手段と目的の使い分け〜寄り添ったその先に〜
おはようございます☀
就活しててすごく思うようになったのは手段と目的の使い分け。
そもそも。就活というのは、夢を掴むための
一つの手段でしかないと思うようになった。
私にとっての夢とは?どんな大人になりたいか?
最初は、「生徒の人生に寄り添える先生に」だった。
そこから、「目の前の人の人生に寄り添える人になる」ということになった。
だけど、これは目的ではなく、手段でしかないんじゃないかな?と言われ、ハッと思った。
たしかに。結局その先に何がしたいのか
超ビッグなことを言うと、
「日本の勉強に対する意識を変えたい」
まだまだ成績至上主義が残っている日本。
勉強できればそれで良いという考え方が主流。
だが、勉強は自分のやりたいことな夢を掴むための手段でしかないし、勉強ができれば=良いというわけではないという考え方が出てきつつあるし、その考え方を広めて行きたい。
何が言いたいか、って、勉強で良い成績を取ることがすべてではないということ。
勉強で良い成績を取るためにどう努力するのか、
どう勉強するのか?
どうして勉強するのか?
勉強をする上での過程(プロセス)が大事なんだよということを伝えたい。
やらされる勉強、ではなく、子どもたち自身がプロセスを大事にし、能動的な勉強をするようになってほしい。
だけどそれが最終目的ではない。
最終的な目標は、
「自分の意思で自分の道を決められる人を増やしたい」
というところ。
「誰かにやらされる」から「やる」
というのではなく、
自分で意義を見出して、「自分で考え、自分でやることを決める」
という人を増やしたい。
勉強でも運動でも就活でもなんでもそう。
自分の大切な選択をする分岐点に立った時、
自分で自分の道を決め、後悔することのない人生を送って欲しい。
私自身も、親に言われてなんとなくの人間だった。
その頃よりも自分で自分の道を決めた今の方が
断然楽しい。
この経験をもとに、多くの人に
「あなたはあなたなんだよ。あなたの人生はあなたのもの。きっと見つかるあなたにしか歩けない道をあなた自身の手で見つけなさい」
と伝えたい。
ここが最終ゴール(最終目的)。
そのための手段として、私は教育を選んだ。
社会に出るまでの間、子どもは多くの選択の岐路に立つ。
中学受験、高校受験、就職、大学受験…。
その選択をするときに、自分の道を自分で選べるように導くためには、選択の岐路に立つまでに出会った周りの大人の影響が大きいと思う。
「良い大学に行くために受験をしなさい、勉強しなさい」そう誰かに言われ続けた子どもたちよりも
「なぜ勉強するのか、なんのために勉強するのか」そう誰かに言われ続けた子どもたちの方が、
自分で自分の選択をできるようになるのではないか
そう思う。
自分で自分の道を切り拓ける人を増やす手段として、私は教育という道を選んだ。
そして教育していくにあたって、
人に寄り添うということは欠かせないことで、
私の人生の目的を叶えるためにも
必要な手段なのである。
まだまだまとまってないけど
ここまでは出た。
なぜ教育なのか。
もう少し深掘りしてみよう。
あややん。
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