ:ふふふ。うん、大正解。私の考えでは神社というのは、見失っていた自分を見つけることができる場所。
 鳥居をくぐる前は、日常の細々したことに囚われて、その中に自分自身を失っていた状態、いわば「俗界にまみれた」状態だ。
 しかし、鳥居の前で心を込めて一礼して、神域に入る。歩きながら、足の裏に玉砂利を感じる。踏みしめる音と音の間に、静寂を感じる。手水舎の澄んだ水で、手を清める。神さまの前で、心を込めてお辞儀をする。二度、手を打つ。
 これらの動作がすべて、自分自身を心の真中へと導いてくれる。そのような状態になれば、こんがらがっていた物事も自然とよく見えてくる、感謝の念も湧いてくる。そうだな・・・それを「神さまの近くにいる」状態とでも呼ぼうか。

ほ:・・・わぁ、その状態ってとっても素敵です。そう・・・手水舎で手と口を清めるとき、心の中にも清涼な水が流れているような、そんな気がします。

ま:あぁ、思い出すだけで、なんて気持ちいい。超気持ちいい。

ひ:その「気持ちよさ」はとても大切だよ。なぜなら、神さまに近づいた人間の姿というのは、快適で上機嫌で、そして幸せ。幸せなのが人間の本来の姿であり、神さまという存在の本質だからだ。

ま:幸せなのが人間の本来の姿・・・それって、サイコーじゃないっすか!!!

ひ:それはそうだ。なんでかっていうと、神さまは人間をそのような存在としてつくった・・・。

ほ:・・・師匠、心が明るくなるお話しをありがとうございます。でも、この世界には不幸もたくさんあります。それは一体何でなのでしょうか?

ひ:それはね、実は今日の話の中に、すでに答えは出ているよ。

ほ:そうか!人間というものは、日常生活のあれこれの中に、本当の自分自身を見失ってしまう。自分自身を見失ってしまうのと一緒に、幸福も見失ってしまうんですね!

ひ:すばらしい!そう、幸福というのは外から与えてもらうものではないんだ。そうではなく、まず自分の内側に幸福があり、その反映として、外側の世界も幸福になる。

ま:なるほど・・・。そう考えると、この世の中には、自分自身を見失っている人って、とっても多くないっすか?

ひ:そのとおり。私たちの周りにいるたくさんの人が、日々のあれこれの中に自分自身を見失って生きている。時間やルール、その他の外側にある規範に縛られて、自由意志がないかのように生きている・・・。そして、人間の社会は、子どもたちにそれに耐えることが意味あることだと教えるね。でもそれは、本来の人間の在りようからしたら、とっても苦しいはずだし、本質的なことではない。

ま:うっ!胸が苦しくなってきた!ぼくらはなんて重大なミスを犯してるんでしょう!マジやばい・・・。

ひ:おそらく、うつ病になったりしている人は、自分自身を見失っている状態が当たり前になっていて、もうそれしかイメージできないんだろうね。自分自身、つまり幸福を見失った人は、外の世界に幸福を探し求める。でも、自分自身がそこに居なければ、つまり自分自身が幸福でなければ、外側の世界に自分を満足させてくれるものなど見つかりはしないんだ。
 そんな人が、今の世界にはたくさんいる。とても気の毒なことだ。

ほ:それって・・・絶望です。

ひ:本当にそのとおりだ。でもね、神さまは、自分自身を取り戻すために必要なことを、人間たちに教えてくれた。
 そのひとつが、神社で心を込めてお参りをするということなんだ。
 もちろん、方法はまだまだたくさんある。
 だから、決して心配することはない。みんなは神さまに愛されてるから、大丈夫だよ。

ま:そうかぁ。神社ってすばらしいところなんだ・・・ぼく、もっと大切にするっす!

ほ:うん、私も!もっと日本のいろんなところの神社に行って、心を込めて祈りたいです。最初に古い神社のお話もしましたけど、きっとそこには、本当にたくさんの、想像できないくらいの祈りがあったと思います。だから、それを少しでも感じられたらいいな。

ひ:その思いがあれば、きっとまた、神さまからお呼びがかかるよ。呼ばれていった神社の体験は、とってもいいもんだ。
 そして、神社で本当の自分を取り戻したら、そのときの感覚を大切にして日常に戻るといい。そうすると、日常の中にいても、「本当の自分」を維持できる時間が出てくる。そしてまた神社に行く。日常に戻る。それを繰り返すことで、いつでも自分自身で居られるようになってくるんだ。
 そのようになったときに、人は、神さまが人間をつくった意味を思い出すだろう。
 ぼくらは「幸福」そのものだった!って。これを拡げるために、この世界に来たんだ!ってね。

ま:うわーなるほど!よっしゃー!!何か気合が入ってきましたよ!!

ほ:なんか、これからまだまだ成長していけそうな気がするね!

水盆、それとも水鏡?神秘的な白い光とすべてを映す水に、心奪われました(ほ)

ひ:伸びしろは無限大だよ。
 さて、今日は君たちが営業ついでに氷川神社に行ったという話から、思いがけずこんなところまで来てしまったけど、ずいぶん旅して、楽しかった(笑)。

ほ:私たちも楽しかったです!ありがとうございました。

ま:師匠、またお話ししましょうね!

ひ:もちろん。

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ひふみ国師(身、心、神)
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