ある日突然やってくる
会社を辞めて一か月半。
ようやく僕は動き出そうと思った。
今から振り返ると、その一か月半の記憶はほどんどない。
いったい、その間、どこで何していたのかわからない。
でも、そろそろ動き出そうと持った時に、まずはリハビリがてら友人を誘って飲みに行くことにした。
そして、大学時代の飲み友達に電話をした。
彼は、僕のことを心配してくれて、僕のアパートの近くまで来てくれた。
その日は久ぶりに気の置けない人と飲んで、楽しい気分になった。
さて、これでようやく、再起動ができるかもしれない。
そう思った帰り道。
またしても、僕の人生を大きく揺さぶる出来事が、突然目の前に現れることになった。
そうなんだ、奴らはいつも、突然目の前に現れるものなんだ。
一緒に仕事をしていた人が、ある日突然交通事故で逝ってしまった時のようにね。
母が倒れた
友人と気分良く飲んだ帰り道、僕の携帯電話が鳴った。
電話の相手は、姉だった。
その電話の内容は、「母が倒れて、病院に運ばれた。」という内容だった。
その日、母親はサッカーを見に行っていた。
その観戦中に意識を失い、救急車で病院に搬送された。
原因は脳出血だった。
現状、命に別状はなく、意識も戻っているとのことだったけれど、今後の予後についてはどうなるかわからない。
明日、一緒に病院に行こう。
そんな内容だった。
母の母、つまり祖母も脳溢血で亡くなっていたし、普段から血圧が高かった母は、自分もそうなるだろうと警戒をしていた。
そして、その予想は的中してしまったのだ。
母は感情の起伏が激しく、そのうえ心配性だったので、頭に血が上ることが多かった。
僕が、事前に何の相談もなく、突然会社を辞めてしまったことで、かなりの心労をかけてしまっていたことは疑いようはなかった。
もちろんそれだけが原因だとは思えないけれど、影響がなかったとは言えななかった。
でも、僕はもう、自分を責めるのはやめようと思ってた。
そんなことをしたら、僕のメンタルが持たないことはわかっていた。
意外にも冷静に受け止めることができた
その電話を受けたときに、
「やっぱりそうだよな」
と思った。
こういう、自分の人生を左右してしまうような出来事は、突然向こうからやってくるものなんだ。
そう、あの時と同じだ。
あの、交通事故の時と。
だから、そういうものなんだと、すぐに思うことができた。
まだこの時までは、僕は古い価値観にとらわれていたので、僕は長男だし、両親の面倒は僕が見るものだと思っていた。
会社を辞めた直後だったので、しばらくは母親の看病ができると思った。
これは不幸中の幸いだと思った。
母親の予後を見ながら、出来る仕事を探すしかないと考えた。
今から考えるとばかばかしい話だけれど、もう結婚はできないかもしれないと思った。
母親の介護をしながら、出来る範囲の仕事をしてとなると、きっと貧乏だろうし、そんな生活をしている中年男のところに嫁に来るような人はいないだろうと思った。
でも、「人生ってそういう理不尽なものだ」という諦念がどこかにあって、それはそれで、仕方がないことだと思った。
僕はこの時点で、そこまで覚悟を決めた。
でも、だからと言って、絶望したかと言えばそうでもなかった。
会社を辞めて、自由になっていたからだ。
出来ることをやるしかない、でも、出来ることの中で自由に生きていけるようになるかもしれない。
そんな感覚だったのだ。
冷静というか、冷めているという感じだったのかもしれない。
うつ状態で、感情の起伏がなくなっていたのかもしれない。
自分に負担をかけないような、防御反応だったのかもしれない。
姉との感覚のズレがトラブルを呼んだ?
僕は長男だから、両親の問題は自分の問題だと考えた。
自分が背負っていくものだという認識だった。
つまり、自分事だった。
僕には7つ年上の双子の姉がいて、姉たちにはそういう感覚はなかったんだと思う。
彼女たちはもうすでに嫁いでいたし、自分たちの家庭を作っていた。
僕はまだ独身だったし、自分の家庭と言えば、両親と僕の家庭のことだと思っていた。
この感覚のズレが、姉との間にトラブルを引き起こした。
さて、このトラブルとはどういうものだったのか。
その事について、ここで(noteで)書くかどうかこの時点でも迷っている。
ただ、一つ言えることは、たとえ兄弟であっても、その立場や状況によって、同じことを考えているとは限らないということだ。
そして、自分が考えていることと同じことを、他人が考えているということはほぼないのだ。
その事を忘れないようにしなければいけないと思うのだ。
(つづく)