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放課後デイにもいる隠れギフテッド


11月になってしまいました。
毎日がチャレンジの日々ですが、その中で放課後デイの現場にお邪魔することもあり、今更ながら驚くことも少なくありません。

現場で驚くこと

一つは、年齢にもよりますが、

「この子たちは通常級で配慮を受けるだけのサポートでもいいのではないか?」

と思う子が多く存在していることです。
学校にもよりますが、様々な個性や特性を持つ子どもたちが互いに認め合い、尊重し合って育つ環境が必要です。知的発達に遅れが見られない場合は特にそうです。
多くの子どもたちの中で育つことが、彼らの大きな成長を可能にします。
大きくなればなるほど、人との関わりの中で成長していくのですから。


もう一つは、

「ギフテッドの子が様々な組織の中に埋もれている」

ということです。
放課後デイや不登校の子の居場所、子どもの第三の居場所などと呼ばれる場所においてもそうです。
発達障害の支援をしている時も感じますが、グループ分けがあまりにもおおざっぱです。
それぞれの特性を踏まえてサポートをすべきなのに、ざっくりと
「発達障害児」や「不登校児」といったレッテルで分け隔てるのは本質的ではありません。
その子の特性や個性を理解することが大切です。
どこに属しても構いませんが、その子にとって適切な教育環境があることが重要です。
障害の有無ではなく、能力に焦点を当てるべきです。
頑張ることができる環境が必要です。

そんな風に思うと、放課後デイにいる気づかれていないギフテッドの子どもたちは、その環境で未来を拓いていけるのだろうかと懸念します。

言語能力が高いギフテッドの子と、衝動的で視覚優位なADHDの子がトラブル

を起こしました。
これはよくあることかもしれませんが、その原因は支援する側にあることも少なくありません。
それにもかかわらず、周囲は通常のソーシャルスキルトレーニングのように、子どもたちを落ち着かせ、状況を説明し、手を出したことを反省させるというパターン化された対応を取ります。

ギフテッドの子は話のやり取りを理解し、自分なりに解釈して怒ります。一方で、ADHDの子は出来事を自分なりに解釈し、良かれと思って行動します。ギフテッドの子が言いたいことを理解する間もなく感情的になり、手が出てしまうこともあります。結果として、子どもたちは自身の言動を振り返り、反省し、謝罪させられるのです。

もちろん、反省は必要ですが、なぜそうなったのかを理解させるために、いつも同じ対応では不十分です。
特に、支援者が最初に子どもたちが違和感を訴えた段階で対応を変えていれば、喧嘩には発展しなかったかもしれません。
それをそのままにしていたからこそ、喧嘩に至ったのだと思います。
わざわざけんかに発展する原因を支援者が作り出していることにきがつかないのです。

いつも言いますが、

ほとんどの問題は子どもたちにあるのではなく、支援者や教育者側に原因があります。

子どもたちに適切な教育、特別支援教育を実現することは依然として大きな課題です。
特に現在は、ギフテッドの子たちをどのように環境に適応させるかを優先的に考える毎日です。

久しぶりの投稿なので、いつも以上にうまく書けません。反省💦