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Resistance4

会社辞めたら、友達と遊びたかった。でも吐き気で諦めなくてはいけなかった。低体重になっていたので、風邪など感染症に罹るのもこわかった。

お家で過ごした。録画していたドラマを見た。面白いと思えていた。その頃は。

初めて自殺を試みたのは、会社を辞めてから、4ヶ月後の6月だった。ドナノブにベルトを掛けて首吊りをした。非定型の首吊り。でも上手く行かなかった。だから、何度も何度もやり方を変えて試した。首に赤く痣?みたいのが出来た。瞼に赤いプツプツが出来た。でも死ねなかった。

7月下旬、私は回転性の酷い目眩に襲われた。通院していた精神科に救急車で運ばれ、点滴治療をした。原因は脱水と言われたけど、脱水による他の症状は何もなかった。そのまま、入院となった。

そこの入院環境は最低だった。私は少し潔癖症な節があった。トイレがとても汚いのだ。認知症?の方も入院しているから仕方ないのだろう。便が便器や便座に付着していることが正常運転で、便器や便座が綺麗なことは、ほぼなかった。
点滴は500mlを2回、毎日行われた。午後まで時間がかかった。精神科の閉鎖病棟だったので、スマホの使用も朝の8:30〜9:00までの30分のみ。この頃はコロナが流行していなかったので、外出は主治医が許可したら、外出、外泊も出来た。入院生活がつらすぎて私は何度も外泊をした。病院に戻りたくなくて、涙が止まらなかった。入院は2週間ちょっとで終わりを迎えた。これが1回目の入院でした。

1回目の入院は精神的に疲弊してしまい、食べれるものも食べれない感じで、逆に悪化してしまったので、強制的に自分から退院した感じとなってしまいました。

2回目の入院は2019年12月下旬になる。

退院は8月中旬くらいでした。10月まで自力で近所の内科で点滴を毎日してもらってました。しかし、食べれてないせいか血管も脆くなっていき、4人くらいの看護師さんに代わってもらっても、点滴の針が血管に刺さらなかったりした。それで点滴できず、帰らされる日もあった。とても悲しくて、死にたい気持ちになった。

9月は私の誕生日月だった。誕生日の日に飛び降り自殺をしようと考えていた。ちょうど部屋から見える近所のマンションから。7階だった。(その頃は知識がなく、7階からでも死ねると思っていた。)親に遺書という名の感謝の手紙を書き、病院での点滴後に、ふと、そのマンションへ向かった。当たり前のようにオートロックで入れなかった。この頃は本当に知識がなかった…最近知ったのだが、外階段の防犯扉は飛び越えれる高さだった。でも実行しなくて良かったと思った。最低でも15階の高さから飛び降りようと、今の私は考えている。

2019年10月、この頃になると、うつ状態になっていたのか、低栄養の影響なのか、点滴に行く気力、体力がなくなっていた。父は定年退職していて、家にいた。母も仕事は4年前くらい前に辞めており、同じく家にいた。近所だけど、点滴をするために、送迎してくれた。血液検査は何回もした。胃カメラは1回しかしていないが、エコーやレントゲン…何回も調べてもらった。それでも異常はなかった。

また、10月に精神科を転院した。その病院はとても綺麗な内装で、熱帯魚がいた。素敵な中庭もあった。予約の電話で私は女性の先生を希望していた。初めての女医さんだった。なんとなく同じ女性なら、分かってもらえたり、お話もちゃんと聞いてくれるんじゃないかという勝手な思い込みがあった。しかし、予想は完全に裏切られた。話は全然という程、聞いていもらえず、よく言う、3分診療。母と一緒に診察を受けたのだが、滅多に文句を言わない母も、「あれはちょっと…」という感じだった。私は文句というより、ただただ悲しかった。例え効かない薬であっても、先生が、こういう薬で、飲み続けたら、もしかしたら、あなたに効くかもしれない、あなたに合うかもしれない。少しずつ治していきましょう、とか、無意識にそういう言葉を求めてしまっていたのかもしれない。

その病院は2回だけ通院しただけで、1ヶ月で他の精神科へ転院することにした。

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