結婚について、あれこれ考えたこと。
先日、職場の未婚女性スタッフと結婚観について相談というか雑談していました。
現在の若者の結婚観は私が20代だった頃と比べてもその価値観や思想はだいぶ変化しているらしい。
今日は人類学者でも社会学者でもない一般ピーポーの私が日本における婚姻率の低さと結婚についてのあれこれを考えてみようと思います。
日本の現状と結婚観
厚生労働省は2019年12月24日のクリスマス・イブに令和元年(2019年)の人口動態統計の年間推計について発表しました。
それによると2019年における日本国内の婚姻件数は58万3000件となり、婚姻率は0.47%(推計値)で、これは2018年と同値で、戦後では最低の数字となっています。
初婚年齢は2018年においては男性は31.1歳・女性は29.4歳が平均初婚年齢となっており、戦後ピーク時より男女ともに5年ほど遅くなっている傾向にあります。
当然ながら背景には女性の社会進出があり、戦後わずか5%にも満たなかった女性の高等学校以上への進学率も60%近くに登っています。
こうして急激に社会が変容していきている一方で、いまだ親世代の価値観や男性の女性に対する価値観、企業の女性雇用に関わる意識は根深いものがあり、仕事をする女性にとって結婚、出産のイベントはやはり自身の今まで積み上げてきたキャリアを崩しかねない一大イベントであると言わざるを得ません。
男性はこのことを踏まえた上で「結婚」という言葉を口にしなければいけませんし、女性の人生を尊重する姿勢が求められています。
また、同時に「家族」となる双方の親の理解を得ておく必要もあると思います。
このような姿勢で互いに「結婚」や「人生」について話し合いを進めていくことは「結婚」へのハードルはグッと下がるのではないでしょうか。
大学生の結婚希望率は70%ぐらいあり、決して低い数字ではありません。
しかしながら、2015(平成27)年は、30~34歳では、男性はおよそ2人に1人(47.1%)、女性はおよそ3人に1人(34.6%)が未婚であり、35~39歳では、男性はおよそ3人に1人(35.0%)、女性はおよそ4人に1人(23.9%)が未婚となっています(図2)
その原因としては先に述べたように女性の社会進出、そして経済的な問題があると思います。
実際に、日本の賃金上昇の推移を見てみると、平成の30年間で賃金の上昇はわずかしかありません。
国税庁の「民間給与実態統計調査」によると、1990年の平均給与は425万2000円(1年勤続者、以下同)であり、1990年以降、平均給与はしばらく上昇しますが、1997年の467万3000円をピークに下がり始めています。
その後、ずるずると下がり続けて、1990年から約30年間で、上昇した平均給与はわずか10万円ぐらいとなります。
その間、消費増税や物価の上昇もあり、給与は上がってないのにも関わらず、支払い金額は増えていますので、将来的に上がっていくことが目に見えない現状では結婚に不安を抱くのも無理はありません。
社会学者で「ライフシフト100年時代の人生戦略」の著者リンダ・グラットンは100年時代に長期間にわたって家族を養わなければならないという男性にかかるプレッシャーは相当なもので、その点を女性も考えなければ男性は結婚から遠ざかると述べています。
専業主婦は決して楽な仕事ではありませんが、そこを目指すことはこの時代は逆に結婚を遠ざけることになっているということは知っておかなくてはいけません。
また価値観の多様化によって個人の自由な時間の価値が高まっており、独り身で自由に自分の時間に投資できる環境を捨てたくないということもあると思います。
結婚しても子供をもつ必要はないという20代、30代の若者は6割にも上ると言われており、都市部の若い世代にはそれが顕著に現れていると思います。
地方の親世帯と離れて暮らし、子育てなどの協力も得られない状況ではやはり結婚、子育てということは考えづらい環境にあるのではないかと思います。
こうして考えてみると現状、日本における社会環境は決して、結婚、子育てをしやすい環境であるとは言い難く、現状と若者の心情を踏まえた上で政治が変わらなければこうした環境は変ることはありません。
当然、日本の人口減少をデメリットとみるのであれば政府も何かしら結婚、子育てにわかりやすいメリットがある対策を考えなくてはいけませんが、どちらにせよ変化は非常にゆっくりしか進まないのはこの世の常です。
したがって、結婚したい男女は社会環境の変化を待っていても仕方ないので、自分で環境を作っていく必要があるのです。
そして、これが非常に結婚が「めんどくさい」ものになっている理由であり、この乗り越えなければいけないハードルを無視して家族を形成することは、不満や愚痴ばかりが目に付き、やがて家族が崩壊する原因となっているといっても決して大げさではないと思います。
生物学的視点で結婚を語る
ヒトが生物であり動物である以上、形はどうであれ結婚はヒトの繁栄に必要なものであったと考えられます。
生物的に見た生きる目的は「種の保存と繁栄」です。人間の快楽が「食欲」「性欲」によるのもそれが「気持ちいいこと」であると、きちんと身体と脳にインプットされているためです。
つまり結婚〈婚姻関係〉は種の保存と繁栄に有利に働くからこそ淘汰されずに現代にまで形を変えながらも残っています。
ヒトの子は他の動物に比べ、育てるのに非常に時間がかかります。それはこの「脳」の大きさゆえであると言われており、ヒトの脳は20歳ぐらいで一人前となります。しかしながらそこまで脳が育つまでお腹の中にいれておくことができないために、脳が未熟なうちに出産して、長期間に渡って栄養を与え、学習させながら育てなければいけません。
1人の子を育てるのには莫大なコストがかかるのです。
そのコストを分散させて、多くの子を育てる方法が結婚であり、そして家族の形成、コミュニティの形成でした。
子育てに祖父母が関わり、他人や地域が関わるのはヒトの他にはいません。
しかしながら現代は都市部を中心に個人化が進み、核家族が基本の形態となっており、地域のコミュニティとの関係も希薄になっています。
そのため、この莫大なコストを負担するのは現代においては「夫婦」以外にないのです。
そのことを考えれば、子育てに夫が関わるのは当たり前のことですし、家事など家のことをするのも当たり前のことなのです。
以前のようにお金だけ稼げばいいという前提はすでに成り立ってはいません。
ですので家事する夫を過剰に称賛したり「イクメン」ともてはやしたりすること自体が間違えであり、男性は家事や子育てを分担することは「当たり前」のことだと認識しなければいけません。ましてや、その「お金」を稼ぐ負担も女性側にのしかかっているのであればなおさらです。
どうあがこうとも出産は女性にしかできませんし、身体への負担も大きいです。
出産とホルモンの関係をみても、子育てに中心に関わるのは女性側ですので、すでにそれだけ大きなコストを負担して自分達の遺伝子を持った子を産み、育ててくれているのです。
逆にいえば、それだけのコストに見合うだけの収入を得られないのであれば、他の形でコストを負担しなければいけないし、それができない男性は「選ばれない」ということかもしれません。
また、生物的に「モテる男性」はやはり強い遺伝子の持ち主です。
元気である、運動ができる、勉強ができる、自信に満ちているヒトはやはり女性に本能的に求められます。
遺伝子は環境によって変化するものでもあるため、普段の姿勢を良くしたり、ポジティブ思考などの自己鍛錬も効果的です。
さて、ヒトの求愛行動ですが、やはりイニシアティブは女性にあるようです。
どの民族や地域においても女性の求愛行動は似通っており、まずは求愛する男性に視線を投げかけて、軽くほほえみ、そして視線を外すといった、関心、認知、会話、接触(ボディタッチ)、同調のプロセスを得るそうです。
その女性の誘いに乗り、今度は男性がリードをするイニシアティブの移転ということが起こります。
このように見ていくとヒトの男女の関係は意外とめんどくさいプロセスを得ることがわあります。
ここで、誘いに乗ってもらえる生物学的にモテる女性を論じるとすれば優秀な遺伝子+「元気な子を産める身体」を持っているということになります。
炎上覚悟でいえば丸みを帯びた、お尻の大きい(骨盤の広い)「女性らしいフォルム」というのはやはり、モテる要素の1つではないかと思います。
私の本能に従った個人的な好みということもありますが・・
そう思うと、昨今の「骨ばった細い女性」に私はあまり魅力を感じません。
女性誌のモデルさんのような人たちはもちろんモテるのかもしれませんが、生物学的には不健康であるといえます。
多くの女性がそれを目指して無理なダイエットなどを繰り返しているのであれば自己満足は得られるかもしれませんが、モテからは遠ざかっているのかもしれません。
まとめ
最近、後輩の女性スタッフと結婚観について話す機会があり、現在の社会情勢も踏まえて一度自分の考えをまとめてみたいと思い記事にしてみました。
研究者でもない素人が書いているので、ここに書いてあることは本当にそうかもしれないし、まったくそうじゃないかもしれません。
実際にマッチングイベントや婚活などといったこともまったく経験がないので実情はもっとシビアで過酷なのかもしれませんし、もっとゆるいものなのかもしれません。
実際に私が結婚を決めた十数年当時はここまで深く「結婚」について考えたことはなかったと思います。
だからきっと多くの人もわたしと同じように実際はそんなに深くは考えていないでしょう。
しかし、十数年前はそれで良かったかもしれませんが、この数十年で社会情勢も大きく変わっており、現在は考えなしに結婚は難しいという仮説を立ててここまで書いてみました。
ちょっとロジカルな内容になってしまいましたが、結婚ってやはり恋愛から感情が切り離され、よりロジカルなものに変容していくものであり、気持ちだけでは難しいものだと思います。
それでもやっぱり最後は直感的なもの(本能的?)に頼らざるを得ないのですが、じつはその直感も自分の中のロジックに基づいている「意味のある直感」であるのか、ただの「勘」なのかで大きく人生が変わってしまうので、この記事が皆さんの直感に働きかけるものになれば幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
#生き方 #結婚感 #エッセイ