仮説推論と類推で紡ぐ「未来の物語」:推論という考え方
ヒトは、生存確率を高めるための戦略として複雑な世界から収集した情報を統合して「イメージ」として記憶し、認知できないものを想像して行動する能力を獲得した。より多くの経験を記憶したものの生存が有利になるが、記憶の、検索の、判断の経済性、エネルギー最小化の戦略が生死を分けた。
大脳皮質は司令塔となるが、そこに統合され「イメージ」する情報は「氷山の一角」であり、大半の情報は「暗黙知」として意識されることなく処理され、脳内にバーチャルな「イメージ世界」をつくり解釈する。例えば、目に向かって何かが飛んできたときに、まず目をつむり、後から何が起きたかを「推論」し行動を決定する。
「類推」や「喩え」も常時行われている意識外の情報圧縮操作だ。情報を「イメージ」として圧縮して記憶し、検索と判断を即時に行うために獲得した能力が「仮説設定」と「類推」だ[1]。
●仮説設定による推論
〇思考のための前処理:カテゴリー分け
ヒトは、「思考」のエネルギーを最小化するための前処理として、性質や構造的に似たものを探し「カテゴリー分け」して考慮すべき情報の範囲を限定し、思考をより確実なものへと絞り込む。
「カテゴリー分け」は、対象が持つ特徴を一つ以上取り除くということであり、対象となるモノの特徴を見失うことにもつながるため、複数のカテゴリーを使い分けるなどの工夫が必要となる。
〇推論
「推論」は、ヒトの思考を論理学的として定式化した考え方であり、
と定義される。「推論」には、演繹、帰納、アブダクション(仮説推論)がある。
ヒトの「思考」は、次のようにモデル化できる。
ヒトが実生活で思考する際には明確に演繹、帰納、アブダクション(仮説推論)に区別しているわけではなく、状況に応じて、使い分け、混合して、行き来しながら意識することなく利用している。
■演繹
段階的で、分析的で、三段論法のように「ロジックの連鎖により順序だてていく推論」であり、論理的な帰結を示すのみで新しい仮説を生み出すことはない。「演繹」は与えられた観察データを説明するための論理を形成するものであり、最初の前提となる定理に間違いがないことが前提となる。
ヒトが純粋に「演繹」で考える場面は希であり、大抵は不確実な状況にもとづいて「思考」を行わなければならない。不確実なものに出会った時、カテゴリー分けを行い、これをもとに「推論」を進め、不確実性が全て取り払われたときに、推論ははじめて「演繹」可能となる。つまり演繹は「推論」の特殊ケースということだ。
■帰納
「複数の事例から一般的法則を引き出す方法」であり、事実にないものを生み出すことはできない。「帰納」は観察データにもとづいて一般化をするための方法で、ロジックの中から外に広がっていこうとする推論だが、ある特定の時空間だけなりたつ法則もあり極所解におちいりやすい。
ヒトの経験にもとづく行動は、帰納にもとづくといえる。
■アブダクション(仮説推論)
新しい仮説を設定する新たな発見の論理であり、「驚くべき事実C」を説明できる「仮説H」を導出する推論。
次のような例では、
「仮説H」が真であれば「事実C」が当然のこととなる、という方向に考えて「事実C」から「仮説H」を導出している。「仮説H」から「事実C」にもどってくるように推論を重ねるということだ。
「アブダクション」は、複雑な自然のなかでヒトが生きていくために獲得した「未知の事実から仮説をたてて推測する」能力を活用する推論であり、科学者はもちろんビジネスにおいても、演繹や帰納を用いる際にも「仮説」をたてながら思考をすすめる行為を自然に行っている。
そして、Aha!、エウレカ、天啓を得た!という、発明のヒラメキ瞬間にもアブダクティブな思考が働いている。