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なぜ、ギフテッド<クラファンチャレンジ特別記事①>

これまでの人生のほとんどを<ユニークな子>の教育サポートに費やしてきた。
当初はやはりその当時ほとんどサポートが受けられなかった「学習障害、ADHD,高機能自閉症などの発達障害」をメインに学習支援や野外活動等のサポートで彼らの発達援助を行っていた。
時には、知的障害の子たちも混ざっていたが、障害の有無は私のところでは関係がないので、保護者の方が支援の内容を納得してくだされば、喜んで受け入れをさせていただいた。

一人でも多くの人に発達障害を抱える子どもたちを理解してもらいたくてあちこちに出向いていって話をして回りました。

その時のエピソードでずっと忘れられないことがあります。

知人が進学塾に勤めていたので、「発達障害の子への適切な配慮のために指導者がまず知ってほしい。」と伝えました。

そうすると彼は言いました。
「僕のところは進学塾だからそういう子たちはいない。」と。

私は、その時にがっくり_| ̄|○と肩をおとしたことを鮮明に覚えている。
現に私のところには進学校に通っていた子も少なからずいたし、今で言うギフテッドの子たちとの関りもあったからです。

私はその時、思いました。
教師や支援者など、子どもの教育や発達に関係する人たちは子どもたちには「頑張って勉強しよう。」とか「知らないことを知ろうという努力をしよう。」とか諸々のことを言うのに、自分たちは自分の知らないことや知る必要があることに関してもバッサリと切り捨てて既存のものだけで安心しているのか。どうして大人の私たちも子ども同様、いや子ども以上に知ろうという努力をしないのか?
と。

それは地域の教育関係者も同様だった。
「私たちの地域の支援はどちらかというと進んでいる方やで。」という反応だった。
その頃、子どもがちょうど地域の教育を受けている頃だったので、現場がどんなものか知っていただけにあきれたことを覚えている。

そんな厳しい洗礼を受け続けてきた私は、そういう人たちと距離をおいて事業をすることに決めた。
その結果、私のところに来て学びたいという人のほとんどは保護者の人たちだった。
今も保護者の方たちは自分の子どもに関わることだから一生懸命に知ろうとしているし、子どもにどういう環境が良いのか?を模索している。
そりゃ、そんじょそこらの先生は太刀打ちできないだろうと思う。
ただ、保護者の人たちは先生をやりこめてやりたい!と思っているのではなく、シンプルに「子どものことを理解してほしい」だけなのだ。

私はそんな世の中のことを理解しているからこそ、
社会がまだ、彼らのサポートに追いついていないのだから、
できることを始めていかないと適切なサポートを受けられない「子どもたちが犠牲になる それは、絶対避けなければ・・・」と思い続けてきた。

そして、今、「発達障害児の支援」は良くも悪くも広く広がり、様々な選択ができるようになってきた。

だからいま「ギフテッド支援」なのである。
実際、ギフテッドの子たちが集まる高学歴の大学はいち早くこの問題に取り組んできている。
そうしなければ、日本の大切な才能が埋もれてしまい、日本の大きな損失となってしまうからだ。
がしかし、本来はできるだけ早く適切な理解のもと彼らを育んでいかなければならない。
そう、ずっと思い続けてきた結果、神様は私にオルタナティブスクールを開校するという機会を与えてくれたのだ。
様々な問題が山積みで簡単には進まない毎日だけれど、それは子どもたちの置かれている環境も同様で、子どもたちが逃げ出さないのに、大人が逃げ出すわけにはいかないでしょう・・・

ということでクラファンどうぞ、よろしくお願いしますm(__)m