![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122545317/rectangle_large_type_2_b1c43c3109ed1e5b62a8773e3a037d2a.jpg?width=1200)
夢と病気
はじめに
バスケットボールを始めた小学1年生からずっと、私の夢はプロバスケットボール選手になることでした。
しかし、これまで何度も諦めかけてきました。
その理由の1つに『病気』があります。
今回は『プロバスケットボール選手になる』という夢に対して、これまで『病気』というハンディキャップをどのように受け入れてきたかを書いていきたいと思います。
高校選びで10校から断られる
私は中学3年生の時、プロバスケットボール選手になる夢を諦めかけていました。
それは、高校選びで、進学したかった高校から病気が理由で断られたからです。
色んな学校に練習参加させてもらい、プレーを見てもらって『是非うちに来て欲しい』と声をかけてもらいました。
しかし、最後に『僕にはこういう病気があって…』と病気の話すと、『学校に確認してみる』と言われて、後日電話で断られる。
このような経験を、計10校以上してきました。
中学2年生から始まった高校選びでしたが、こんな状況が中学3年生の11月頃までずっと続きました。
当時の私は『もうバスケットボールで高校進学をするのは諦めて地元の公立高校に行く。もう自分にはどうすることもできないし…』という弱音を初めて吐きました。
今思うと、ここで公立高校に進学していたらプロバスケットボール選手になることは無かったと思います。
『自分のやれることはやっていて、プレイヤーとしては評価してもらえているのになんで病気が理由で断られないといけないんだ』
『もう自分にはどうすることもできないじゃん』と、プロバスケットボール選手を目指していた私にとってかなりどん底でした。
しかし、私は本当に周りの人に恵まれていました。
そん私の姿をみた周りの先生や両親は『どうにかしてバスケットを本気でやれる場所に行かせてあげたい』と動いてくれたのでした。
まだ連絡をしたことのない愛知県内の強豪校にコンタクトをとってくれました。
そして、ゆくゆく私が進学することになる安城学園高校の体験に行くことになりました。
安城学園高校の当時の校長先生が、『責任を持って面倒を見ます』と進学を許可してくれたのでした。
今振り返ると、本当に良く受け入れてくれたなと感じます。
その後、入学までの短い間で、本当に学校側がリスクに備えて準備をしてくれました。
入学式の日には『あの子が昨日校長先生が話してた病気を持っている子だ』と全員の先生方が知ってくれている状態でした。
体育の授業も昼飯を食べた後だと発症のリスクが上がるため、3年間私のクラスだけ午前中にしてくれました。
発症した時に備えて、部活動の顧問の先生だけでなく、チームメイトや女子バスケット選手にもエピペンの打ち方を理解してもらったりもしました。
このように沢山の周りの方が責任を持ってくれて、私がバスケットボールに集中できる環境を作ってくれました。
次は支える立場へ
一時は病気が理由で諦めかけたプロバスケットボール選手という夢でした。
しかし、そんな病気も沢山の方の支えによって受け入れることができました。
そして、今はそんな自分だからこそ伝えられることがあると考えています。
私の夢は『同じように病気で悩む人に希望を与えたい』です。
私がプロ選手という人前に立つ仕事だからこそ『病気』というのは1つの武器になりました。
色んな経験をしてそれを乗り越えてプロになった私だから伝えられることがあると信じています。
これからも私が夢に向かって頑張ることで、多くの人へ夢や希望を与える事ができると思います。
まとめ
病気があったことで、確かに思い通りにいかないことが沢山ありました。
周りと違うという経験も沢山してきました。
しかし、その分周りの支えの大切さを知ることができました。そして、人に頼ることができる人間になれたと思います。
今では、病気があるからこそ僕が頑張ることで沢山の人に希望を与えられると信じています。
要するに全て捉え方次第だと思います。
自分に持病がある事も悪い事を探そうと思えばいくらでも出てくると思います。
それを周りと比べて、なんで自分だけと捉える事もできます。
でも、私はそんな周りを妬んでばっかりの人生嫌だし、どんな人生を辿っても後悔のない生き方をできると思っています。
それはどんな事でも長い目でみたら必ずプラスな事があると信じているからです。
そう捉えてきたからこそ、病気は自分の武器とまで思えるようになったと思います。
周りがなんて言おうと、自分が認めない限りハンディキャップにはならないです。
プラスに捉える癖をつける事で、いつかはそのハンディキャップも武器へと変わると信じて生きたい。
ありがとうございました!