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“部室”の日常 - (5) 部室はみんなでつくるもの

「マグロの仕入先を変えてみたんだよね。仕入れ値が◯◯円で安かったんだけど、どう思う?」
店長(兼料理長)がそう言いながら、お刺身を出してきた。

「うーん。。微妙」
「……だよね」

このお刺身、私は客としてお店に注文しているもの。
その後のやりとりが、↑これ。

お店は普通、お客に仕入れ値を言うことはまずないと思うし、「どう思う?」と聞くこともない。
そして客も、お店に対して直接「微妙」ということもあまりないと思うし、それをうけて店側が「だよね」と言うこともないだろう。

だって、こっちはお金払ってて、お店はお金もらってるんだから。

……あ、そうか、これって普通じゃないかも、と思ったのでこの記事を書いてる。それくらいこういうやりとりは自然にある。

飲食店は、お客さんから見えないところで本当にすごく努力と工夫をしている。そこには本当にリスペクトしかない。
お店の中でいろんな人に会って楽しい時間を過ごせるのは、お店が提供しているサービスのひとつ。これを実現するために本当に各お店が努力しているのを知っている。ただ料理が美味しいだけではだめだし、ただ安いだけでもだめなのだ。

私も一応事業をやっている身としては、サービスの価値と、それにかかるコストとのバランスを取らなければいけないし、価値を上げていくために努力とか勉強とかをしなければいけないことは痛いほどわかる。

だから、意見は率直に言うようにしている。忖度はしない。
関係性としてはお店とお客だけど、こういうやりとりができるのは、なんとなくそれを超えたものがあるからなのかなと思ってる。

お店だって人間がやっているから、そこには感覚とか感情とかで動いているものもたくさんあって……たまたま、「その人の職場」に「クライアント」の立場で私がいるけど、私は多分「お店」ではなくて「その人の仕事」を見て、感覚的に話をしているんだと思う。

「お店を応援したい」とかそういうきれいなものではないんだよな。「人生の仲間同士」のような感覚。店よりも人を見てる。
せっかく同じ「部室」にいるんだから、「部員」同士でいろいろ高めあっていけたらいいじゃない?そんな感じかな。

外から見れば「部室」を提供する側とされる側なんだけど、「部室」は部員みんなで作っているもの、って感覚。

広く広く見れば、きっと地球全体が部室でもいいんだよな。
なーんて思ってみたり。

次回は、「おじいちゃんたちの健康法」の話。

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