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多分、私はアダルトチルドレン

 これを書くのは、正直すごく勇気がいった。多くの人の目には触れないように、有料記事で書こうとも考えた。
けれど、さまざまな経験を経て、自分と正面から向き合おうと決めた今、思い切って全体公開で書くことにする。それに、幼少期の家庭環境が原因で生きづらさを抱えている人たちに対し、大好きな「書くこと」で何かしらの役に立つことができたなら、それはもう本望だ。不快な思いをさせてしまう部分もあるかもしれないが、見てもらえたら嬉しい。

タイトルのとおり、恐らく私はアダルトチルドレンだ。

【アダルトチルドレンとは】
アダルトチルドレン(AC)とは、子ども時代に親との関係の中で負った何らかのトラウマ(心的外傷)が現在の生きづらさや人格形成に影響していると感じている状態を指す概念ですが、医学的な診断名ではありません。

引用元:LITALICO発達ナビ

「多分」や「恐らく」とつけているのは、特に医学的な診断を受けたわけではないから。大人になって、さまざまな情報に触れたことで、あぁ、自分はそうなんだと、いつだったか気がついた。

ちなみに、母との確執については、以前もnoteに書いたことがある。

このnoteにも書いたが、私の母はとにかく完璧主義で、ヒステリックな人物だった。ゆえ、私は幼い頃からできないことを責められ、失敗を許してもらえない環境にいた。事あるごとに怒鳴られ、「しね」「ブス」「産まなきゃ良かった」などの罵声を浴びせられることも日常茶飯事だった。

そして、「私」という存在を否定されるのは、母の意にそぐわない時だけではない。

小学生の頃だったろうか。
私が「今日学校で友達に〇〇(漫画のキャラ)に似てるって言われた!」と話すと、母は「へぇ。〇〇の方があんたより可愛いのにね」と、無表情でそう言い放った。

他にも
「今日作文でAちゃんが私とBちゃんのこと書いてくれた」
「どっちの名前を先に書いてた?」
「Bちゃん」
「へぇ、じゃあAちゃんはあんたよりBちゃんの方が好きなんだね」
などと、言われたことがある。

恐らく、これだけで驚く人もいるのではないだろうか。今になって考えると、私も正直意味が分からない。けれど、子供の頃は何かにつけ、こうして否定をされることが多かった。そしてその度に、「私」という存在が少しずつすり減っていくような感覚に襲われていた。

しかしこのように、‟なんでもない場面で我が子を否定する親”というのは世の中に一定数存在するらしい。私自身、その事実を知ったのは大人になってからだ。

そういう親の元で育ったゆえ、当然自己肯定感なんてものは育まれなかった。父は母とは違い温厚な人間ではあったが、母を宥めるためか、最終的にはいつも母の味方をしていた。
そのため、社会に出てからも私はとにかく他人の目を気にして生きてきた。否定されないように、怒らせないように、他人の顔色を伺って発言や行動に気をつけている自分がいた。恋人にフラれても、自分が悪いのだと、自分を責めることが多かった。

だけど同時に、社会に出てひとりで暮らすようになり、生きていくうえで少しずつ、悪いのは家庭環境だったのではないかと思い始めた。世の中にはいろんな家庭があり、さまざまな親子関係がある。そこに気がついてからは、物の見方や思考が変わった。親と距離をおくようになって、驚くほど精神が安定された。
そしてここ数年は、大きな出来事に見舞われ、自分を認めてくれる環境に身を置くことができたことで、少しずつ「自分」という存在を認めることができてきたのだ。

 なぜ、私が今これを書こうと思ったか。それは冒頭で書いた通り、自分と向き合うことを決めたからだ。以前までは、‟そういう親の元で育ったんだ” ‟親のことを大事にできない人間なんだ”という目で見られるのが嫌で、怖くて、なかなかここまでハッキリと書くことができずにいた。もしかすると、これを読んだことで私から離れていく人もいるかもしれない。

だけど、今はもうそれでいいと思える。
綺麗事と思われるかもしれないが、私は他人に優しくありたい。他人の目を気にしていた頃とは別の意味で、口にする言葉や発信する内容、そして行動に責任を持って誠実でありたい。‟気にする”のではなく‟心掛けていたい”のだ。多分、そういった行いのひとつひとつが、自分自身を形成する軸になるのだと、今なら分かる。

「大人になってから自己肯定感を育てることは、大人になってから身長を伸ばすことと同じくらい難しい」と、以前どこかで聞いたことがある。本当に、そのとおりだと思う。
意図せず、今になって自己肯定感が育まれてきた私は今、成長痛の真っ最中だ。ふとした時、自分自身に違和感を持ってしまう。自信を持って自分を肯定しても良いはずなのに、そんな自分に嫌悪感が否めないのだ。

きっと、大人の成長痛ほど根深いものはない。時期や人によっては、ものすごい痛みを感じる場合もあるだろう。
だからこそ少しずつ、自分と向き合い、自分を育て、その過程を綴っていこうと思う。そうすることで少なからず、誰かの役に立つことができるのではないだろうか。それを受けて自分自身、また成長できるはずだと信じている。

せっかくこの世に生まれてきたのだ。「私は私でいい」と自分を認め、やりたいことをやって真っ直ぐに生きていきたい。
どうかこれを読んでいるみんなも、生まれた環境に負けないで欲しい。


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