“部室”の日常 - (4) 思い出と願いがこもったお酒
いつもの飲み屋に入ったら、若い男の子が私を見て「来た!」という顔をした。そばの席になるとよく話すけいくんが、私を待っていてくれたようだった。
「待ってましたよ!ありますよ、あれ!」
「あれ」……?
なんだろう。なんか約束してたっけ?と思いながら「あ……ああ、そうなんだ!」と微妙な返事をする私。
(少なくてもここの)飲み屋の常連同士は、たまに呼び出したり呼び出されたりすることはあっても、約束して落ち合うことはほぼない。そもそも連絡先も本名も知らない人が多い。
でも、期待してないけど来たらいいなという感じで待っていることは、結構ある。なので「待ってたよ」と言われることも割とある。
席に座ってしばらくして出てきたのが、「花陽浴(はなあび)」という日本酒だった。
花陽浴は、私の出身地、埼玉県の日本酒。
花陽浴は日本酒好きの中では評価されている人気の銘柄で、生産が少量なので希少価値が高い。
そういえば……数ヶ月前、花陽浴の話をけいくんとしたことを思い出した。
花陽浴は私にとっていろんな人との思い出があるお酒。そういう意味でとても印象が強い。
「それは僕から!花陽浴好きって聞いたんで、お店から持ってきたんです!」とけいくん。なんとありがたい。
お酒の味は、思い出が絡むと格段においしくなる。
そして思い出もなんだか美化されるところもある。
ところが、続きを聞いて驚いた。
「実は僕、お店やめたんです。今日で最後で、社長から好きなもの持ってっていいよって言われて、花陽浴と十四代を何本か持ってきました(笑)」
けいくんは、この店とは別の居酒屋のスタッフ(多分社員)として多分10年近く働いていた。お店で日本酒担当だからとても詳しくて、よく日本酒の話をしていた。
退職手当的なものなのかなと思うけど、貴重なものだけ選ぶのが彼らしい。
そして、その続きはそれ以上に驚く内容だった。
「明日、実家に帰るんです。挨拶に行きます」
けいくんと長年の付き合いの彼女が隣で「緊張しますね…」と言いながら、いつものようにやわらかく微笑んだ。
けいくんは、とある地方のお寺の息子。
ずっと継いでほしいと言われ続け、のらりくらりとかわしながら東京で自分のやりたいことをやってきた。だから、かなり長い間実家には帰っていなかったらしい。
それでも、彼女とのことをちゃんと両親に伝えるために行く。何を言われるかはわかっているけど、それでも、彼女と幸せになりたいから、行く。
人生の選択には責任が伴う。
そして一人だけで勝手に動けないことも多々ある。やりたいことが自由にできるようにするために、ときには「段取り」がいるよね。
親にとっても、おそらく跡継ぎがいないということは大問題で、それはそれで、「自分の人生選択の責任」をなんとか果たそうと必死なんだと思う。どっちも、自分の人生をちゃんと整えようとしてるだけなのだ。
最善の道が見つかりますように。
ということで、景気付けに一緒にテキーラ!
また一つ、思い出と願いが入った美味しいお酒が飲めた日だった。
次回は、「お店の人だって人間だからね」の話。