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夢の終わる・感想(リンバス7章 後夜祭)

Limbus Company 7章全編のネタバレが含まれます。


素晴らしきプロムンクッキング

いや~~~~いい話だった!感動。。まさか…まさかドン・キホーテというあの長い小説が、こう料理されてしまうとは。。

今回の物語は特に、原作よりもプロムンの味が前に出ていたと感じます。5章もそうでしたが、6章は登場人物たちに原作の性格が非常によく反映されていて、別世界線として原作のような展開が実際に繰り広げられていた…という読み取り方もすることが出来ました。しかし、これは…これはProject Moonの物語だ。。原作のanother ifという感じでもなく、原作小説が完全に「劇中劇」のような形で組み込まれていたように感じます。だからこそ、冒険の記憶が夢であるという印象も与えられているんだけれども…。上手すぎる。

外れまくる予想

最終的な予実差なんですけれども。。まぁ、全然当たりませんでしたね!サンソンよ…デミアン派閥か~い!全く、青色には要注意ですね。。
(6章のネリーの事も有って)原作ドン・キホーテって、主人公が周りを巻き込んで旅の中でとんでもないことをやらかして行く話なので、てっきりその最たる被害者のサンチョがドンキに反旗を翻す話かと思っていたのですが。。まさかご本人とは!

いや、確かに、上背の小さいドンキがドン・キホーテであるというのは…原作と照らし合わせると、違和感があるんです。ドン・キホーテとサンチョという組み合わせは、「縦に細長い&小さくて丸い」というフォルムがイメージとして有るので、ちっちゃいドンキはイメージから外れるな…と思っていたのですよ。ところが何とまぁ、ドン・キホーテとサンチョ、二人並べば見慣れたシルエットが!(もしかしたら、吸血鬼化して出てくるあの謎の羽飾りは、サンチョを丸く見せる視覚効果のために付け足されたのかも知れませんね。)

予想は当たりませんでした・・・が、それで良いのだ・・・。予想当たって展開が予測できてしまう方がつまらない。私の予想を裏切り続けてくれ、プロムン!!

明確に「成長」物語

リンバスは現状、囚人たちが旅を通じて過去に打ち克ち、成長するという展開が繰り広げられています。そんな中でも、今回の物語は特に、ドンキホーテは成長した!と声を大にして言える展開になっていました。

6章と比較する事になってしまうのですが、6章はヒースクリフの考え方が大きく変わった、という事は余りなかったと感じています。というのも、6章でのヒースクリフは、正直それまでの旅の道中で既に成長・変化しており、それが5章で仲間に手を差し伸べる姿勢や(ヒスメールどこ??🫠)6章の中でヒンドリーに怒りではなく哀れみを感じていた所に表れていたためです。6章でのヒースクリフの達成は、「キャサリンに向き合う」事であり、決してキャサリンへの執着を捨てた訳ではありません。(この点は、キャサリンが消える前の他の世界線のヒースも同様である事から、6章の旅路がヒースクリフの哲学に明確な変化を与えた、とは言い難いでしょう。)どちらかと言うと、それまでの旅の集大成がラストに繋がったという見方が出来ます。

これと比べて、7章中編ラストでドンキホーテはサンチョとしての記憶が蘇り、それまでの旅路や経験が全て"無”に還ります。この点も、サンチョに取り付く島が無かった理由の一つであると考えられます。管理人の面々も絶望を感じたのではないでしょうか?(こうしてみると、5章で疑心暗鬼になっていたイシュメールの事が思い出されますね。。)そして、ここから改めて「冒険を続ける」という所まで(ある意味)戻すというのは、サンチョの心情に明確な変化(成長)を起こす必要があったと言えます。

実は、7章の初めと最後で、(表向きは)ドンキホーテ自身の態度は変わっておらず、「原状復帰」の物語とも取る事が出来ます。しかし、自身の過去を以て冒険を夢見るのと、そうでないのとでは大きく異なります。
サンチョは「ラ・マンチャランドから逃げたのは、自分の意志ではなかった」と語りましたが、記憶を失う選択をしたのは彼女の選択です。「自分の代わりに冒険を続けてくれ」という父の願いを断念して、記憶喪失という逃避を行ったのです。従って、(サンソンの手立てではあるものの)彼女が記憶を取り戻し、そのうえで改めてドンキホーテとして生きていく選択をしたというのは、大きな成長であると言えます。
(そう考えると、サンソンが敵なのか味方なのか分からなくなってしまいますね…。良薬口に苦し、とはいえ油断ならん人物です)

サンチョ懐柔ポイント

作中でダンテが言及したように、7章後編の初めで、サンチョには一見「目的(夢)」と呼べる物が無く、かつこれまでの旅路で培った絆も一時的に消えた状態となっていました。

しかし、サンチョが夢を持たないというのは見せかけ上の事であり、実際は心の奥底で「冒険を続けたい」と考えていることが分かりました。(それだけ、記憶を失った状態で見ていた世界が楽しいと感じられていたのかもしれません。)囚人たちはサンチョにこれまでの旅路を思い出させ、彼女に「冒険に目を輝かせていたドンキホーテに勇気付けられた」と説得します。

そう…記憶を失った彼女(以下、元ドンキ)があのように夢見る存在になっていたという事は、過去のしがらみも何も無い状態で、「在りたいように在る」存在と言うのがそれであった、と考える事が出来ます。そして、彼女は「冒険がしたい」というのに加えて、「正義の味方でありたい」という願いも持っています。彼女が冒険をしてきた&正義の味方の如く、仲間を救ってきた/そして彼女さえ許せば、仲間はこれからもその継続を望んでいる、という点を囚人たちが彼女に伝えたことで、サンチョはリンバスカンパニーに戻る事を選択する事になったのです。

しかしながら、回想の中で、サンチョは真ドンキホーテ(以下、真ドンキ)に「お前は他の者と違って、救った時と変わらず、生への執着が無い」と言われていました。そんなサンチョが「冒険をする正義の味方」という存在を夢見るようになるまで、どのような心情変化を経てきたのでしょうか。

サンチョの「孤独」とは

サンチョと真ドンキの出会いは、サンチョの焼身自殺未遂を真ドンキが救った事でした。(サンチョ…;;)その時、サンチョは、「とても寂しい、とても寒い」と語っていました。
しかし、その後もサンチョは「一人が好き」「眷属は作らない」と、孤高なスタンスを崩しません。正直、ここで少し矛盾を感じました。寂しがり屋なのに、なぜ一人でいる事を好むのか。
このヒントが、彼女の「愛するものが無かったからだ」という言葉に表れていると考えられます。

「生に執着を見せなかったのはなぜか」と問われたサンチョの答え

ここでの「愛するもの」を、「ドンキホーテを始めとする眷属達」と同一視してはいけません。確かに、サンチョは「父」である真ドンキの事を愛していたでしょう。しかし、血鬼として真ドンキと過ごしていた頃は、ある意味「忠誠心」に近い、眷属としての本能由来の「愛」を感じていたのではないでしょうか。

もう一度サンチョの孤独の由来に立ち返ると、彼女は生まれた時から家族がおらず、つまり「愛情を与えられたことが無かった」ゆえに愛するものも生まれなかったと考えられます(愛を知らないのに愛情を持つことはできないでしょう)。しかし、サンチョの記憶が戻った後に過去を振り返った際、「リンバスカンパニーで冒険をした記憶」「バリが記憶を失った自分の相手をしていてくれた事実」「真ドンキとの旅がとても楽しいと感じていた」事に初めて気付き、そこでようやく「自分の愛するものが何なのか」を自覚できたのではないでしょうか。つまり、「冒険を続けるという夢/正義の味方であるという夢」です。

回想の中で、バリによって「血鬼は『孤独』という病に侵されている」という指摘が有ります。そう、眷属という家族を作っただけでは、孤独は打ち消せないのです。「孤独」という言葉の中にはただ「一人でいる」という意味だけでなく、「生きがい・未来への夢が無い」という意味も含まれると考えるべきです。従って、サンチョの孤独を、「眷属にする」という行為のみで消すことはできなかった。バリによって語られる物語、真ドンキとの冒険で、初めて孤独は癒され始めたのです。

「家族同士寄り添う」だけでは、孤独は癒されない。

だからこそ、ラ・マンチャランドから追い出されたサンチョは記憶の喪失(≒意識の喪失)を選択したと考えられます。眷属になる前と同じです  再び孤独になったから、自死を選ぼうとしたのです。しかし、せめてもの願いで、夢を見続けたいと思った。…それが今の自分でなくとも。

そして、ラ・マンチャランドに残らず、リンバスカンパニーの許に戻ることを選択した理由も、これで説明がつきます。家族と共に居るだけでは、孤独は癒されないから。彼女には、夢を見ることが、生きる為に不可欠なのです。
(このような点は、原作のドン・キホーテのラストとオーバーラップしますね!)

自由と責任/子供と大人

ところで、真ドンキ自身も、夢を持ち、サンチョと同様に冒険を望んでいました。しかし、何故それが叶わなかったのか?これは、「真ドンキが眷属を持っていたのに対し、サンチョは眷属を持たなかった」と言う点がポイントとなると考えられます。

正直、作中を通して、「冒険とは所詮子供のための物」という印象が拭い切れませんでした。というのも、大人が気ままに冒険するには、余りにも持っているものが多いからです。真ドンキには眷属が居り、彼は家族の事を考えなければならなかった。しかし、正義と冒険を夢見た結果、ラ・マンチャランドは破綻してしまった。彼は、夢を見るには余りにも大人だったと言えます。

対して、サンチョは眷属が居らず、彼女に絶対服従しなければならない家族は居なかった。だからこそ、彼女は自由意志で未来を選択でき、ラ・マンチャランドを抜けてリンバスカンパニーに属する事が出来たのです。

血鬼時代の真ドンキとサンチョは、「夢を見てしまった大人」「まだ夢を知らない子供」という対比になっていると感じました。それにしても…夢を見ることが許されないとは、悲しいですね。

ドンキホーテの性格は今後どうなるのか?

さて、変わって、ドンキホーテ(サンチョ)の性格について考えていきたいと思います。
私は、W列車の時の事も有って、てっきりドンキホーテが二重人格になっているのではないかと考えていました(ドンキ(表)の意識が消え、サンチョとしての意識が出てきたため)。
しかし、記憶を眠らせる「レーテー(因みに、古代ギリシャ語で忘却の意)」の効能は、記憶を完全に破壊してしまうのではなく、深く眠らせておく事。サンチョと表ドンキの意識は分離していたかもしれませんが、互いに夢のようにぼんやりとした印象だけは残っていたのかもしれません。(ダンテの自我心道で、ドンキが記憶を回復する前は明確に見ることが出来なかったものの断片的に情報が伝わってきたのと同様に、ドンキもあのような形でサンチョ時代の記憶を持っていたのでしょうか…。)
そして、サンソンの手立てで自らの意志によりロシナンテを脱いだ際、二つの意識は混ざり合い、完全な一人になったと考えられます。つまり、7章中編ラストで、元のドンキに戻らないことは確定していたのですね…。これが正しい形とはいえ、後ろ暗いものが無く明るかったドンキちゃんの頃が一番幸せだったのではないか?と思えてしまって、少し悲しい……。でも、これが正しい形なのだ。。人生とは概して辛く、その中で些細な幸せが輝くのだ…そして、成長とは常に痛くて苦しい。。さよなら無邪気なドンちゃん!!でも、新しい今のあなたを全力で受け入れ、愛します。。

以前の彼女では確実にしない表情をしている。。

とはいえ、新たな彼女を交えてこれから囚人たちの会話がどのように繰り広げられるか楽しみですね!!

おわりに

いつも囚人達から面倒がられていたドンちゃんのムーブが改めて感謝・評価されて、それがサンチョの心に届く…初めの「全てがゼロになる」ではありませんが、サンチョ自身も「記憶が戻って全てがゼロになった」と感じていたのですね…しかし、そうじゃないよ!と、ダンテではなく囚人たちが声を上げてくれたのは…感動ものでした。。。皆、仲良くなったね。だからこそ、昔のドンちゃんが完全に消えてしまうのが…いや、彼女の新たな門出に幸あれ!!!(号泣)

そういえば、個人的に「サンチョの性格、めちゃくちゃイシュメールに似てるな…」と思っていたのですが、今後バス内で常識人枠が増えるのか…?本当に今後のリンバスパワーバランスが気になる。。

さて、ホンルの妹子も7章に出てきた事だし、紅楼夢、読んでいきますかぁ~~~……12巻?!ドン・キホーテの2倍?!?!?!
…世の紅楼夢マスター達は、いつこの量を読んだんだ…???

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