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旅をするように転職した

今度こそ定住先を見つけたい。


自分は三度、転職をした。
一度目と二度目は日本ではなく、海外の日系企業だ。
転職時のことも書くが、海外の出来事も書こうと思うので不必要なら読み飛ばしてほしい。

前提の話になるが、自分は高卒だ。
そのために海外へ就職となると、職種や国によっては一気にハードルがあがったり、そもそもが不可能だったりもする。
もちろん職を選ばないでワーキングホリデー制度を利用する手もあるが、海外での安定した生活をするという目的があったため、確実にいける場所を選んだ。
それがアジアだ。

また、高卒である自分には一つの強みがあった。
それは専門職の知識があり、日本の国家資格を保有していることだ。
だから大卒ではなく、技術者として転職することができた。

ちなみに一社目を退職した理由は、パワハラ、セクハラ、社内ストーカーにより、抑うつになった為だ。
抱き着かれそうになった時は、本当に恐怖でしかなかった。
おかげで今も、帰省はすれど地元に住めないでいる。


●一度目の転職

フィリピンへ転職する

一度目に転職した国はフィリピンだ。
体感でしかないが、転職がしやすい国だと思える。
理由は日系企業が多く、日本人もそれなりに多いからだ。
ただし、これは都市部においての話であり、地方は分からない。

この時、日本人向けのフィリピンにある日本人向けの転職エージェントを利用した。
基本的なやり取りは『Skype』を利用した。
ネットさえつながっていれば、無料で全世界からつながるからだ。

『LINE』等々のアプリもあるが、国によっては別のツールを使っていることもある。
また、基本はパソコンを使うことが前提になってくる。
そのため、広く使われていてパソコンで使うことが出来る『Skype』が使われている、と勝手ながらに想像している。

自分は当時、短期留学の為、フィリピンにいた。
だから転職先もフィリピンを選んだのだが、卒業まで二週間もなかった。
だから急いで転職先を探していた。

ここでさらに少々困ったことが起きていた。
担当のエージェントについてだ。
基本はメッセージのやり取りでおこなっていたが、どうも話に手戻りが多かった。
それと時間だ。

エージェントも自分も、そして面接する企業も全員がフィリピンにいる。だが、なぜかエージェントは日本時間で連絡をしてきた。誰一人として日本にいないのにだ。
フィリピンと日本の時差は二時間ある。勘違いで面接時間を間違えてしまったらとんでもないことだ。
お互いにフィリピンにいるのだから、フィリピン時間での連絡をしてくれとメッセージを返した。
するとエージェントは謝罪もなくそのメッセージを消去し、改めてフィリピン時間での連絡が届いた。

今更、担当を変更してもらうほどの時間も残っておらず、そのまま転職活動を続け、わずか卒業の三日前にして内定をもらった。

面接はオンラインで行った。
現地法人の日系企業だった

この時の教訓としては、やはり担当エージェントの質を見極めることだろう。
しかしまさか謝罪がないとは思わなかった。
クレームを入れるなりしておけばよかったと今になって思う。

そんなこんなで二社目への転職が決まった。
そして次へと転職した。理由は赤字経営だったからだ。
ベンチャー企業とは聞こえは良いが、実態はなかなかに悲惨で、自分が転職して数年後には潰れてしまっていた。

フィリピンでの生活

給料は、当時の為替で言うと、おおよそ十万円だった。安いが、フィリピン人と同じような暮らしをしていれば問題なく貯金は出来た。
住むところは会社持ち。その他光熱費は自分持ちだった。

ほぼ毎日ゴ〇ブリと挨拶していたので、食品は全て冷蔵庫にしまうのが重要だ。
奴らはすでに殺虫剤が効かない。

雨漏りする部屋だったが、シャワールームだったので放置した。
衣服の洗濯は手洗いをしていた。

基本的に食事はフィリピン人と同じものを食べていた。
フォークとスプーンを使って、米とおかずを混ぜながら食べていた。
フィリピン料理で気に入ったのは、パパイヤが入ったスープだ。

日本食レストランが多いし、チェーン店もたくさんあった。サンマルクカフェに行っては、よくパスタを食べていた。すぐ横でゴ〇ブリを目撃した時は鳥肌が立った。
日本食以外だと、マクドナルドが一番おいしく、信用することができた。日本と変わらない味だった。
生もの、シーフード、サラダは信用ができなかったとだけ記しておく。例えどれほど高級モールで売られていようと、信用してはいけない。
せいぜい日本食レストランで食べられるものであればまだ信用できる。まさかウニがあんなにおいしいものだとは思わなかった。しかも安かった。
けれども、チーズ味のアイスだけはどうしても食べられなかった。

そのあたりの道路でバナナやパイン、パパイヤ、スイカが大量に売られていた。
買わなかったけども。

クリスマスはとても重要な日だ。必ず社内でクリスマスパーティーをやらなければいけない。また社員旅行もかならず行く必要がある。
そして食事の時間は、きっちりと守ってとらせなければ訴えられかねない(当時、一緒に働いていた日本人スタッフから聞いた実話)。

初めての海外だったが、本当に全てが新鮮過ぎた。
しかし程よく今までの価値観が良い意味で壊された国だった。

●二度目の転職

インドへ転職する

二度目の転職した国はインドだ。
まさかのインドを選んだ理由は、インドで暮らしてみたかったという興味本位的なものだ。
本当、今になってよく行ったものだと思う。
とくに女一人でインドへと行くことの危険性は承知していたが、なかなかに無謀なことをしようとしていたと思っている。

今回の転職も、インドにある日本人向けの転職エージェントを利用した。
そして同時並行で、別の転職エージェントを利用し、ベトナムへの転職先も探していた。インドに行けなかった時の為だ。

当時はフィリピンで働きながらの転職活動だったが、インド側の今回の担当のエージェントはとても親身な方だったため、むしろとても助かった。
ベトナム側の担当のエージェントもきっちりとしたスケジュールを決めてくれたので、同時並行をしていても大変さというのは一切感じなかった。

インド、ベトナム共にSkypeを使ってのオンラインの面談、面接を行った。
どちらとも二社ずつ。計四社を受け、インドでは一社から内定。ベトナムは二社とも内定をもらうことが出来た。

三社から内定をもらえた理由は、自分がその業界の技術者であることが大きかった。
とくにインドでは、自分が通っていた高校のOBが面接の担当だったというのも大きいかもしれない。
コネと言われればコネである。しかも求人票に提示されていた学歴の条件は『大卒』だった。
だから正直、内定をもらえるとは思わなかった。

ベトナムの方はコネというものはない。
片方は、面接していた時、来たければくれば良いというような態度だったのを覚えている。だから内定をもらってもすぐに断った。
もう一方は、細かな分野は違えど、自分は実際にその仕事に従事していた経験があった。さらに証明するように日本のだが、資格があったのも有利に働いた結果だろう。

この時、実はだいぶ悩んだ。
理由は、インドは正社員ではなく契約社員だったことだ。
ベトナムは今いるフィリピンからそう遠くはないし、正社員だった。

そして悩んだ結果、インドに決めた。
チャレンジが出来る今のうちに、そして安全がある程度確保でき、長期間異国で生活できるチャンスを逃すわけにはいかなかった。

そしてインドへと旅立つわけだが、ここで注意点がある。
インドで働く際、就労ビザを当然取得するわけだがおおよそ、一か月程度の日数を見ておく必要がある。
企業によると思うが、自分の時は内定した会社が全て用意してくれたが、まさか日本出立のギリギリになるとは思わなかった。正直出立ができないのではと不安になった。

これはもう、責めるなら自分を責めるしかない出来事だ。
インドでは入国後、180日以上超えて滞在する場合、14日以内に「外国人登録(FRRO)」が必要になる。
当然ながら自分も該当するので、会社で登録をしてもらうわけだが、その間は何があろうとも出国ができない。
そんな時に起きたのが、身内の不幸だった。
インドに行く前、もしかしたら最後になるかもしれないと言われて会った身内だった。
当然葬式には出られなかったが、納骨の時には立ち会えたとだけ書いておく。

そして大きな問題というか、世界的に大きな出来事が起きた。
コロナが世界的に流行してしまったことだ。
その結果、自分は一年はインドで暮らすところを半年で終えた。
自分が転職したのは日系現地法人の現地スタッフだったが、転職した先が大企業と呼ばれる会社のグループということもあって、しっかりと日本へ帰国するための手続きをしてくれた。
さらに突然だったこともあり、インドへ残してしまっていた荷物も結果的に日本へと送ってもらう手続きをしてくれたのは非常に助かった。
正直、日本に帰れないのではとひどく心配してしまった。

そして日本に戻ってから、残りの契約期間分、実家で在宅ワークをしていたがコロナは当然収まることもなく、当時はほとんど仕事がなかったこともあり、契約が更新されないことを伝えられた。
助かったのは三か月以上前に伝えてくれたことだろう。
だからすぐに転職活動に行動を移せた。

インドでの生活

インドでは、外国人に対しての最低賃金の給料を国が定めている。
1,625,000インドルピーだ。そして国外へ持ち出してはいけないルールがある。
なのでずっと銀行で貯金をし、買い物はクレジットカードを使っていた。
日本に戻った時は、キャッシュカードもセットだったので国際間でも使えるように手続きをし、日本円で全て引き出した。

インドにいた時のアパートの家賃、光熱費等は全て自分持ちだ。
最初は会社が用意したホテルにいたが、すぐに自分でアパートを探す必要があった。
その時は日本語が話せる現地スタッフが協力してくれたのでそう困ることはなかった。
全て家具付きだったが、ベッドが当然のように全てダブルベッド仕様だったのには驚いた。

水は無料だったが、ろ過器を通した水だったので腹を壊さないという自信がなければミネラルウォーターを買う他ない。
自分はフィリピンで慣れてしまったので、ろ過器を通した水を飲んでいた。

インドではほとんど虫は見なかったが、代わりに動物をよく見かけた。
ラクダ、サル、胸元が白いカラス、クジャク、牛、馬、ヤギ、野生の豚、犬、猫、リス。
とくに犬は噛まれたら狂犬病になるから、本当に注意しなければいけない。

案外インドでも酒は飲めた。とくに赤ワインはペルー産のワインとよく似ていて飲みやすい。
食べ物は基本的に全てがカレー味。正しくは使われている香辛料の味なのだが、思ったよりも風味がちょっとずつ違うので食べていて面白い。
また、ドライフルーツとナッツが入った甘いカレーもあったのは面白かった。
お菓子も正直おいしいものが多く、野菜はとても新鮮で、とくに果物の種類は豊富で、ほぼ毎日食べていた。

インドでは宗教上、ベジタリアンの人もいる為、ベジタリアン用の食品も多く陳列していた。
ちなみにパンはベジタリアンに合わせて作られているので卵が使われておらず、パサパサした触感だった。
マクドナルトもあったが、一番安いバーガーにはジャガイモのコロッケに似た物がはさまっており、見た目はオーロラソースに似た辛いソースがかかっていた。これもベジタリアンに合わせて作られている。
肉の代わりにカッテージチーズがよく使われていた。

チャイはもちろん飲んだ。
素焼きの小さなカップに入れられたチャイはもちろん、チャイ版のスターバックスのようなお店で、スパイスがかけられたバナナチップをお供にチャイを飲んだ。
スターバックスは変わらずスターバックスのままだった。

インドで食べた食べ物の中で一番おいしいと思ったのは、現地スタッフが作ってくれたカレーだった。
もう二度と食べられないことが本当に悔しい。

ちょうど冬の時期だったということもあってか、とても寒かった。
暖房器具なんてものはないし、お湯もほとんど出なかったので、お湯を水で薄めつつ凍えながら身体を洗った。
寝る時は防災アルミシートが役立った。無いと寝れなかった。
毎日、高濃度のPM2.5で昼間は基本的に霧がかかり、マスクが手放せなかった。

タージマハルを見た時は感動した。
しかしあまりの人の多さに、すぐに感動した気持ちが引っ込んだ。

混沌とはこのことを言うのか、なんて思うくらいに何もかもがつまったような国だった。
ただやはりインドの方がフィリピンよりも危険度が高いような気がする。いかに安全に、そして精神的に強く立ち回れるかが重要なことを学んだ。

●三度目の転職

そして三度目の転職先は日本だ。
コロナのこともあったが、さすがに体力的にも精神的にも、長く勤めるのであればやはり日本だと思った。
自分の性格的にもそうだが、やはり毎日の生活において気を張りつめ続けるのはなかなかに疲れてしまった。
後は親から、転職するなら国内にしてくれと言われたのもある。

転職時に使ったのはリクルートエージェントだ。
登録後、すぐに担当のエージェントから連絡が入り、通話とメールでのやりとりで転職活動を始めた。

そして活動を始めて二週間、四社目である今いる会社から内定をもらってしまった。
とてもあっさりと決まった瞬間だった。

もちろん他の会社へ書類を出したりもした。
自分のやり方は、あちらからスカウトが来た会社にエージェント経由で書類を提出し、面接を行う。
スカウトだとすぐに面接へと進めるので基本はそのやり方をしていた。
もちろん面接をする段階まで進んだところもあるが、少々ここで問題が起きた。

面接方法は『Zoom』を使ったオンラインでの面接だ。
コロナが流行っている最中での転職活動ということもあるが、隣県どころか地方をまたぐ必要のあるほど離れた会社との面接だった為、オンラインの面接はとても助かった。

二社だけ面接をした。その二社目が今の会社だが、一社目は正直面接と言うには言葉を選んでしまうほどだった。
事前にメールにて日時を決めたわけだが、直前になってオンラインでの面接の仕方が分からないのだと相手の会社から電話が入った。
ではどうしたかというと、そのまま音声のみの電話で面接を行った。
当たり障りのないことを聞かれては答えると言うだけ。時間にして、おおよそ十分程度で終わった。
少ししてからエージェントから連絡が入り、どうだったかと聞かれたので、起きたことをそのまま話をしすれば、エージェントの方から注意をするとのことだった。

なぜこのような事が起きたのか。
あのスカウトメールというのは、本来であれば書類で落とすような相手にもおおざっぱに送っているらしい。
結果として、面接確約としていたので仕方無しに体裁だけ保ったようなものになってしまったという。
今後、スカウトメールが来ても注意が必要だということを学んだ。

そして応募していた二社目とオンライン面接を無事に行い、そして内定の連絡が翌日に届き、今に至る。

●……四度目?

そして今、まさに四度目の転職活動をしようと一先ず転職サイトに登録をしている。
すぐに転職をしようとは思ってはいないので、今は情報収集中且つ、やはり転職は体力を使うのでなるべく長く勤められる会社を探しているところだ。
転職理由は控えておく。

今までを振り返ってみれば、案外順調な転職活動にも見える。
だが実を言えば最初の一社目に在籍していた時にも転職活動をコソコソを行っていた。
その時はほぼ毎日の残業の他、エージェントを使わずに行っていたこともあって、なかなかうまく進まなかった。
書類審査で落ちたことも何度もある。

その時と比べて何故、こうも順調に転職活動がうまく出来たのかと振り返る。

うまくいかなかった時の転職活動中は、ただ会社を辞める為だけに転職活動をしていた。
希望職種や、求めている条件なんて定めずにいた。そこにさらに加えれば初めての転職活動だと言うのにエージェントを使わなかったから余計にうまく活動が出来ず、途中で止めてしまった。

そしてうまく転職活動が出来た時、エージェントをもちろん使ったのは大きい。しかし当たりはずれがあるのも事実だ。
その他に自分は希望職種はそこまではっきりとは決めていないが、かわりに絶対に向いていないと自覚している職種以外を探した。
また絶対に譲れない条件、譲歩できる条件をはっきりと決めたおかげで求人情報を見る判断基準を作ったおかげで迷うことはなかった。

当然のことながら、自分が想像した通りの会社なんてものはない。
中小企業、大企業、ベンチャー企業にそれぞれいたわけだが、どこも想像通りとはいかなかった。
だけどもうまく適応さえすれば、なんだかんだと続けられるのも事実だった。
最初の会社については絶対に無理だったけども。

自分の転職履歴はなかなかに特殊だ。
住みたいからという理由だけで転職先を選んでいるのだから、正直参考にはならないだろう。
ちなみに今は、同じ県内で良いところが無いか探している。
友達も出来たことだし、ようやく定住先を見つけられそうだ。

近頃の情勢から働き手が少なくなっている昨今、転職はもっとやりやすくなるだろう。
もし、ここまで読んでくれた誰かの転職活動が良いものになるように祈っている。

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