五感と脳の共進化
6.3億年前に浅瀬の大陸棚が広がり大量の光と栄養塩と酸素が海中にあふれたとき、豊富な素材を活用して繁殖する生命たちの生存競争が新たなステージをむかえる。
●神経組織の誕生
6.3億年前のエディアカラ紀の大陸棚で、急増した太陽光と栄養塩を背景に光合成を行う微生物(シアノバクテリアなど)が大量増殖し酸素を急増させる。
豊富な素材を活用する多細胞生物の最初の戦略は、捕食されない大きな身体を得ることだ。大型化のためには、それを維持するエネルギーが必要となる。「多細胞組織」を使って「エネルギー獲得手段」を構築し、生産したエネルギーをもとにさらに大きな身体をつくる共進化サイクルがうまれる。
大型化とエネルギー獲得手段の共進化
スポンジのような海水と一体になる形態から、皮膚で外側と内側を分ける戦略への転換があらたな分岐点となる。皮膚を改造して、エネルギーを効率よく獲得する窪みを作り繊毛により積極的にエサをとりこみ、外側と内側の収縮によるわずかな移動手段を構築する。
やがて、エサに反応して行動するため、「触覚センサー」の入力信号を変換した「行動信号」を「高速通信路=神経組織」により複数の「運動組織」に伝達する連携システムを構築し、このあらたな構造をボディプランとして改良を加え続ける神経系進化サイクルがうまれる。例えば、口の周辺の触覚を食べる行動につなげ、眼点を使って光を検知し、皮膚刺激に反応して退避する方向への収縮運動を誘発する。
「センサー」から「運動組織」への高速信号路
●肉食動物と淘汰圧が「脳」をつくる
カンブリア紀(5.41~4.95億年前)直前に起こった大型生物を捕食する肉食動物の登場が、生存戦略の大幅な変更のきっかけとなる。
多くの種を絶滅させる淘汰圧は生物の急激な進化をうながす。肉食動物の一方的な繁殖は、被捕食側を絶滅の危機に追い込む。そしてエサをたべつくしてしまえば肉食動物もまた絶滅してしまう。肉食動物の誕生がきっかけとなり、生態系全体を巻き込んで大幅な戦略変更とあらたな均衡の模索が始まる。そして大陸棚は、豊富な材料をもとにあらたな進化を試みる生物たちの壮大な実験場となる。
最新の技術を使って個別の部位を革新するだけでは、激しい生存競争を生きのびることはできない。複数の革新的な組織を効率よく連動させることに成功したものだけが、獲物を捕食し、捕食されない身体を獲得して生き残ることができる。
膨大なボディプランの改造と生存競争を繰り返し、ついに複数の体組織を連動する「情報統合組織」として「神経集合体=脳」を口近くに形成する。あらたなボディプランは「センサー」や「運動組織」の高度な連携を可能とし、さらに生物進化を加速する。そして、移動するエサや脅威をとらえる「眼」、高速に移動する「筋肉」を生み出したとき大陸棚の軍拡競争がさらに激化する。
初期の「脳」の基本プラン
●「眼」と「脳」の共進化
あるとき、散在する光受容組織を集め、脳の一部を触覚から視覚に転用してつくりあげた「眼」による狩りが始まる。最初に「狩りをする眼=鉱物の複眼」を獲得したのは節足動物であり、脊椎動物の祖先はもっぱら逃げるための戦略として「眼」を活用する。
「複眼」は移動するエサを識別するのに有利な構造だ。節足動物は、多数の「複眼」から得た膨大な視覚情報を統合して「移動するエサ情報」を構築し、それをもとに「追尾行動命令」を生成して高速通信路で「筋肉」に伝え、高速にエサを獲得することにより優位となる。
一方、被捕食動物は移動する物体を検知することよりも、最小限のエネルギーで巨大な生物の接近を明暗で検知して逃げることを優先する。皮膚全体に配置した数個の「点眼」を使って全方位から近づく脅威を検知し、海底や岩場への高速移動するための「脳」と「筋肉」の連携を得たものが生き残る。
カンブリア紀の動物たちは、さらに「神経組織」を改良、脂質による絶縁膜とナトリウムイオンによるデジタル高速通信網を整備し、カルシウムイオンによる終端制御や筋収縮により瞬時の行動を可能とする。「神経系」制御の高速化は俊敏な移動を可能として、追われる側に大きなプレッシャーをかける。
●「カメラ眼」と「空間情報(マップ)」の共進化
カンブリア紀(5.41~4.95億年前)からシルル紀(4.44~4.19億年前)をへてデボン紀(4.19~3.59億年前)に入るころ、脊椎動物の魚類が丈夫な顎と、遺伝子重複により「カメラ眼」を手にいれて、活発な肉食を行うようになる。
「カメラ眼」は、レンズを使って鮮明な像をとらえる眼であり、海底の地形やエサ・脅威の正確な空間情報を取得可能となる。「カメラ眼」から入ってくる膨大な情報を使いこなすためには「脳」の進化も必要となる。「カメラ眼」と「脳」の共進化により、眼・耳・皮膚から得た情報を統合して「空間情報(マップ)」を形成し、より正確にエサ・脅威の情報を得て行動できるようになる。
「カメラ眼」と「空間情報(マップ)」処理の共進化は眼を巨大化するとともに、それぞれの感覚からの入力情報を統合処理して「感情・本能」に変換し、刻々と変化する環境に素早く反応する即応連携シーケンスを構築する。
脳の「感情・本能」による即応連携シーケンス:
・視覚運動: 眼を動かし、ピントを合わせ
・感覚: 対象の形や動きを認識してエサと脅威を区別し
・注意: エサ・脅威を選択的に注意を向けて
・感情: 「喜び」や「恐れ」の感情に変換して、
・統合行動: 対象に身体を向けて、もしくは対象から離れるよう移動する
脳による即応連携シーケンスを構築した魚類は、顎の強化・大型化の共進化サイクルを進め、節足動物を凌駕するようになる。
●「嗅覚」と「本能・記憶」の共進化
魚類が「嗅覚」を得たことが次の転換点となる。「嗅覚」はエサや脅威のまきちらした化学物資の痕跡を識別・記憶し、過去の記憶にもとづいて思い出し、その場所をエサ場としたり避けたりするために有効だ。このため、嗅覚は他のセンサーとは異なるルートで脳と連携し、嗅覚とともに行動シーケンスを誘発する「感情・本能」と「記憶」をつかさどる脳の部位が共進化することで、より狡猾に生き残ることに成功する。
脊椎動物の「脳」の基本構造
太古に生まれた「感情」は、ヒトの「意識」のベースとなり、同時に発生する五感・内感とその「相互作用」を評価し即時の対処をうながす即応装置として最初に発動する。ヒトにつながる、外部情報統合にかかわる脳のボディプランは概ね完成した。これ以降、生活環境を陸上に移し、環境との相互作用により五感・内感の情報統合組織として大脳を発達させてゆくこととなる。
多細胞生物は、体内組織間の共進化を繰り返すことによりあらたな連携構造をつくり、生存で有利であったものをボディプランとして残し、その上にあらたな仕組みを組み上げていく。いったん作られた仕組みを捨てずに残し、必要ならば別の用途に転用して体組織の複雑な連携構造を編み上げてゆく。
参考書籍:
[1] 植田和貴(2021), "[日系BPムック] ダーウィンが来た! 生命大進化 :第1集 生き物の原型が作られた(古生代から中生代 三畳紀)", 日経ナショナルジオグラフィック社
[2] アンドリュー・パーカー(2006), "眼の誕生 --カンブリア紀大進化の謎を解く", 渡辺政隆, 今西康子訳, 草思社
[3] 坂井建夫, 久光正監修(2011), "ぜんぶわかる 脳の事典", 成美堂出版
[4] 大隈典子(2017), "脳の誕生 -- 発生・発達・進化の謎を解く", ちくま書房
[5] トッド・E・ファインバーグ, ジョン・M・マラット(2017), "意識の進化的起源 :カンブリア爆発で心は生まれた", 鈴木大地訳, 勁草書房
[6] 丸山茂徳(2018), "地球史を読み解く", 放送大学教育振興会