![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/134537371/rectangle_large_type_2_e6bf005bcce41dfd0a52af37683b42ac.png?width=1200)
004.一時の出来心か、それとも叩き癖なのか。攻撃に一種の恍惚を感じる人間たちの繰り返される『愚行』
※今回の記事は、特定の人物を貶めたり傷つける意図を持って作成したものではありません。
※現在、記事内で紹介したポストは削除されています。今回の件はX上でご覧になった方も多いと思いますので、少なからず関係者への影響が懸念されます。なので名前は伏せてお話ししております。関係者への攻撃などの行為は絶対にしないようお願いします。
あくまでこの記事は、『SNSでの発言に対しての注意喚起』が目的です。
※今回の記事は、風茶の価値観による意見が存在します。麻雀業界に限らず発言で傷つく人が減るにはどうすればよいかという観点に基づいています。こうすべきというよりは、こうあればいいな、というニュアンスで書いていますので、その点、ご了承ください。
以上をご理解頂いた上で読んで頂けると幸いです。
どうも、風茶でございます。
本日(2024年3月20日)、昼食を終えてXを開くと、ひとつのあるポストに向けての怒りが目に飛び込んできました。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/134537582/picture_pc_7612fea9c756d48cfdd0a074a584b186.png?width=1200)
切り取り、モザイク加工を施しております。
この方がそういう表現をなさったのはあまり記憶になかったので、珍しいなと思いました。それくらいの事が起こるのも納得ではありますが……
もちろん、見てわかる通り、怒りの対象となった当該のポストは、あまり気分のいいものではありません。
世の中には一定数、こういった人がいます。
本当に残念なのですが、こういう『人を攻撃し傷つけるSNS上の行為』は、過去にいくら話題になろうと、たとえ人の命に関わることがあっても、後を絶たないのです。
そして、旗色が悪くなれば(本来そうなって当たり前なんですけどね)、逃げてしまえばいい、と。
Xもそうですが、こういったSNSというものは基本的に言葉のやりとりになることがほとんどですから、こうやって少し都合の悪いことが起こると、証拠を見えなくしてしまえば、見た目上『なかったこと』にできてしまうのです。
当然それは当人の逃避であり、しっかり対象となった相手には傷が残ってるんですけどね。
当該ポストを行ったアカウントも、
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/134537806/picture_pc_096a1fc72880b206fb844b6bb3972db0.png?width=1200)
ご覧の通りです。
全部見えなくしてしまいましたね。
一応謝罪はしているようですが、そもそもこんなことをしなければこうなる事もなかったはずですよね。
こういう人は、どういった思考回路なのでしょうか。
いろんなパターンがあるかと思います。
・何か気に入らないことがあり、その場の勢いなど突発的に発言した『瞬間的な感情』
・相手のことが気に入らず、何をやっても批判したくなる『嫌悪感』
・自分のプライドを守るために何らかのミスなどが目についた時に自分を大きく、あるいは正しく見せるチャンスと思ってしまう『他者否定による自己肯定』
・相手に対して攻撃的な表現をすることそのものに一種の喜びを感じてしまう『サイコパス』
……あくまで個人的な見解ではありますが、さっと思いついたのを挙げてみました。自分で言っておきながら、まあどれも胸糞悪い。
何にしても、発言の瞬間に相手への攻撃にさまざまな理由をつけて正当性を持たせて、自分にゴーサインを出してしまっているのは確かだと思います。
「いけない」と思っていれば、踏みとどまるはずなので。
当該のポストのまずい部分は、その時の相手の行動への意見などではなく、
単純に個人というひとつの存在に対して行われた攻撃であるということでしょう。
このポストは相手の選択やミス対して行われた意見ではなく、それを理由につけた上でその人の存在意義にまで踏み込んだものであり、それ対して何らかの振り返りや議論を行うことなどとは全く次元の違うものなのです。
例えば何かミスが起これば、それに対して対応、改善しようとするならそれは議論として成り立ちますが、そのミスを起こした本人についてとやかく言うのは、論点がすり替わっています。
「このミスはこうやったら防げるのではないか」
と言えば、起こったことへの対応を前向きに考えているけど、
「あなたがいなければこんなミスは起こらなかったからあなたいらない」
と言うと、ものすごい暴論だし、起こったことへの対応を無視して、事象を理由にしてひとつの存在を否定したいだけで、全く論点が変わってしまってますよね、ということです。
聞いてて不快ですし、話がズレてるので納得感に欠けます。
こういうリプって、言った本人にとっては、その瞬間だけは「やってやったぜ」と言わんばかりに気分がいいのかも知れませんが、それ以外の人にとってはその程度のものなんです。
最後は本人も叩かれてポスト消し、アカウント消しなんてことになるなら、最後は誰も得しないんですよ。
これを愚行と言わずなんと言うでしょうか。
今回の件は、とある麻雀プロに向けて放たれた言葉が発端となっています。
彼らは麻雀という競技にその人生をかけて、チーム、個人、いろんな目標に向かってその腕を振り続けています。
そんな彼らに対して、まるで球場で酔っ払いながら「あんな場面でアウトになるやつなんかクビや〜!」と叫ぶようなテンションで、全世界の人が見てるインターネット上に気軽に書き込むようなことではないはずなのです。
そんな人、横にいるだけでも嫌じゃないですか。
まして自分にベクトルが向いてたらもっと嫌なはずです。
なら、当然自分だってやっちゃダメなんです。
これは僕の私見ですが、XをはじめとしたこういうSNSというものは、気軽に何でも言える場ではないと思ってます。
顔が見えない場であるからこそ外してはいけないリミッターはしっかり外さないよう守るべきであり、そこに発言や発信の自由が存在するのです。
『自由』はルールの上に成り立つもので、他人に対して傷を負わせたり迷惑をかけるのはそのルールを逸脱した行為であり、『自由』ではなく『身勝手』である、と思います。
顔が見えないということは、いざとなったら痕跡を消せば逃げおおせる、そんな卑怯な保険などではないのです。
SNSには一定数、このような度を超えた行為が定期的に目につきます。
何でもいいから(無意識にか意識的にかは人によるでしょうが)粗を探し、攻撃対象を探す。
どこかで漠然と、自分が上に立てそう、などという浅はかな思いを持っているのかもしれません。
嫉妬なのか、羨望なのか、マウントなのか。
相手への負の感情でしか自分を肯定できない、という意味では悲しい存在ともいえます。
普段怒りを表に出さない人の怒りを引き出してしまってる時点で、自分が一線を超えていると気づくには遅いのでしょうが、自分が正しいと考えている以上はそれは無理というものなのでしょう。
これらの発言を無視して済むならよいのですが、残念ながらこういう誰かを叩いて気持ちいいタイプの人々は、無視は承認だと考えているため(無視=反論できない、つまり自分のやった事は正しいと認められた、という思考回路のようです。ご都合主義ですね)、大抵の場合図に乗る印象が強いです。
今回のようにまわりが反応し出して「あっ、ヤバいな」と思って何も無かったかのように消えてしまうパターンが多いかなと思います。
かつてのバカッターとかもそうですよね。
その時は面白そうとか、よくそんなことできるなぁとか、そんなノリでやって、炎上してからヤバいって気づく。
そして逃げるまでがお決まりのパターン。
でも、まるで自分はそんな事にはならない、大丈夫と言わんばかりにやっちゃう人が定期的に現れ、みんなしっかり同じ末路にゴールイン、と。
今のご時世、こんなにリテラシーが叫ばれても、人を叩くことで喜ぶ人たちがいる限り、こういった事象はなくならないのかもしれません。悲しいことです。
でも、僕は今回の件を受けて本当にこれだけは言わせて頂きたい。
人を傷つけた時点で、それは、
『エンタメ』でも、『勇気』でも、『正論』でもない。
『愚行』でしかない。
こんな悪意に満ちたコメントに晒されながらも奮闘する人たちは未だに大勢います。そんな皆様の今後のご活躍を祈念いたします。
あ、最後に、今回の記事について、
「お前もポストした奴叩いてんじゃねーか!」
「言われた本人も消してるのに掘り返すんじゃねえ!」
などという意見が出てくるかもしれませんが…
冒頭の注意書きを見てくださいね、と言った上で、
「こんなこと起こらなければそもそも記事にしないし、今後人を変えて同じような事がなるべく起こってほしくないだけ」
と、『理由づけ』させていただきます。
それでは。