【マズローの欲求段階説】欲求段階が上がればコミュニティはいらなくなる

2、3年前から "コミュニティ"  という言葉をわりと頻繁に聞くようになった。

"コミュニティーマネジャー" なる肩書きがアメリカのIT企業あたりから輸入され、これを名乗る人が急増した。

私は "コミュニティ" という言葉が苦手だ。
ゾワっとするような違和感を感じる。

そもそも、ようやく学生時代の強制的集団生活を抜け、組織という最も運営の難しい集団から飛び出し、ひとりで気ままになれる個人事業主になったのにわざわざ自ら集団に所属しないといけないのだろう……。

3人寄れば文殊の知恵、10人寄れば・・・

私はどちらかというと性悪説を信じている。人というのは生まれながらに自己中なもの。集団の中で劣っている人間がいればたかっていじめる意地悪な側面を持っているし、自分が幸せでなければ人の幸せにまで不法侵入して破壊しようとしてくる。とんでもない野蛮生物と(笑)。

もちろん、自分の幸せに責任を持てて、本当に人を思い遣ることができる素晴らしい人だって存在する。うーんでもそういう人はコミュニティにはいないかも。やっぱり集団でやっていくには、少量のずるさと自分の身を守る自己中さが必要だ。だから基本的にほとんどの人が野蛮出身で、社会性という言葉の裏に野性を隠しているだけだと思っている。

そんな人間が集まって問題は起きないわけがない。様々なポジションで、様々な価値観の人が混じり合い、同じ空間で長い時間過ごすならば、必ずドラマ(問題)が起こる。

もちろん映像コンテンツならば、そのドラマ(問題)がなければ面白くないのだけど。

コミュニティってなんだろう?

コミュニティとひとくちに言っても色々ある。地域のコミュニティだったり、友達関係だって一種のコミュニティかもしれない。

Weblioの辞書によると

①人々が共同体意識を持って共同生活を営む一定の地域,およびその人々の集団。地域社会。共同体。

②転じて,インターネット上で,共通の関心をもちメッセージのやりとりを行う人々の集まり。

とある。

なぜ人はコミュニティに所属したがるのか?

なぜ人はコミュニティに所属したがるのか。

寂しいから? 友達がいないと思われたくないから?
人と関わらないと生きていけないから?

コミュニティに所属したいという欲求は、マズローの欲求段階図でいうとまさに所属欲求からきていると思う。どこかの集団に属して安心したいという人間の3段階目の欲求。

さらに、"XXXXに所属している" という肩書きで満たされる、4段階目の承認欲求もあるだろう。

2020年を生きる人々の多くがまだ7割の人が強く持っている所属欲求と承認欲求だ。

コミュニティマネージャーが機能する場所

コミュニティマネージャーの存在がうまく機能しているところというのは、コミュニティの提供がサービスになっている場所だろう。

パッと思いつくのはコワーキングスペース。

一人でも仕事ができるところを、人が集まるコワーキングスペースでわざわざお金を払って仕事をするということは、そこに集まる人と知り合いたい、など関係値を作ることを期待しているのだろう。

そんな時にイベントを催して、利用者と利用者を繋ぐコミュニティマネージャーは不可欠なポジション。出会いを期待して入会してくるユーザーを放ったらかしにするコワーキングはすぐに衰退するはず。

つまり人との出会いを期待するサービスに関しては、コミュニティマネージャーの存在はサービス提供者から知ってもWinだし、参加者からしてもWinだ。

人との出会いをサービスにしている場所でのコミュニティという言葉はすんなり受け入れられる。

デメリットは運営者による搾取?

コミュニティに所属するメリットは、所属欲求と承認欲求が満たされる。

趣味のコミュニティなら同じ分野で友達ができて楽しい、最新情報が入手できるなど、人脈からチャンスが生まれるなど属するコミュニティによってそれぞれあるだろう。

ではデメリットといえばどうだろう?

ボランティアや趣味のコミュニティではない限りは、コミュニティは運営者に利益が上がるようにできているということ。

当たり前だが企業の "コミュニティーマネジャー" は企業の顧客を増やしたり、利益をあげたりするために存在している。

また個人の運営するコミュニティもしかり。

オンラインサロンやコミュニティの参加費用は運営者に入っているのだし、そこで展開されている思想も運営者が参加者からお金を引き出しやすいものになっているだろう。

だから洗脳具合によってはコミュニティは搾取にもなりうる。運営者のカリスマ性が高ければ、そこは教祖ビジネスになっている可能性も高い。逆をいえば、参加者をうまく誘導できればコミュニティは儲かるとも言える。

コミュニティに関しての違和感はこの "下心" だった。

欲求段階が上がればコミュニティはいらない

下心のあるコミュニティ運営者のカモになってしまう人といえば、冒頭にあげた所属欲求、承認欲求が強い人だろう。

前者なら「ここはあなたの居場所だよ」と優しい言葉で、後者なら「所属すればあなたの価値が高まる」など甘い言葉で勧誘してくるかもしれない。

そもそも他者がいないと完結しない人生というのは危うい。その他者を失いたくないために、必要以上に相手に媚びたり、他者の考えを自分の正解にしてしまったりする。

これまではそちらの方が生きやすかったかもしれないが、今後はそうはいかない。

欲求段階が一般より1段階上がっている人といえば、ソロキャンパーとして再ブレイクしているヒロシかもしれない。

彼のインタビューを引用する。

ソロキャンプをやっていると、“ひとりではさびしいでしょ” などと言われますが、そんなことはありません。むしろ、他人への忖度がない分、居心地がいい。ひとりがさびしいと思うのは、周りの人の目が気になるからだと思うんです。かくいうぼく自身、自分のやりたいことをがまんして周りに合わせなきゃ、という思いにしばられて苦しんだ。苦悩の末に、自分がやりたいことをやれれば、人はどうでもいいと思えるようになり、楽になったんです。なんでも誰かと一緒にやらないといけないと思っていた方が疲れませんか? もちろん仕事では、そうもいかないでしょうが、好きなことをするのにひとりじゃダメってことはないと思います

彼がいるのはまさに自己実現の段階。ここに到達すればインタビューにもあるように、他人の目が気にならなくなる。自分のやりたいことに集中しているからだ。どこかに所属したい、誰かに認められたいといい欲求が薄くなり消えていく。

そもそも孤独がだめ、人と関わらないとだめというのも、思わされていることかもしれない。そういった意味でも今のコミュニティ盛況の時代というのは前時代的思想と思う。












この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?