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レポート「大阪の「教育改革」15年 公正と自由・共生が崩壊の危機に!大阪府の高校授業料『完全』無償化の、なぜ?」

「フューチャーおおさか」学習&交流カフェ・「くらし」のなかの「行政」を考える・その2

(文責・フューチャーおおさか)

「フューチャーおおさか」では、ふだんの生活と行政との接点からテーマを導き、様々な人々と意見交流を続けていこうという思いから〈「くらし」のなかの「行政」を考える」〉というシリーズで交流&学習会を催しています。
2024年のシリーズ・第2弾は「公教育」をテーマに、15年にわたって行われてきた「大阪の教育改革」を取り上げました。
「大阪維新の会」という政党の代表が首長となり、政治的判断が行政を主導する異質なかたちとなって以降、大阪では「改革」の名による強権的な「教育への介入」が行われてきました。「介入」を正当化する「教育・職員基本条例の制定」、「学校選択制」や「チャレンジテスト」「高校授業料完全無償化」などの「競い合い」システムの導入、根拠のない基準による「統廃合」など、上からの改革が次々と打ち出されてきました。
「学力水準の向上」を重点課題にかかげて進められてきたこれらの改革は、果たして学校現場や生徒・児童たちにとってどのような影響をもたらしてきたのか。20年以上にわたって大阪市の子ども施策や教育施策にかかわり、大阪の教育現場を見つめ、様々な提言も行ってこられた住友剛さん(京都精華大学国際文化学部)に、大阪の「教育改革」の推移と学校教育の「現在地」についてお話しいただいた。

「あたりまえの書き換え」が行われた15年

「大阪の教育改革」15年は、公教育や学校に対する人々の「あたりまえ」の感覚が「書き換え」られた15年だった。
じつに衝撃的な結論から「お話」は始まった。「我々より年長の世代の人たちと、我々より若い世代の人たちとでは、学校教育のあたりまえがまったく異なっている」と。
これまで共有されていた「普通」という感覚が書き換えられたんじゃないか、という意味なのだが、それでは、15年の間にどんな「あたりまえ」が、どのような「あたりまえ」に変わってしまったのだろうか。

会場

「学校」という存在とその役割

大阪市では、小学校区を単位として地域の自治会(振興町会)があり、地震や大雨などが起こったさいの一番の避難場所として近隣の学校が指定されている。「学校」には防災拠点としての役割がある。
また、地域福祉の単位が中学校区や小学校区で動くしくみになっていて、「校区」という単位で学校と福祉が繋がっている。
「学校」は、子どもの学びの場であるとともに「社会教育施設」でもある。空き教室や体育館やグラウンドは、地元住民が出入りしていろいろな活動をすることが可能であり、地域社会の「コミュニティ形成の柱」になっている。
地域における「学校」の役割という視点から「教育改革」を見てみると、「たとえば『学校選択制』は、子どもと保護者が学校の教育の部分だけを選んでどこ行くかっていうのを選ぶ制度。選択の結果、この学校にはもう子どもが集まらなくなったら統廃合しましょうとなった時、結果的に地域の人々がそれまであたりまえに享受してきた価値が損なわれ、コミュニティ形成に大きなダメージが出てくる、そんな制度改革という側面が見えてきます」と。

「公教育」をどう捉えるか

大阪府の「高校授業料完全無償化」が全国の注目をあびているが、その導入によって小・中学校という「公教育」が歪められるようなことはないのだろうか?
住友さんは「公教育」の考え方を次のように整理された。
①「学ぶ権利の保障」という観点に立って、「私事としての教育の共同化」
②国(日本政府)や地方自治体(都道府県・市区町村)が、法令・指針づくりや財政支出、教職員の雇用などを通じて、その「私事としての教育の共同化」の方向性を左右する→「公権力による教育への統制」ということ。
③ ②を乱用すると、公権力を行使する側が「学ぶ権利の保障」というタテマエのもとで、教育を通じて人々を「支配」することが可能になる
「たとえば、選挙対策で『〇〇の無償化』を打ち出して、人々の学習ニーズをある方向に誘導する。その一方で、その受け皿になる学校や社会教育施設などを統廃合したらどうなるか?選挙の時に、いっぱいこんな ことにお金出すよとか、こんなクーポンあるよとか言ってある方向に保護者や子どものニーズ誘導していき、他方でその クーポンとか無償化の対象になるような場所をどんどん別の形で潰していくと、必然的に行く先が限られてきます。こういうこともできなくはない」と。

教育というサービスとお客様感覚が定着

教育改革とともに、意図的に公教育をサービス提供だという意識づけが行われてきたのではないか思われることが、お話の中で出てきていた。
「公的サービスに「クーポン」などの名称が出てくる。するとみんなクーポンを利用する消費者、お客様になっているのかなと。また公立高校なのか私立高校なのかどっちに行くかというのを「授業料無償化」で選べるようにになって、私立を選ぶ人がいる。今の仕組みの中では、公立高校が統廃合されてなくなっても構わない、ということを選んでいるということでもあるわけです。そういう仕掛けの中で選ばされてる。」
こうした世の中のマーケティング的手法が行政に反映される中で、これまでの「あたりまえ」と現在教育の場にいる人たちの「あたりまえ」が乖離していると感じるのだ。
「多分、今から20年ぐらい前だったらここにいる私たちの感覚の方が普通で、もしかしたら行きたいところに行けるようにしろと言ってるような人たちはものすごくどこかで抑圧されていたのか、あるいは少数だったのかはわからないですが、大きく入れ替わっている感じがしますね。だから普通の書き換えが行われたっていうのはそういうことです。」
マーケティング的な「サービス」のあり方として、次のような話もされた。
「維新の政策の基本的な特徴は、”全員一律同じサービスを提供します。その原資は身を切る改革でいろんな施設潰したりとか予算削ったりして作ります” ということである。けれどその全員一律的なサービスをやる時に何が潰されているかっていうことには無頓着です。その時に例えばマイノリティの子どもたちがよりどころにしていたような施設とか、事業とかが潰されていったって自分ところに普遍的なサービスで全員一律何万円とかの補助が来るのであればオッケーみたいな、そんな感覚になっているところがあるわけです。」
 
教育の分野でも、いろいろなものが壊されすぎてしまっているとともに、お客様的な感覚で行政サービスをとらえられてしまっている現実があるということに尽きる。
やはり、あなた方一人一人が自治体の主体であること、自治体の住民であること、そういう感覚で繋がりをつくっていうことが必要だと訴えられ、次のように締めくくられた。
「問題は どういう教育のあり方がやっぱり望ましい のかということに関する意識の共有ですね。どういう公教育とか、どういう学校の姿を私たちは良きものと考えてこれを教育してくれる仲間を増やせるかっていうことになります。」
 
今回の学習会の核心は、「公教育」、「学校」はだれものか、という点に尽きたと思います。
市場原理を行政に持ち込んだ始まりは1980年代の行政改革にあったと思うが、2000年代以降行政の民間委託が進み、私塾と公教育の定義が多くの人の中で変容したのか、あるいは市場原理に慣らされてしまったのか。いずにせよ、現時点で「あたりまえが書き換わった」現実を受け止め、「公」の必要性をいかに伝え、広げていくかを考えなければならないということと思った。

市立中学校で行われている「不登校対策モデル校の取組」

住友剛さんに続き、大阪市立矢田中学校 西川 祐功校長先生にお話しいただいた。
大阪市立矢田中学校では 令和6年4月に「いじめ防止基本方針」というものを策定された。
「いじめはどの学校、どの学級でも起こり得る。」という認識のもと、「豊かな人間性と、互いに人権を尊重し、共に生きようとする生徒」の育成 のために「大阪市立矢田中学校いじめ防止基本方針」を策定し取り組んでいく。 というもの。その前段階の活動として、教員と生徒たちによる「不登校対策モデル校の取組」があったことが紹介された。短い紹介映像だったが、課題解決に向けた小学校や保護者からの情報交換に始まり、生徒たちによるいじめアンケートの実施や、「いじめについて考える日」を生徒会主体で行っていたり、矢田中いじめ三原則を制定し、そのビデオやカードを作成し普及させるなど、ユニークな実践行動となっていて感銘を受けた。


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