『風通信』原稿 2020年7月号 布団星人がゆく 40
私達が本当にたたかうべきもの、とは?
Covid19(新型コロナウイルス感染症)は、この原稿を書いている6月中旬になってもまだ終息の兆しが見えない。ただ、みんながこのままの巣篭り状態を続けていれば、社会が停滞し新たな困難や命の危険が生まれてしまうということで「非常事態宣言」はいったん解除された。
私は5月の終わりに患者会の役務で東京に出張した。夜にはホテルの展望デッキから東京タワーがブルーに光っているのが見えた。私は「医療従事者に感謝の気持ちを示す」という意味でブルーにライトアップされているのだろう・・・と思った。全国でそのような取り組みがなされていたからだ。
「闘う医療従事者に感謝の気持ちを示す」というフレーズには、私はとっても、とっても、もやもやする。未知の感染症と闘っている主体は、あくまで患者である。それなのになぜ、「患者さんと、患者さんを支えている医療従事者に感謝を」とならないのか?自身が感染のリスクに晒されながら、患者の命を守ろうと身を削っている医療従事者の方々に何等かの感謝の気持ちを届けたいという気持ちは私にも有り余るほどある。普段お世話になっているから余計にである。私がひっかかるのは、その労いと励ましに「患者さん」が不在であることだ。
今の雰囲気のなかでは、covid19に感染したことを公にするのは大変な勇気がいる。感染して回復したアナウンサーが番組復帰した際、まるで不祥事を起こしたかのように丁寧に説明と謝罪をしていて私は背筋が凍った。私たちが本当に恐れているのは、病自体ではないのでは、と思った。本当の苦しみは病気が治った後に起こる事を私達は感じ取っている。未知の感染症にかかったことで、病気が治ってもなお社会から排除される苦しみ。
未知の病は人々の不安を煽り、気を付けていないとそのことで偏見と差別は加速する。かつて有機メチル水銀中毒症の原因物質が明らかになっておらず「奇病」と呼ばれていたころ、患者は不当に隔離され、家族は買い物の支払いさえ直接受け取ってもらえなかった。その病気には不運にも世界で最初に発見された所の地名が付いてしまい、その事が現在にもつながる長い間、地域住民を差別や偏見の不安に晒し続けている。そう、水俣病と似たようなことが、再び起こってしまっている。
こういう日本社会の雰囲気そのものが、病をもって生きている者の生きづらさの本態なのではないかと私は思っている。
病持つ者は、色んな意味でマイノリティである。本来、マジョリティ(現在は医療と福祉の助けがほとんど要らず生きている人)の方が、マイノリティの尊厳をできうる限り保障する努力なしに、病あるものは不利な立場におかれる一方だ。その不平等が置き去りにされている中で、今回未知のウイルスがやってきた。
私達はいま、この先を同じように繰り返すのかと、問われている気がしてならない。
※追記 帰阪後分かったのだが、あの東京タワーの青い光の意味自体は、いわゆる「東京アラート」によるものだったらしい。まあその時感じた私の違和感を言葉にしたということで、ご勘弁ください。