Resistance7
退院してからも吐き気は続いていて、食事はあまりとることが出来なかった。痩せていくのがこわかった。食べたいのに食べれないストレスが限界だった。家に帰ってからも、ほぼ毎晩、泣いていた。時には、吐き気が永遠に止まらない、苦しさ、つらさを、母に訴えても仕方ないのに、母に泣きながら言うこともあった。死にたいって言うこともあった。死に場所はもう見つけてあった。15階建てのマンション。本当は25階建てのビルから飛び降りたかったけど、防犯扉や窓の開放具合などで無理だなと思った。また高層マンションについても同じ理由で飛び降りは不可能だと感じた。
どうして生きてなきゃいけないの?もう死にたいんだけど。死なせてよ。死ぬことは悪いことじゃない。【つらさ、くるしみ、かなしみ】からの解放なんだよ?お願いだから、死なせてよ。生き地獄の中を生きるのは、どれほどつらいかわからないでしょ?と何度も泣きながら、母に訴え続けた。それでも生きないとだめでしょ。という返答しか返ってこない。どうぞ、死んでくださいなんて言えるはずもない。そんなの分かっていた。でも行き場のない、【つらさ、くるしみ、かなしみ】が爆発した。私はティッシュボックスを思いっきり、床に投げつけた。ハンドクリームも、デオドラントスプレーもロールオンも床に投げつけた。腕もカミソリで傷付けた。小さな子どものように、えーーーんと声をあげながら、時には、この野郎!!と声を荒らげることもあった。私は死にたいほど苦しかった。楽になりたかった。
一人でも死ねるという自信満々な日と、一人だとこわくて死ねないかもしれないという消極的な日があった。某掲示板やSNSで自殺募集をした。その結果、警察が2回、家に来てしまった。警察は「自殺幇助」のことを言ってきた。自殺幇助は相手が死んで、自分が生き残った場合、罪に問われるものだ。私は相手だけ死なせて、自分は生き残るという選択肢は絶対にしないつもりだった。絶対に自分も死ぬという強い決意を持っていた。
本当に心がもう限界だった。治るのかわからない病気と闘うのがつらかった。自殺することが負けなら、私は負けても良い。食べる楽しみを失って、毎日、吐き気や下痢と闘う。決定的な治療法がない。未来が見えない、希望が見えない。治るという保証がどこにもない。それなら死んで楽になりたかった。
何度も飛び降りの計画を立てていた。しかし、家に警察が来てから、一人で外出させるのは危険とのことで、一人で外に出歩くことは禁止になってしまった。よって、首吊りをすることにした。