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考えるな、感じろ。
言葉は「伝える」手段だが、完璧ではない。
当てはまる適切な言葉がなければ、それを人に伝えることは難しい。
私の陳腐な語彙力では、きっと私が感じたことを正確に伝えることは不可能である。
なのに私はこうして書いている。
書いているということは、誰かに何かを伝えるためである。
人はきっと、自分の感覚を共有したい生き物なんだと思う。
共有することで、生き残ってきた生き物ともいえる。
集団でまとまって生活して、社会をつくって、生きていくなんて皆が同じ思いを共有できなかったら不可能だ。
言葉が開発されたことは画期的だったろう。
それによってより多くの人間や未来の人間にまで知恵を残したり、伝えることが可能になった。
ただ言葉ができたことによって失ったものもたくさんあるだろう。
なにかを得れば、何かを失う。
トレード・オフはいつだって不変である。
素晴らしい景色、絵画、写真、映像、食事、音楽・・・
それを見たり、口にしたり、耳にしたりしたとき、私はつい考えてしまう。
自分の中の言葉でその世界を表現しようとする。
けどそんなときこそ、言葉を捨てたい。
そのまま、ありのままを感じたい。
言葉がその邪魔をするんだ。
ありのままを、深く、深く。
たぶん世の中には、その世界とこの世界をいったりきたりできる人がいる。
そしてそんな人達が生み出したものには、私たちをその世界へ導くための入り口がついている。
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誰かは「書を捨てよ、町へ出よう」と言った。
人には言葉を捨てる、そんな時間が必要である。
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![ふつうのひと@理学療法士_JSPO‐AT](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/72854948/profile_75ebbe957346b55299dfe8a743d6bf19.png?width=600&crop=1:1,smart)