【私と眼】キューブラー・ロスの死の受容5段階モデルと、私の失明を防ぐための手術

エリザベス・キューブラー・ロスが唱えた死の受容5段階段階モデル。死を宣告された人がどのような変化をしていくかというものです。キューブラー・ロスの5段階を、喪失感をともなう組織再編成時の組織構成員の心理的変化に適用したりと、ビジネスの場でも参考にされています。

私は死んだことはないのですが、病気で「このまま外科手術せずに放っておくと近いうちに必ず失明する。そして、視力は戻らない。緊急手術するべき。でも、外科手術することで失明することもあるし、眼は切開すると暫く潰れた見た目になるしたまに戻らない人もいる」と言われたことがあり、ある意味、今まで普通だった視界や顔と別れるかもしれない恐怖を感じたことはあります。

がんや命に関わる病気とは別物かもしれませんが、「このままだと喪失する」と宣告された時の心理的変化を振り返って、キューブラー・ロスの5段階モデルと比べてみようと思います。
このモデルを、喪失を宣告された親しい人と接する時のため、そのような状況に陥った自分がより良く生きるため、利用できたら良いのですが、人によって経過は違うこともあり、さまざまな実体験の声が必要なのだと思います。

同じ経過を辿るのか、全く違うのか。私の場合を書きます。

■死の受容5段階段階モデル
1.否認と孤立
  ↓
2.怒り
  ↓
3.取り引き
  ↓
4.抑うつ
  ↓
5.受容

■私の場合
1.否認と孤立

衝撃を受けて、否認したり逃避しようとする段階ですが、最初にこの段階は来なかったですね。時間がなく、すぐに緊急入院⇒緊急手術となったからかもしれませんが。
「事実かどうか早く確定させたい。事実だと分かったなら早急に対策するしかない」と思っていました。性格的に緊急時も冷静な自分がどこかにいるタイプで、現実的に対処を考えて前に進もうとするタイプだからかもしれないですね。

2.怒り
「なぜ自分がこんな目に合うのか」という怒りの段階ですね。これは、一番始めに来た気がします。なんで?何も悪いことしてないのに。めんどくさいなぁ。何も考えたくないなぁ。勝手に治らないかなぁ。と、内心いらいらしていましたね。
既に片目の半分が見えず暗闇になっていて、人にぶつかったり振動を受けたり、衝撃があると見えなくなる範囲が広がると言われていて、見えづらく歩くのも大変なのに、前を見ずにぶつかりそうになってくる通行人に対して「自分は見えるくせに、失明の危険もないくせに、呑気でいいよね!」と腹が立っていました。

3.取り引き
神様にお願いしたり、奇跡を願ったりする段階です。
これは、緊急入院して次の日が緊急手術となったのですが、緊急入院したその日の夜、寝る前に願いました。手術の同意書も書きたくなくて看護師さんに「今日は疲れたから書きたくない」と言って手術する日の朝まで書きませんでした。同意書には、手術で失明するかもしれない、ということも書かれているので、サインしたくなかったのです。
「朝起きたら眼が元に戻って何事もなく普通に景色が見えていたらいいなぁ」
「目が見えなくなったのが、夢だったら良いのに」
と思って眼を閉じました。

でも、その前に病院からパジャマのまま逃げ出そうとしたんですね。手術したら失敗するかもしれない、失敗しなくても顔の見た目は悲しい感じになるじゃないですか。手術を受けたくなかったんです。『1.否認と孤立』の段階はここで来ていたのかもしれないですね。

だけど、逃げ出しても逃げ出した先で時間が経てば必ず失明する、手術すれば医療器具を顔に入れっぱなしの身体になっても見えるようになる可能性も高い、ならば、このまま手術を受けようって諦めたんです。『4.抑うつ』の段階はここで来ていたのかもしれません。

4.抑うつ
喪失が避けられないことが分かって、諦めたり虚しくなったり悲観したり、憂うつになる、絶望する、という段階ですね。
上で書いたとおり、『3.取り引き』の前にこの段階が来ていたように思います。

5.受容
これは、同意書にサインせず、眠りについて、次の日の朝になっても眼が見えるようになっておらず病院のベッドの上だった時ですね。吹っ切れてサインを書きました。
手術は3時間くらいかかり、後半激痛で悲鳴ものでしたが、眼を動かさず頑張りました笑 少しでもメスがずれたら失敗してしまうので。

■比べた結果:私の流れ
簡単にですが振り返って比べてみた結果、私の流れは下記でした。
2.怒り
  ↓
1.否認と孤立
  ↓
4.抑うつ
  ↓
3.取り引き
  ↓
5.受容

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