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ZAZYのデジタル芸を認める土壌が業界内では育ちきっていないのではないか?な文

ZAZYがR1で優勝できなかったことについて。ヘッダ画像をお借りしています。

前回は審査する側としてのハリウッドザコシショウ(以下ハリウッド)を例に取り、「ZAZYのデジタルおよびオートメーション芸が演芸とは認められない風土もしくは不文律が今どきまだ残っているんじゃないか?蔓延っているんじゃないか?」と考えた。

その続きです。

吉本然

そもそも、

吉本主催で、
吉本が予選から決勝の進行を牛耳っていて、
吉本が司会進行して、
吉本が制作進行に息を吹きかけて、
審査側にも吉本の人間がいて……

という状況下において造られた「商品」としてのティービー・プログラムを提示されて

「吉本興業さん、ありがとう!」
もしくは
「出来レースだと思われても何の反論も出来ない状況を作ることにためらいがない企業なんだな」

のいずれを感想として抱くことが視聴者として正しいのか?ぼくはどちらも正しいように思います。

そのため、信頼に値する審査側の人間はハリウッドと小籔千豊だけだった。

審査側

小籔は恐ろしく長い間ソロで過ごしており、舞台の座長まで務めるほどの「刹那的なショービズ色があまりにも強いランキングプログラム・イベント等に振り回されることのない」実力があった。

左記の理由から、同様に「吉本である」という、ぼくにとってのマイナス方向アドバンテージが小籔のパーソナルからは打ち消されている。

もっともぼくが表題で吉本であるZAZYをおおっぴらに応援している時点で、そこまで吉本を一貫して無条件に切り落としているわけではないことはご理解いただけていれば嬉しいです。

さらに審査員側について。右に座っていた、非常に女遊びが好きな印象しかない男も最後の投票をZAZYに入れていたことが意外でした。2位重複で投票した者に投票してもおかしくはなかったため。

そういえばもっぱらビデオ芸が中心だったから共鳴するものがあったのかと考えさせられた。あるいはZAZYも自分と同じ吉本であるからという見方もできるかも知れない。

次回のnoteの結論部分でもあるのですが、もしデジタル芸、オートメーション芸を芸能として認めない大会なのであれば、陣内こそ審査側には座ってはいけないことになる。

さらには「審査側の基準が評価する段階に達していない」と前述したことにも関連して、審査側の性別が男だけであることにも疑問が残る。

もちろんぼくは女の人至上主義者でなければ、世の中には男と女の性別しかないと考えているわけではありません。

過去の優勝者も、今回のエントリも男一色ではなかったが、審査側のダイバーシティについては「あまりにも石器時代」としか評せないでしょう。

流石に上沼恵美子を座らせるようなことがなかったとしても、過去の女優勝者なり女の俳優なりを座らせる情緒があっても良い気がする。

長くなってしまったため一区切りしますが、果たしてデジタル・オートメーションを認めないのだとしたら、理由はなんだろうか?

次回はそれについて。おやすみなさい。

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中村風景
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