見たくないところ。大事なところ。
前回は計画立てる。やらない・出来ない・後悔の繰り返し。という記事を書きました。
ほとんどの人がなにかしらの目的があって、そのために動いていると思います。
なにもせず寝っ転がっているのも、
よくよく観たら、
「疲れを癒すため」
とか
「現実逃避のため」(よくやります笑)
とか
なにかしらの目的があったりします。
その目的のためにやることが、方法、手段というものになりますが、
方法、手段も柔軟に変えて、なんでもやっていけば良いんだろうなって思います。
それでは本日の記事です。
自分のことは分かっているようで分かっていません。分かってないようで分かっていたりもします。(どっちやねん)
第三者からの言葉で、自分自身の捉え方が変わって大きなきっかけになることもあります。
僕の場合はですが、
分かっているようで分かっていないと自分で認識している所を、他の人から言葉として、関係性として頂いた時は嬉しくなることが多いです。
感情としては嬉しくなって、そこから色んなきっかけに繋がります。
一方で、分かってないようで分かっていると認識している所からの視点を頂いた時は、、、
はっきり言って苦しいです
怒りのような、ドス黒いなにかが出そうになります。
分かってないようで分かっている所って、
気付いているけど蓋をしておきたい、
自分の浅ましさやしょうもなさを直視したくない、
そういった部分になってきます。
(僕の場合ですよ)
だから、うすうす感じているけどわ頭では認めたくなかったりして。
そこを直視せざる得ないきっかけを頂くと、どうしてよいかわからない。
それが怒りみたいなもの(癇癪を起こしている状態かもしれない🙄)として湧いてくるのだと思います。
ただ、
その機会って1人じゃなかなか訪れないので、
(フタをして観ないようにするから)
きっかけを頂くことってありがたいことだと思います。
拒否するのではなく味わってみたら、
自分の本質や核心(自分はこういった人間)の理解が進むのかもしれません。
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