産業革命はなぜ18世紀にイギリスで始まったのか:封建社会の壁と交通・経済のネットワーク
上下水道や舗装道路など進んだ技術を利用していた古代ローマが産業革命を起こさず、18世紀のイギリスでなぜ産業革命という急激な変化が起こったのだろうか。
古代ローマや18世紀のヨーロッパ諸国においても奴隷などの安価な労働力を有する国々は、機械による自動化という発想すらなかった。一方、18世紀の世界の中心だったイギリスは「高賃金の労働者」と「低コストのエネルギー(石炭)」を保有していたため、蒸気機関などを使った機械による自動化のメリットがあり、後に産業革命と呼ばれる急激な発展をとげることとなる。
●「革新的変化」モデルの視点
環境に適応すべくさまざまなネットワークを広げるうちに超えることのできない【巨大な壁】につきあたる。【巨大な壁】の内側でネットワークは集散、拡大、刈り込みを繰り返しながら、環境変化に適応しながら【ネットワーク・プラットフォーム】を形成する。あるとき発生した【急激な変化】をきっかけとして、プラットフォームをベースにネットワークの形を変え、【突破口】を捉えていっきに【巨大な壁】をつきやぶり爆発的な速度で新たなネットワークを形成し始め、革新的変化が爆発する。
【巨大な壁】、【ネットワー・プラットフォーム】、【急激な変化】、【突破口】という視点で産業革命をとらえなおす。
●17世紀にたちはだかる【巨大な壁】
17世紀までのヒトは、その発展とともに集団の規模と居住区域を広げ国家を形成して、より肥沃な土地を手に入れるための陣取り合戦を繰り返していた。土地の分配を基盤とする封建社会にとっての【巨大な壁】は、居住し、繁殖するために有利な土地に限りがあることだった。
〇封建制度が資本主義への基盤をつくる
農業から始まった人の集まりが、内外の相互作用と集散を繰り返しながら部族、首長社会から国家へと巨大化し、限られた資産である土地や金銀にモノの価値を代替させる封建社会と重商主義を生み出した。
人口を増やし戦争により領土を広げる時代において、土地を分配する仕組みとしての封建制度は、社会的な平穏を支え、財産と社会的特権を保護し、世代を超えた大量の富の蓄積を可能とし、貨幣経済との連携によりさまざまなネットワーク・基盤プラットフォームを形成する。
●【巨大な壁】の内側で広がる交通・経済ネットワーク
〇交通ネットワーク
アジアからヨーロッパまでの南北の交易を東西につなぐシルクロード。15世紀以降の大航海時代をささえた海の道。主要な交通路を軸に、都市と街を繋ぐ支線をひろげ、文化や商品、情報が大陸を縦横にかけめぐった。
異なる思想や文化をもつ国々の技術に着想をえて発明・改良を繰り返すことにより、アジア・中東・ヨーロッパ各国の文化・技術は加速度的な進化をとげる。
さらに、15世紀半ばから17世紀までの大航海時代を迎え、市場の巨大化、グローバル化に拍車がかかり、交通ネットワークは巨大な富を信用取引によって生み出す基盤プラットフォームとしての役割を担うこととなる。
イギリスとオランダとの間で繰り返し行われた海上での覇権争いは、18世紀の第四次英蘭戦争によりイギリスがトップに立つことで決着する。
〇商業ネットワーク
商業ネットワークは、生産と消費をつなぎ、経済の原動力となり、刺激、活力、革新、発見、成長をうながし、階層・分業化を進めつつ商取引のネットワークを巨大化させていく。
領土の限界という【巨大な壁】の内側であがきながら、封建制度、重商主義を基盤とする、
相互作用しながら拡大して、産業革命を支える統合ネットワーク・プラットフォームを準備する。
●【巨大な壁】の内側で広がる情報ネットワーク
〇膨大な利益を生む錬金術、情報貨幣ネットワーク
異なる商品価値を仲介する必要から生み出された貨幣は、重商主義を経て交換を大規模化し、交易で得た富を蓄積することにより世代を超えた大資本を生み出す手段として活躍する。
商人間の信用取引が、海洋取引の保険が、「オランダ東インド会社」に始まる株式会社への投資が、アムステルダム銀行、イングランド銀行などの巨大銀行の利子が膨大な富を生み出す情報貨幣ネットワーク上での取引を加速させる。
さらに、産業革命においては、生産性への投資が新たな利益を生む仕組みを構築することになる。
〇書籍を介した情報ネットワークによる読み書き、計算能力の向上、科学革命
18世紀の産業革命をささえる数々の発明は、15世紀の活版印刷の発明に始まる。活版印刷は、書籍を安価に手に入れられるものとする。書籍の普及は、情報を流通し、市民の教育(文字の読み書き、計算、技能教育)を推進するきっかけとなり、中産階級の増加、徒弟制度などとの相互作用により開発・発明家を生み出す下地をつくる。
産業革命直前の17世紀に、ケプラー、ガリレオ、ニュートンなど科学革命とも呼ばれる科学の大きな変革があった。ひとつの発見・発明は続く発見・発明に連鎖する。たとえば、デカルトの機械論的思想(1637年)に始まり、ゲーリケの真空ポンプ(1650年)、ボイルの法則(1660年)、ホイヘンスの火薬を使った往復エンジン(1660年)そしてついには、鉱山での配水のためのニューコメンの蒸気機関(1710年)を生み出すに至り、以降数々の蒸気機関の発明が世界を変える。
〇情報通信ネットワークハブとしてのコーヒーハウス
コーヒーハウスで交わされた会話をメンバーが編集して活用し、産業革命の進展とともに保険会社、株式会社、政党政治、新聞、広告、電信ネットワークなどへと発展してゆく。
分配の基盤となる土地に限界が生じてもなお、封建制度を維持するためには領土を広げる必要があった。各国は、報酬となる土地がないままに戦いつづけ疲弊しつつ、ネットワーク・プラットフォームを広げ、次の時代にバトンを渡すときを待っていた。
●産業革命の引き金となる【急激な変化】:黒死病、大爆発の【突破口】:イギリス
〇黒死病による人口減少
黒死病によりヨーロッパの人口の1/3を死に至らしめる。ヨーロッパの多くの地域では、15世紀までに人口は回復し始めていたが、イギリスでは16世紀半ばまで人口は極めて低い状態を維持したままだった。
〇人口減少によるロンドンの活性化と高賃金化
黒死病後に生み出されたイギリスの穀物用地の空き地をもとに、広大で肥沃な牧草地へと転換し、健康で毛の長い羊=新種毛織物を生み出す。17世紀ロンドンは、新種毛織物の海外航路での輸出により活気づき、高賃金にわいた。
農民たちは、黒死病で広がった空き地を集め農地を拡大し、濃奴からヨーマン(独立自営農民)へと転身するなど、高賃金化の波が農地へもおしよせる。
〇中産階級(ブルジョワジー)の拡大と封建社会の崩壊、民主主義の成立
ロンドンの活性化が、貴族や大資本家たちと、雇われ農民を含む労働者たちとの中間で大小の富を蓄積する中産階級(ブルジョワジー)を増加させる。彼らは、市民革命の主体となり、イギリスの名誉革命が立憲民主主義を成立させる原動力となり、民主主義が「自由な取引」を行う資本主義をけん引する。
〇安価なエネルギー:石炭への移行
都市の急激な拡大は森林の急激な消費を促し、イギリスにおける木炭は高騰し15世紀には石炭価格の2倍となる。17世紀までにロンドンを中心とするエネルギー需要は激増し、急増する新築家屋では家庭で石炭を利用できるようになっていく。豊富な石炭への転換は、炭鉱からの無尽蔵で安価な燃料を供給を可能とし、イギリスにおけるエネルギーを極めて安価なものとした。
●すべてが18世紀のイギリスに集約して爆発する
ペストという【急激な変化】が【巨大な壁】をつきやぶるきっかけとなる。ペストからの復旧の遅れがイギリスの高賃金と石炭の低コスト化を生み、それに続く自動機械の発明と導入のメリットを高め、自動機械による大量生産が資本家たちの新たな投資先となり、そして海上の覇権争いを制したイギリスが【突破口】となり、それまでに構築したネットワーク・プラットフォームを統合して「産業革命」を世界に広げていく。
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産業革命を調査するにつれ、今日と17世紀が重なって見えてくる。グローバル化に資本主義が喘ぎ、インターネットとiPhoneが情報暴走と読書離れを引き起こした。大きな壁の内側で様々なネットワークを広げ何を準備し、脳の変化の先でどのような革新的な時代を迎えようとしているのか。