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あなたの「音」もコンテンツになるー声でマッチングする未来ー

在宅勤務になって、音楽を毎日聞くようになった人も多いのではないだろうか。
音楽アプリ「spotify」や「podcast」、ひいてはラジオの利用者まで増加しているらしい。

また、アメリカでは「Clubhouse」 という音声SNSがシリコンバレー界隈を賑わした。
このサービスでは、様々なテーマのおしゃべりが開催されて、自由に参加したり質問したりできるのがウリらしい。
テック業界の有名人が参加していることで、注目が集まったようだ。

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出典:https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2004/30/news044.html

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出典:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000455.000007597.html



僕自身も、苦手意識を持っていたクラシックに触れる時間が増え、格段に音楽を楽しむ時間が増えた。
そう言えば、ブルータスの6月号の特集も「クラシックをはじめよう。」だった。

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出典:https://magazineworld.jp/brutus/brutus-916/



リモートワークによる「視覚」疲れから、視覚以外の情報が求められているのではないか、と推測される。
「味覚」「嗅覚」「触覚」に比べると、「聴覚」データはmp3形式で容易にやりとりできて、現在のインターネットと相性がいい。

音が唯一無二なものだった時代


先日は終戦記念日だった。
1945年のあの日、国民のほとんどはラジオを通して敗戦を知り、多くの人は泣き崩れた。そのとき初めて天皇の声を聞いた人が殆どだったと言う。

現在では考えづらい光景だが、その理由の1つには、音に対する捉え方の違いがあるように思う。

恐らく彼らは、あたかも天皇が「そこ」にいるように感じたのではないだろうか。

映像が作られ始めた黎明期に汽車が走ってくる映像を流したら、多くの人が逃げ惑ったと言う話をどこかで聞いたことがある。
同じように、音はどこかで収録されたものと言うよりも、あたかもそこで演奏されたり話されたりしているように感じたのではないだろうか。

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出典:https://www.kyodo.co.jp/photo-archive/shuusenkinen/attachment/%C2%8Fa%C2%82%C2%AF%C2%90o%C2%82a%C2%8E%C2%A8%C2%8Cx%C2%82%C2%AF/


レコードのアナログ音声とCD以降のデジタル音声も大きく異なるものである。

僕がかつてお世話になっていた1人に、日本で始めての選曲家(所謂DJ)の桑原茂一さんがいる。
桑原さんはいつも、アナログ音声の魅力を語られていたが、要約すると以下のようなことだったと思い出される。

(略)たとえば歌手のブレスや息づかい、あるいは細かいビブラートのニュアンスなどが、レコードの得意なところだと思います。「スタジオで聴いていた音が、そのままレコードに刻まれ、お客さまのところまで届いている」という感じがします。
出典:https://www.denon.jp/ja-jp/designseries/record_interview.html

アナログの音声とは、レコードに窪みを作る「空気の震え」のようなものが刻まれているのだろうか。


話は少し変わるが、内田百閒の「サラサーテの盤」という小説がある。
死んだ友人の妻が、幾度もレコードを返せと訪ねてくるというあらすじなのだが、そこで登場するのがサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン 」というレコードである。

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出典:https://ameblo.jp/classy-cafe/entry-10530061650.html

良かったら画像をクリックして聞いていただきたいのだが、このレコード、3分38秒のところで、意味不明な雑音が入っている。
どうやらサラサーテがうっかり口にした音が、そのまま刻み込まれてしまったようだ。
これは、録音が一度きりしかできなかった時代の名残である。

20世紀初頭のレコード吹込み時間は短く、また録音原盤自体が修正録音のできない一発録りのディスク媒体であった時代で、後年なら雑音としてカットされるような小声もカットできないまま販売に至ってしまった。
(wikipediaより)


この声が何て言っているのかそれを何度聞いても分からないというのが、「サラサーテの盤」の面白さに繋がってくる。

以上のように、アナログな/これまでの音楽は「唯一無二」で「音をそのまま再現する」ような傾向があったようだ。

どんな音でも収録し、配信できる時代


しかし現在は、事情が全く違う。
昔見た古いTV番組も、今は亡きピアニストの鍵盤の弾きも、みんな手軽に「聞く」どころか「見る」ことまでできるようになった。

それに加え、spotifyやdiscordを使って、動画や文章以上に手軽に発信=配信することまで可能になっている。

そう言った意味で、音は唯一の情報源であったり、聞き逃したら最後の一度きりの情報ではなくなり、大量生産・大量消費される情報になったと言うことが出来るだろう。


ある意味では、デュシャンの「泉」(便器にサインしただけのアート)がそれまでの芸術に終わりを告げたのと同じような構造だと思う。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89_(%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3)

大画家が書いた1枚の絵に価値があるのではなく、量産されるトイレすら、商品として価値が生まれるようになったのだ。

言うなれば、今まで無価値と思われていたどんな音も
(商品)価値を持ちうる時代が訪れている、と言っても過言ではない。

最近の音サービスについて

官民問わず、音を起点にしたサービスが拡大している。
これはこれとしてまとまっている記事があったりするので深追いはしないが、
一つの方向性として「その場所ならではの日常音」と言った方向性があるように思う。
最近では

音楽で行き先を探せる「Placy」、8月16日より六本木ヒルズ森タワーで展示開催(今年8月)
と言ったニュースや、省庁まで絡んだ
日本の「音」を世界へ発信する「Sounds of JAPAN」プロジェクトを始動~地域の環境音・自然音を観光資源として発信~

と言ったサービスが存在したりする。

少し前に「チョコレイト」と言うイケイケのコンテンツ制作会社の方が、こんな企画を考えていたが、先見の明があったと言うところだろう。

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これも、日常の音に価値を見出したサービスである。


もう一つの方向性として、
瞑想を手助けする=マインドフルネス的な音の使い方・方向性があるようだ。
こちらは、ニューヨークでも同じようなものが流行っているらしい。
例えば、音で飛ぶ、寺社の新体験。アート活動、SOUND TRIPが始動のようなサービスが挙げられるだろう。


以上をまとめると、リモートワークの一般化に伴って、
ビジュアル的にインプットするのではなく、audiobookやpodcastのように耳から音で情報を入れる
それまではあって当然だった日常音を作業のバックミュージックに使う
気分転換用に、感性を刺激する音を使う
の3つの方向性が生まれて来ていると考えられる。

音にまつわる未来

最後に、音にまつわる未来を簡単に考えてみたい。

ソニーの電気自動車に付属されている360°オーディオのように音の高品質化が進むと、あたかもレコード時代のように、ライブで聞いてるような体験が
可能になるに違いない。
VRと音を組み合わせて感覚を刺激するようなものは現在でも存在するが、様々な「ライブ感」「没入感」が実現されていくだろう。

また、人間の欲望というのは、恐ろしいほど際限がない。

ASMR( 人が聴覚や視覚への刺激によって感じる、心地良い、脳がゾワゾワするといった反応・感覚。この記事によれば、高校生は「咀嚼音」や「囁き声」にハマっているそうだ)と呼ばれる「気持ちの良い音」が存在するが、「気持ちの良い」音の解析が進めば、様々な音フェチや音の好みが生じてくるに違いない。

例えば、電話で始まるマッチングなるものは既に存在するが、あなたの好きな声を解析して最適な相手をレコメンドする「声マッチングアプリ」なるものは、そう遠くない未来に誕生するだろう。
あなたのspotifyの履歴から、好きな声のアマチュア歌手を簡単に見つけて応援できるようになるのはそう遠くなさそうだ。


メディアはマッサージである」というマクルーハンの言葉が頭をよぎる。

#未来予報士 #未来予測 #アフターコロナ #音 # VUI #audiobook  

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