ギフテッドって?<クラファンチャレンジ特別記事②>
そもそもギフテッドって???
という疑問が浮かんでくるだろうと思います。
「みんなギフトを持っている」
とか
「発達障害もギフテッドだ。」
等という願いはとりあえず横に置いておいて
はっきり言って「決まった定義」はないのですが、
だからと言って「みんなギフテッド」ということでもない。
今は、特にどのような基準で世の中が動いているか?というと
文部科学省が発表している報告書を基準に考えるとよいのだと思います。
その中を抜粋すると
私が開校準備を行っている主にお預かりしたいと思っているお子さまは「知的ギフテッド」と称されるIQが高いけれど、それゆえに学びづらさや生きづらさにつながってしまっているお子さまです。
じゃぁ、それ以外は通うことができないのか?と言われるとそういうわけでもない。と伝えたい。
文部科学省が「はっきりした定義がない」と言っている以上、「ギフテッド」であるかもしれない。その疑いがある。という状態であってもその子の教育環境をしっかりと整備してあげるべきなのです。
まさに、特別支援教育の一つだと考えています。
社会を見渡してみると目を見張る活躍をしている人の多くは「ギフテッド」であろうと思われるし、その一方で「発達障害」であるとも言われていたりこします。
ユニークさというのは他と違うということであり、そのユニークさを「才能・長所」と捉えるか「苦手・短所」に目を向け「障害」と言うのかは表裏一体なんだと思います。
日本では「ユニーク」は「変わっている」ということで、良くないイメージをしがちだと思うのですが、「ユニーク」というのは決してネガティブワードではないのです。
だから、お父さん、お母さんが「うちの子はユニークで才能がある。可能性を秘めている。」思うなら、その可能性を信じてお子さんの「やりきりたい」を支えてあげてほしいと思います。
もし近くにギフテッドのお子さんの教育環境を模索されているご家族さまがいたら、ぜひ、ご相談ください。
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