ブレーメンの音楽隊
コロナ後遺症の多岐に渡る症状の中でも、一定数の人が悩まされている「感覚過敏症状」
私は、香りや音、光に過敏性が発現しました。
今回は、その中でも「音過敏」について書いてみます。
コロナに罹患後、後遺症を発症し様々な症状が残り、辛いと思ったことは多々あった。
その中でも、ダメージが大きかったのは、好きな音楽が聴けなくなったことだった。聴けないのだから、楽器演奏や歌うことなんて、この先もうできないんだと思ってた。一年以上、その絶望感の中にいた。
後遺症の回復過程については、前回少し書きましたが、寝返りすら打てない程のひどい倦怠感が少しづつ軽減していっても、音を楽しむためになくてはならないものはちっとも戻らなかった。
だけど、幸いにして、私は鍼治療や一部の漢方薬が効き、生活するための、最低限の肉体的なQOLは少しづつ向上していった。
車いすに乗ってるのもやっとだったのが、杖で歩けるようになり、その杖も、罹患後約1年で卒業して、ゆっくりだけど自力で歩み始めた。
色々試しても眠れなかったのが、朝まで眠れる日が出てきて、そのうち中途覚醒も減っていった。
見た目には、回復したと言える経過があったし、寝たきりだった人が杖なしで歩いているのだから、周囲の人は「回復」を喜んでくれた。当然そうであるように。
でもその頃の私は、自分の中でも温度差を生じるような、少し複雑な精神的落ち込みも感じていた。
『回復してきた症状』とは対照的に、音楽に身を投ずることを拒絶するかのように、妨げてくる様々な症状たち。
聴覚過敏で小さな音もスピーカー通してるみたいな音量で聴こえるし、周波数が合わない音を聞いたときは、露骨に具合が悪くなる。
好きだったはずの美しい音色が辛くて聴けないという感覚過敏もあるし、歌い出すと気道が収縮して咳込んで歌えなくなる。
頻脈がなかなか改善せず、楽器を演奏すると座位でも120近くになってしまい、とっても苦しくて続かない。ギターもピアノも弾けなくなった。
これまでの人生、私は、失敗も多かったし、間違いもたくさんしてきた。
だから、その結果として当然味わったしんどさも、苦しさも、自慢じゃないけどたくさんある。でも、どんな時でも、音楽に救われてきた。音楽に没頭していることで、心の栄養を蓄えて、また次に向かう力を得てきた。
それなのに、生まれて初めて、何一つ、音楽から分けてもらえるものがなくなって、その切なさ、哀しみは、想像以上だった。
いつしか、もうきっと一生このままなんだろうな、と諦めるようになって、どこかに空虚感があった。
そんなだから、きっと表情筋も衰えていたのかもしれないし、”失って初めて実感した大切なもの” を自分の方からも手放そうとして、諦めかけていたからこそ、精神的・社会的なQOLはなかなか上向かなかった。
だけど、そんな私でも、聴ける音を見つけた。
同じコロナ後遺症と向き合って、諦めずに演奏や歌を続ける同じ病を持つ仲間が出す音だった。
とっても、感動だった。自分がもう無理だと思っていたことを、心を込めて音にしている人がいることに。
そのことに心底、励まされた。
その頃、呼吸リハビリという手法があることも知って、音への憧れに近い気持ちを消せなかった私は、呼吸リハを自分なりに解釈して、時々口笛を吹き始めた。
口笛なら、何度かチャレンジするうちに、咳込むことなく吹けるようになった。細い息で、とても心許なかったけれど、それでも自分では上出来だった。心に水が潤っていくみたいに嬉しかった。音楽とまた出会い直せたみたいで、もう一度、手をつなげたような気がした。以前とは違う関係になれた気もした。音楽と。
その後、しばらくして、歌が歌えた。
あんなに無理だと思っていたのに、歌えたことに、本当に心底驚いた。
表情も、気持ちも、自然と回復していった。
人らしさの回復だった。
そのころの自分の写真を見ると、生気がなく笑顔もぎこちなく、今との違いに我ながら驚くほど。一番多い時で、13種類近くの症状があったのだから、そこからの回復は時間がかかるし、その経過で顔つきが一時的に変化しても仕方がないな、と思うけれど、別人みたい。そのくらい、”生きがい”って、その人をその人たらしめている。自分らしく生きていくために必要なことなんだな、と思う。
仲間を求め、そして仲間を大切でかけがえのない存在だと感じられる心が、自分に残っていて、本当に救われたと思う。
求めなければ、私の前には諦める道が残ったと思う。
ただ徒然なるままに書いてみたくなったのは、今日が大切な人の誕生日だからかもしれません。
ほぼ諦めていた私に、「きっとまた歌えるよ」と、歌えるまでずっと励まし続けてくれた人。たぶん、その人の励ましがなければ、歌おうと思う気持ちが戻るのは、もっとずっと後だったか、戻ってこなかったかもしれないなと思うことがあります。
その人の声が、私は大好きです。声によって癒されることがあることを、病を持ってみて、初めて知りました。セロ弾きのゴーシュが、いろんな動物たちを癒したように。
音楽には心が映されるから、言葉がなくても音から受け取れるものが山ほどある。
これからも、そのことを忘れずに私も音を好きでいたい。
ブレーメンの音楽隊の動物たちみたいに、支え合いたい。
そこから生まれる音を、これからもずっと見つけて生きていきたい。
その時にしか、生まれない音があるし、それって奇跡のようなものだと思う。
ここに載せる曲は、私が演奏をする中で一番大切にしてきたグループで、今も大切に思い合って心から信頼できる大好きなメンバーと、演奏したことのある曲です。数年間、一緒に、色々な場所でたくさんたくさん演奏しました。
今、演奏することで、どんどんリカバリーされ、心に栄養をたくさんもらえました。
大切な人たちを思いながら、私にとってのゴーシュを思いながら。
この曲を歌えたのは、今年の3月末。
杖なし歩行が実現して3ヶ月目のことでした。
何かに絶望しそうになって、諦めかける気持ちが本当によくわかったからこそ、回復への道のりを少しづつでも言葉にして、誰かに伝われば、いいなと思う。
ブレインフォグもあって、考えすぎると脳が締め付けてくるので、文章的にはあまりまとまらないのですが、
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
Some say love, it is a river
That drowns the tender reed
Some say love, it is a razor
That leaves your soul to bleed
Some say love, it is a hunger
An endless aching need
I say love, it is a flower
And you, its only seed
人は言う、愛、それは河だと
それは柔らかな葦を溺れさせる
人は言う、愛、それはカミソリだと
それはあなたの魂が血を流したままにする
人は言う、愛、それは飢えだと
終わりなく疼き求めること
私は言う、愛、それは花だと
そして、あなたはその唯一の種
It’s the heart afraid of breaking
That never learns to dance
It’s the dream afraid of waking
That never takes the chance
It’s the one who won’t be taken
Who cannot seem to give
And the soul afraid of dying
That never learns to live
傷付くことを恐れる心
それでは決して踊れるようにはなれない
目覚めることを恐れる夢
それでは決してチャンスは掴めない
奪われまいとする人
その人は与えることができないような人だ
そして死を恐れる魂
それは決して生きるということを知り得ない
When the night has been too lonely
And the road has been too long
And you think that love is only
For the lucky and the strong
Just remember in the winter
Far beneath the bitter snows
Lies the seed that with the sun’s love
In the spring becomes the rose
夜があまりに寂しく
道のりがあまりに長く
そして愛とは結局
運や力をもつ人のためのものだと思える時
思い出して、冬には
厳しい雪の下に
種があり、太陽の愛で
春にはバラを咲かせることを