飢え死にしなければ生きていける
僕は、サラリーマン時代にうつ状態に陥って、苦しくて苦しくて仕方がなかった時に、いったいなぜ、こんなことになったんだろうかと、ずっと考えていた。
その経緯を、このnoteにずっと書き続けているんだけれど、一言でいうと、それまでの生き方が間違えていたんだってこと。
生き方が間違えていたんだから、その間違いを修正しないとこの状態から抜け出すことは出来ないと思うようになった。つまり、生き方を変えるということだ。
そのためには、僕は会社を辞めようと考えるようになった。
会社を辞めて、生き方を変えること。
それが、このうつ状態を克服するためには、唯一の道だと思うようになった。
しかし、「会社を辞めてこの先生きていけるのだろうか?」ということが不安でたまらなかった。そのことを考えると、会社を辞める決心はなかなかつかなかったのだ。
生きるのを楽にしてくれた一言
そんな時に、当時はまだ結婚していなかった、後に妻となる女性に電話で相談したことがあったんだ。
僕「今、悩んでいることがあって」
彼女「どんな事?」
僕「会社を辞めようかどうしようかって」
彼女「そんなことで悩んでんの?私なんて、三つも辞めたよ(笑)」
僕「いや、だって、会社辞めてちゃんと生きていけるのかなって。。」
彼女「あのさあ。今の日本で飢え死にしたって話、あんまり聞かないよね。」
飢え死にしたって話、あんまり聞かないよね。
僕はこの一言に衝撃を受けた。
飢え死にって。。すごいこと言うな。。。
でも。。まてよ。。
そうか、飢え死にしなければ生きているってことか。
飢え死にしなければ、生きていけるってことか。
確かにそうだよな。
それなら何とかなるかもしれないよな。
そんな風に考えていなかったな。
何をもって生きていけないと思っていたんだろう?
僕がその時思ったのは、じゃあ、僕は、何をもってして「生きていけない」って思っていたんだろうということ。
そこのところが、漠然としているということに気が付いた。
具体的に考えていない。漠然としてはっきりしない。
にもかかわらず、何となく不安を抱えていた。
もっと、きちんと具体化してみる必要がある。
僕はそう思った。
それで、僕はいったい、何をもって「生きていけない」と考えていたのか、ってことを具体的に明らかにしてみた。
そうしたら、結局のところ、当時のサラリーマン家庭の平均的な生活ができない、ということを危惧していたってことに気が付いたんだ。
結婚して、マイホームを建てて、子どもを作って、女房と子供を養って、マイカーを持って、毎年家族旅行に出かけて、子どもに習い事をさせて、いい高校に入れて、いい大学まで出してやる、という生活。
それができなくなる、ということを指して、「生きていけない」と考えていたということに気が付いたんだ。
結局、自分が刷り込まれてきた価値観が変わっていなかった。
そのことを思い知ったんだ。
間違えていると気がついたはずの価値観が、あまりにも当たり前のように自分の内側に染みついていたんだよね。
でも、飢え死にしなければいい、というのであれば、結婚しなくても、子どもをつくらなくても、マイホームなんて持たなくてもいい。
もし、結婚することができても二人で働けばいいし、子どもができても、子どもを大学まで出してやることもないし、習い事なんて必要ない。
もしそれでいいなら、いっそ、フリーターでもいいし、日雇いでもいいし、起業してもいいし、何とかやっていけるかもしれない。
さらに、最悪の場合は生活保護という手もある。
むしろ、飢え死にする方が難しいのではないか。
ここまで具体的に考えるようになって、初めて、将来に対する不安はなくなった。どこまで具体的に考えることができるかって、とても大切なことなんだ。
生きているということは死んでいないということ
当たり前すぎて、笑い話のようだけれど、生きているということは死んでいないということ。
死ぬまでは生きているということ。
人生は、死ぬまで続くということ。
「人生オワタ」とか「人生詰んだな」とかいう人いるよね。
そう思って、絶望する人もいる。
でも。実際は、その後がある。続きがある。
どんなにボロボロになっても、飢え死にしなければ生きていける。
死ななければ生きていける。
その事実に思い至ったのは、ものすごい収穫だった。
いつの間にかハードルが上がっていた
結局、いつの間にか、「生きていく」ということに対するハードルが上がっていたんだよね。自分の中で。そして、日本人全体の中でね。
僕の世代は、バブル時代に若い時期を経験しているから、そのころの価値観が染みついているところがある。
あの頃の日本人は物欲がすごかったと思うんだ。
それに、見栄もすごかった。
僕自身はあまり興味がなかったけれど、ブランド品や高級車を欲しがる人が多かった。
マイホームが欲しいという欲求も、そういう価値観の中で育まれた。
いい大学に行きたい、高給をもらえるようになりたい、そして、良い暮らしをしたい。
でも、それを実現する人が増えていくと、結局、それが生きていくことだ、それが当たり前というか、スタンダードだという認識になっていく。
それができない奴はダメな奴だという認識。
でも、それは最低限越えなければいけないハードルなんかじゃなくて、本当はもっと低いところにあるはずなんだ。
そのハードルをぐっと下げてしまえば、もっと楽に生きていけるし、可能性も広がるし、不安も減る。
僕は、彼女の一言で、そのハードルを知らず知らずのうちに上げていたことに気がついたし、それをぐっと下げることができた。
おかげで楽になったし、逆に、将来が楽しみになった。
(つづく)