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どこまで成長すればいいのか? - 資本主義社会における成長信仰を問い直す。

現代社会では「成長」が至上命題のように語られています。しかし、私たちは本当にずっと成長し続けなければならないのでしょうか。

成長信仰の正体

「社員のみんなも『成長したい成長したい』って言うんです。『私はこの会社に成長したくて入ってきました』『お客さんに価値を返したいです』って」

大手企業では、成長が社員の評価基準として組み込まれています。3年目までにここまでできるはず、5年目なのにこれだけやれている、といった具合に、年次と期待される成長度合いが明確にリンクしています。しかし、この画一的な成長観には大きな落とし穴があります。

現状維持の価値

介護の現場から学んだ重要な気づきがあります。「アルツハイマーやリハビリをしている方々にとって、成長じゃなくて現状維持が素晴らしいことなんです」という発見は、私たちの成長観を根本から揺さぶります。全ての場面で右肩上がりの成長が正解とは限らないのです。

自己評価の新しいカタチ

私が経営する美容サロンでは、従来の評価制度を見直し、興味深い取り組みを始めています。「評価チェックシート」ではなく「振り返りシート」と呼び、社員が自身の成長を主体的に振り返る機会を設けているのです。数値化された評価ではなく、個人の気づきや成長実感を重視するこのアプローチは、新しい評価の形を示唆しています。

会社の評価軸から自分の物差しへ

「今は自分がどうありたいかというのをベースに考えている。会社員の頃は他者の評価軸で生きていた」

この言葉は、多くの会社員の実感に響くのではないでしょうか。他人や組織が設定した成長の物差しではなく、自分自身の価値観に基づいた成長の定義を持つことの重要性を示しています。

自分のゲームを選ぶ

人生とはある意味でゲームのようなものです。しかし、どのゲームをプレイするかは自分で選べます。大企業という「マトリックス」の中で生きるのも、独立して自分なりの道を歩むのも、それぞれの選択です。重要なのは、その選択に自覚的であることです。

まとめ:成長の再定義へ

結論として、「どこまで成長すればいいのか」という問いには、画一的な答えはありません。むしろ、その問い自体を問い直す必要があるのかもしれません。自分の現在地を正確に把握し、自分なりの成長の定義を持つこと。それが、過度な成長信仰から解放される第一歩となるのではないでしょうか。

「基本的に人は誰もが生まれながらに成長を求められているわけではない」という気づきは、現代社会を生きる私たちへの大きなヒントとなるはずです。

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行き過ぎた資本主義に違和感を感じる元ゴリゴリのビジネスパーソンでプロコーチ二人が「はたらく(キャリア、人生、副業、家庭)」をテーマに、これからの新しい生き方について一緒に考えるPodcastです。

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