意見が変わることもある。私は自分の考えを少しずつ疑い続けている。 愛が問われるようになったときに、愛について問うたらいい。 恋心に蓋をする覚悟、未知の自分を受け入れ楽しむ覚悟。 私の会話の楽しさは、質問できることと相手の意見を聞けることと自分の意見を言えることが前提にある。そのうえで、同じ景色を見れる人と会話するのが楽しい。 SNSへの不器用さが、じわじわと現実に不具合を生じさせている。 本当にやりたいことをやっていかないと、特にやりたくないことが勝手に舞い込んでく
どんなにけなさけても、否定されても、ニコニコ笑ってて、ばかみたいだ。 まるで悲しい生き物みたいだ。
胸の辺りの気持ち悪いものが取れない。教室へ向かう途中で、自分の足元が浮かぶような感覚があった。この高校の朝は静かだ。冷たい廊下の途中で曲がり、影の深くなった空間に自分の身体が入り込んでいく。冷たい。しかし、歩みは止めない。歩調はカッカッとリズム良く進んだ。まるで足だけが勝手に動いているみたいだ。このままどこまででも歩いて行けるような気がした。歩いて行きたかった。 20年前の私は、ここを歩いている自分を見てどう思うのだろう。今とは違う暖かな光に包まれて、なんてことない朝が特別
自分という人間の深さは、自分を知ることでしか深まらないということを、 自分から発せられるエネルギーから、自分という人間が生まれるということ。 たった一人の自分であっても。 自分が自分の人生に納得すること 死にたいという欲望は強い 作品の表面 自分のかたち 死にたい 全て、投げ出してしまいたい この心臓に針を突き刺したらどうなるだろう 死にたい 人と接したら、嫌になってしまった。 死にたい ああ思われるのが嫌だ、こう思われるのが嫌だ。 眠りたい😴 死にたい な
人と喋ってる時にアイデアがよく出る、って聞く。人との会話の中で創造力(?)が働くの凄いなぁと思う。 誰かと話してる時は、基本的に頭は働かなくて(安心できる人なら働いてるかな?)、決まったフレーズの繰り返しだったり、相手の話を理解するので精一杯で、返事は「そうですね」とか「こういうことですよね」みたいな相づちと確認だけになってしまう。 意見を求められると考え込んでしまって、すぐに返答できない。 1人で考えてた時の意見を覚えていれば、それを答えることができるけれど、人と話してる時
感じたことを書くのと、知り得たことや考えたことを書くのとは違う。 というのを最近思った。 自分の一人壁打ちメモを整理しようと思った時、その時感じたことと学んだこと考えたことがごちゃ混ぜになってる。 すごくわかりずらい。 その時感じたことを書いた文章は、今の自分からすれば他人を見ているようで、なんでこんなこと思ってたんだろうって感じる。逆に、考えられた文章は、今読んでもなるほどと思うようなことだった。 メモにすべきは「知りえたり考えたりしたこと」だと思う。 そんなことを『思考
走った。 走る先に答えがあるのだろうと。 走った。 今見ている景色がすべてではないのだろうと。 走った。 ただ一人になりたくて。 私は信じて走ってきた。 あの人の言葉を、あの思い出すのが悔やまれるほどに狂わされた人の言葉を。 狂ったのは私だった、あの人に憧れていたんだ。 変わりたかった。 憧れるようなその人になりたかった。その人に恋もしていた。 走り続けたその先に、これまでと違う私が居るのだろうと。 こんなに時間が経ったのに、こんなに信じ続けたのに、どんなに思っても、ど
何から話せばいいんだろう。 今は何か言葉に負けたくない気分。 大学のゼミに入って慣れてくると段々、皆、私の扱い方が分かってくるというか、私には何を言っても反論しないだろうみたいなのを感じてくる。それはまあ、私が反論しないのがいけないのだけれど。 まあそんなわけで周りの人の言葉をいちいち気にしている。 今はただ何となく、舐められたくないなってのがある。 そんなこと言ったって、私も人を舐めてないかと言われればそんなことも無いような気がしていて。自分の事しか考えてないんじゃない
頑張らなくたっていいや。 頑張っても頑張っても出来ないことはある。 最近バイトを始めてみた。飲食の回転が早すぎるバイト。ちゃんと教えてくれるから覚えはするんだけど、早くしなきゃって言う焦りから何回もミスをしてしまう。それでミスしたら「ミス多いね」とか、「出したものはちゃんと片付ける」とか、急いでやってるのに自分にはキャパオーバーな所まで指摘されて、頑張っても無理だここはと思ってしまった。(1人に任せるなよ!手が空いてるならやって欲しい。) なので、早めに辞めることにしまし
題名みたいなものを元に書いていきます。 『無題』 これまで笑い飛ばしながらぼやかしていたのは、恒常的な苦しみの中の少しの幸せを顕在化するためのものだったことに気づく。 『幸せの皮を被った即席ラーメン』 『空を眺める天使』 頭の中から聞こえる声を消すような言葉。 その言葉で上書き保存する。 怒る時に泣くのは、今まで言わなかった思いが溢れてしまったからなんだろうね。 幽霊になって悠遊する 誰にも見つからないように ふんわり浮く足を眺めて現世を憂う 現の夢 家の中に世
なんなんだろう。 最近ほんとになんなんだろって気持ちで生きてる。 どうしたものか。 とりあえずこの文章は誰かが読むことを想定して書かないとだと思っているので、なるべく伝わる文章にしようとは思ってる、けど、時々書き散らしたくなる時もあるんだよね。 ところでみなさん、何かを伝えようとしてる時に「あ、ちょっとこの言葉ニュアンス違うかも」って思うことないですか? 例えば私はこの前、花火を見て感動して泣いたって人の話を聞いて、「繊細な心なんだね」なんて言ったんですが、よくよく考えた
あなたはこの本の中の住人 私に世界を教えて 「あちらに巨大な塔がある」 そこはどんな景色なの? 「砂浜には美しい貝殻が散らばっていた」 あなたの好きなものは何? あなたはたまに答えてくれる 「僕は星空が好きだ」 「君は僕の知らない所にいた 星空は輝く瞳のよう 僕を見たことのない世界へ連れ出す どうして君はそんなに遠くにいるの? 僕は君のことをまだ何も知らない ただこの世界の先に、見たことのない煌めきがあることだけが分かるんだ」 あなたは私に世界を見せてくれた 私がこれまで
シンプルイズベストは、本当ですか? シンプルイズ無ではないですか? シンプルなベスト🧥のことですか? シンプルイズベストに侵される気がして… 雑多イズベストについて考える。
五月の空気が好きだ。 いつもより両鼻の湿り気をよく感じる。 言葉にするのが億劫なくらいに、今幸福みたいなものに包まれているのだ。 生暖かい外気。 遠くで均一に光るライト。 薄闇で反射する水面が青黒い。 生暖かい空気は生暖かいままの空気を保存し、人の暮らす香りを運び、自然の香りを運ぶ。 車の音が重低音のように私の寂しさを和らげている。 遠くを走る車の音に思わず心が遠のいた。 その音を聞いて、自転車のペダルを全力で回す自分に笑った。 空気が心地いい。 肌の表面だけが冷えてい
毎日毎日夢を見る。 私はそんな夢が嫌いではない。 なんでかってそりゃ、目が覚めた途端これが現実じゃなかったんだって思えるから。 一時は夢日記をつけてみようなんて思ったこともあった。ただ、夢日記をつければ終わりだなとも思っていた。なぜかというと、夢日記をつけた途端に夢の中の日々が現実の私によって詳細に思い起こされ、夢だったものが現実らしくなってくるからだ。 私は夢を夢のままでいさせたい。 だから、毎日夢を見た途端にその夢を忘れてしまうのがいい。 夢は夢として、朝起きた時に楽しむ
ふと思う、日々の生活をしている時、私の故郷ともいえるような暮らしがある。 それは故郷とは言うが実家での暮らしというわけではない。実家ではテレビの音が常にしており、兄弟がいるので一人の時間がほぼなく、部屋は全く片付いていない、そんな生活だった。 しかし、実家での生活には私の故郷のような暮らしが沢山あった。 歌を歌いながら作業する、好きな時にお菓子をつまむ、時々思い立ったように何かをしだす、何かをしている自分に酔いしれながらひたすら手を動かす。などなど。 私の暮らしの中には、