生きるために食べて、食べ過ぎで死ぬ
こんばんは。
もう一度人生やり直せるとしたら、もう一回自分を生きたいとも生きたくないとも考えたことも無いfutokunです。#もう一度人生やり直せるとしたらの具体的な想像ができない
さて、今日は、健康に関するお話です。いつもより少し真剣な話になってしまいそうです。
僕は職業柄、健康と向き合う時間が多いですし、医療の知識は常にアップデートしています。
その中で、常々思うことがあります。
糖尿病だとか、高血圧症だとか、脂質異常症などの生活習慣病はやはり食べ過ぎでなるということです。
歴史上これほどまでに食に困らない飽食の時代はないと言われていますが、その食が原因で人々は病気になり、死んでいっているのです。
多くのサラリーマンは、食べるために、汗をかき、ストレスを感じ、時に飲み会で憂さ晴らしをし、自分の時間を使い、会社のために働いています。
そして、多くの現代人は食べ過ぎが原因で病気になり死んでいく。
食べるために生きていたのに、食べ過ぎで死んでいくという不思議な構造になっているなあと、常々思っています。
本当は、そこまで食べない方が健康的であるならば、命を削ってまで辛い仕事をする必要などないかもしれません。
食べるために必死に働いた結果、ストレスや食べ過ぎで死んでいくという不可解なことが割と高頻度に起きています。
■ある釣り人の例え話
昔、こんな例え話を聞いたことがあります。
ある漁師が、悠々自適に好きな釣りをして暮らしていました。
そこへある商社の男がやってきて、「その釣りの技術を生かして一儲けしないか?」と持ちかけました。
ある漁師は「一儲けしたらどうなるんだ?」と聞きました。
ある商社の男は「お金持ちになり、悠々自適に暮らせるぞ」と答えました。
ある漁師は言いました。「すでに悠々自適に暮らしているさ」と。
■この話から学ぶこと
現代はこの商社の男の話に乗ってしまったストーリーが多く起こっているように思える時があります。
すでに満ち足りているはずなのに、
もっともっとお金を稼ぐために、無理をして働き、
稼いだお金で食べ過ぎで病気になって死んでいく。
そもそも、そこまで食料は必要だったのか?
そもそも、そこまでのお金は必要だったのか?
食べるために働いていたはずが、いつの間にか食べ過ぎで病気になり死んでいく。
生きるために食べていたはずが、食べ過ぎで死に近づいていた、食べ過ぎで自分の体を少しずつ殺していた、ということになります。
■大切な人と一緒に笑い合い生きていく
本質は何なのか。
僕の理念でもありますが、僕は幸せとは「大切な人と笑い合いながら生きていくこと」だと思っています。
お金をたくさん稼ぐことでも、お金持ちになることでも、ありません。
無理してお金をたくさん稼いでも、そのお金で食べ過ぎて病気になって死ぬなら意味がないと思うからです。
もちろん、生きていくためにはお金は必要で大切なものですが、
お金のために体を壊してまで働く必要はないですし、
そこまでして稼いだお金で、結局食べ過ぎで病気になって死ぬくらいなら、最初から無理して働かなきゃいいじゃん、という話です。
■じゃあどうする?
今は超高齢化で、医療機関は高齢者で溢れています。
日本の医療費は破竹の勢いで膨れ上がっています。
それを支える社会保障も悲鳴を上げています。
生活習慣病は食べ過ぎだとするならば、食べなきゃいいじゃん、とするのは簡単ですが、現実的には現状は無理でしょう。
でも、時代は明らかに、本質に近づいている様相は感じています。
先ほど触れたある漁師のように。
もともと悠々自適に暮らしていた、と気づき始めた人々が出てきているように思います。
このコロナの影響で、その流れは加速したようにも感じています。
そもそも、無理してまで働く必要ってあった?
生きるために食べて、食べ過ぎで死ぬなんて、おかしいぞ、と。
そもそも、悠々自適だったのだ、と。
ここの見解から時代は大きく変わっていくでしょう。
どんな時代になっていくかは、今日は本題でないのでまた後述に譲るとしますが、一言で言うと、人がその人らしく生きられる素晴らしい時代になっていくと見ています。#また詳しく書きますね
今日はいつもより真剣なトーンで書いてしまいました。
とにかく、生きるために食べて、食べ過ぎで死ぬ、という時代は終わり、新しい時代が到来しているというお話でした。
それでは、今夜も素敵な夜をお過ごし下さい☆futokunでした。