魂の対話
読書とは、書き手との魂の対話である。『日本の美学』(実業之日本社)のなかで、執行草舟氏はそのように語る。知識を得るための読書、自らがもつ疑問に答えを求めるための読書、いずれも読書に値しないものと喝破する。
意味などわからなくてもよい。ただ、偉大な書き手との魂の対話をするのみ。目的は知識や教養を得ることではないから、辞書なんか引かないし、間違った意味に理解しても問題はない。むしろ、時間や空間を越え、書き手が目の前に現れるように本を読めるのだという。
「マンガでわかる」「イラスト豊富」「ゼロから学ぶ」……とにかく平易に、手に取りやすい内容でないと本は売れないという思い込みが、本の作り手にあるのかもしれない。
この決意で読書に臨みたいものである。「知識や教養を得るため」といった小さな目的など忘れ去れば、好奇心や直感の赴くままに本との出会いを楽しめるのではないか。
あくまで、これは読書を捉える一つの解に他ならない。しかし、この決意をもって読書に臨む読者が増えれば、業界の未来は変わるだろう。
聞いた話だが、西田幾多郎の『善の研究』が発刊された当時、書店にはとぐろをまくような、まさに“長蛇”の行列ができたという。欧米列強に肩をならべようと、日本人の哲学を死に物狂いで構築せんとした西田の魂に、触れたかった人々の覚悟がそこにあったのだろうか。
最新機種のスマートフォンではなく、1冊の本を求めて、開店前から行列ができる書店の光景を見てみたいものである。