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全てが右肩下がり
成果もやる気も人間関係も転がり落ちていった。
これは自分の話ではなく、自分のまわりで起きたことだ。
●何が起きたのか
Aという社員がいた。自分の後輩だが、今は退職していない。
自分は流れでAの指導係となった。
同じ業務を担当するからだったが、明確な指示といったものはなく、あとはよろしくと言わんばかりにそっと目の前に連れてこられた。
Aは自分にないものを持っていた。
書類整理が得意で、記憶力も良く、文字も綺麗で見やすく、はきはきと話をしていた。
けれども驚いたのは、Aは中途採用で入社してきたが社会人として身に着けておかなければならないルールやマナーがほとんど身についていなかった。
しかし前職によってはそうなるよな、と思いながら重点的にルールやマナー等々を指導した。
その時点で、「おや?」と思ってしまったことがいくつかあった。
・数日で敬語がなくなった。
→強く注意。その後外れることはなかった。
・資料等の修正を指示した後、修正後の資料を持ってこない。または確認しにこない。
・「報連相」がない。
・メモをとらない。
・返事だけは良いが、指示した通りの業務をしない。
あげればキリがない。
これが最近の世代というものなのか、となんてことを思いながらずいぶんと頭を悩ませた。
何度も注意や指導を行っても、敬語以外直らなかった。
それでも仕事の成果は良いものだった。
自分も頑張らなければと思うぐらいのもので、対抗意識というものを抱いてしまうくらいだった。
本当は一緒に喜ぶべきだったと今でも反省している。
それはそれとして、最終的に自分はAの指導係から外してもらった。
上記のこともあるが、業務の抱え込み等々で一緒に仕事をすることさえも困難になったためだ。
もう、お手上げだった。
その後、Aは指導係無しで仕事をすることになる。
そして成果等々は以下のようなものへと変化していった。
・会話が消え失せた。
補足:最低限の仕事上必要な会話もなくなった。(報連相は元から無)
・手書きの文字が読みにくいと思うくらいに小さくなった。
・不必要な作業を時間をかけて行うようになった。
・身だしなみが落ち着いたものから派手になった。(金髪以外の派手な髪色等)
・返事すらなくなった。
→指示された後、無言で席に戻る等。
・ミスを報告しない。また、ミスを重ねる。隠す。
・業務時間中、関係のないプライベートな作業をしていた。
・修正が必要な成果に対して、修正を拒む。また、その繰り返しのせいか成果を出さなくなった。
見事に多くが右肩下がりになっていった。
能力も、印象も、何もかも。完全に孤立していった。
そして詳細は省くが、ひと悶着あってAは最終的に退職していった。
Aが使っていた道具や資料の書類は片付けられず、残されたまま。
最後の最後まで、後ろ足で砂をかけられてしまった。
●原因
さて、何故このようなことが起きたのだろうか。
一度しっかりと考える必要がある。
まずは自分の対応についてだ。
流れで指導係になったが、それでもなるべく丁寧に、分かりやすくを心がけて教えていたつもりだ。念のため、当時の先輩に教え方を相談、確認したうえで行ったと明記しておく。
口頭説明が苦手だったので、図式を用い、また作業を見せて教えた。
ここまでは良いかもしれない。
そして自分に足りなかったのは、確認しに行くことだったのではないかと思い返す。
進捗状況を自ら確認しにいくというのも、もう少し頻度をあげればよかったかもしれない。
次に考えられるのがやはり対抗意識を持ってしまったことだ。
負けん気の強い性格だ。だからAが良い成果をあげる度に、必死に自分も同じぐらいの成果をあげようとした。
さらに言えば、やはり先輩風をふかし、聞かれてもいないことをあれこれ言いすぎたことか。
本当にこれについては直す必要がある。今は後輩がいないので次に後輩が出来た時には注意をしたい。
また、褒めなかったことも要因の一つだろう。
とは言え、これは自分の考え方だが、褒めるというのは相手を下に見ることに近いものだと認識している。加えて自分が褒められるのが苦手というのもあって、進んで褒めようとは思わなかった。
それと、Aに対しては褒めてはいけないと認識をしていた。
では次に、第三者及び会社についてだ。
周囲の社員や上司は、指導係である自分がいるからと進んで注意等々をしてはいなかった。
しかしよく褒めてはいた。どれだけ些細な事であろうとも、だ。
会社の体質というものだろうか。
社員教育にはほとんど力を入れておらず、とにかく実践、実践、実践。分からなくてもとにかくやりながら覚えろというやり方だ。
自分から動けるのであれば、案外自由に多くをやらせてもらえ、失敗にはとても寛容だった。
しかし受け身のまま、言われたことだけをこなすだけでは全く成長をすることは出来ない環境だった。
そしてAのことを一年以上、会社は放置をしていた。
自分は上司に個人面談をしてくれ、社長とも面談をしてくれと頼んだが、結局のところ動いてはくれなかった。
というよりもなるべく関わらないようにしていたかもしれないと今になって思う。
というのも、今の時代はパワハラというものがある。
注意をしただけでパワハラになりかねないと思い、誰も何も言わなかったのも大きい。
しかしそれだけでパワハラになっているのなら、自分はとっくに訴えられているのだから、これもある意味では言い訳なのだろう。
それと放置もパワハラになるので、受け取り方しだいではパワハラになっていた可能性もあった。
最後に、Aについてだ。
入社当時のAはとても自信に満ち溢れていたように見えた。
だからまさか敬語を使わないだけで怒られるとは思わなかったのかもしれない。
ちなみに一度も、誰に対しても謝罪の言葉を最後まで言わなかったらしい。
能力的なもので言えば、とても出来る人だった。
しかし、一度でも許されれば、褒められれば、それだけ甘えて胡坐をかいてしまうタイプに見えた。
実際に指導をしていても、楽な方へと進んでいこうとし、さらには周囲が些細なことでも褒める為に余計に注意が通らなくなってきていた。
「幼児的万能感」というものがある。
「自分は完璧である。やろうと思えば何でもできる」という思考だ。
つまりは自己に対して特別なのだという考え方だ。
Aからはそれに近いものを感じていた。
周囲の意見を聞かないで、自分のやり方が正しいと言わんばかりに突き進んでいった。
失敗するはずがないという妙な確信を持っていた。
そしてミスをすれば必死に隠そうとしていた。まるで子供のように。
A自身の自信の無さにも関係があるのかもしれない。
指導の最中にも、思ったよりも自信の無さというのが伝わって来た。
さらに指導をしなくなったあたりから見目が段々と派手になってきて、手書きの文字はずいぶんと小さいものになっていったのも、内面の自信のなさが表に出ているようだった。
常に受け身だったこともあるだろう。
むしろ与えられて当然のような振る舞いに見えた。
(この特別感については以前、記事に書いたのでもしよろしければどうぞ)
●振り返る
今の時期は転職活動が活発になる時期だ。
この会社を退職したAは次の転職先を探している頃だろうか。
何故これを書くに至ったかというと、ふと、思い出したからだ。深い理由はない。
ただ今後、Aは苦労するだろうというのが想像に容易かった。
どのような職場に付こうと、個人事業主であろうと、誰かと仕事をすることには変わらない。
身勝手過ぎる行動は周囲が離れる原因になる。
自らが動かなければ、周囲は容赦なく置いていく。
申し訳ないと思いつつ、自分はAを反面教師にしていこうと思っている。
自分が同じようにならないために。今度はちゃんと指導が出来るように。
そして今だから言えることだが、実を言えば自分はAに対して初めて会った時、なんだか怖いという印象を抱いた。
だからというわけではないが、初対面で会った瞬間の印象というのもなかなかに大事なものだったようだ。
それにしたって、驕った瞬間、こうも綺麗に全てが右肩下がりになり、最後には孤立するものだと知ってしまった数年だった。