映画『春画と日本人』が描いた春画自由化革命と危惧される権威主義の再生産



映画『春画と日本人』(2018年)公式サイト

2023年公開の映画『春の画』は、一般の女性やLGBTQ+当事者の春画ファンらの証言も含む総合的な春画入門だった。

それに対して、本作は、それまで日本では明治以来約100年間にわたって「猥褻物」として警察権力による取り締まりの対象となって芸術や娯楽の埒外に置かれていた春画を、その「猥褻」のくびきから「解放」することを実現した当事者たちを追ったレポートである。

それは、初めての春画のノーカット出版『浮世絵秘蔵名品集』(1991年 学研 全四冊80万円)と、2015年に日本での初の本格的な春画展(東京・永青文庫、翌春に京都・細見美術館で開催)という二つの段階を経て実現した。

前者の出版という形での最初の「春画自由化」を実現したのは、辻惟雄・小林忠・早川聞多・浅野秀剛の美術史家四人衆。

そして、より広く社会現象ともなって話題を呼んだ「春画展」は、2013年の大英博物館での春画展開催を協力者及びスポンサーとして支援した浦上満らと、上述の美術史四人衆、そして、より若い世代の研究者である石上阿希(日文研、現瓜生学園京都芸術大学)らが加わった実行委員会が主体となって開催されたのである。

*1 永青文庫「春画展 ─ shunga ─」
 取材レポート(前期)及び(後期)

*2 細見美術館「春画展」

本作は、彼ら謂わば「春画自由化革命」実現の闘士、立役者たちに、慶応の河合正朝・内藤正人、東大の木下直之らの研究者の証言を加えて構成されたドキュメンタリーだ。

だから、「春画」そのものについての評価は概して肯定的で、「描かれた当事者」として本来あるべきフェミニズム的な視点、ないしはジェンダー論の視点からの批判的な意見はほとんど出て来ない。

その点では、より広汎に春画を「視る者」へと取材対象を広げた『春の画』の方が、充分とは言いがたいまでも、そうした批判的な視座への手がかりを用意していたとは言える。

その後、永青文庫や細見美術館に続く本格的な春画展はまだ実施されていないのかも知れないが、逆に、ジェンダー論の視点に立脚した展覧会としては、2020年に歴博(国立歴史民俗博物)で企画展示『性差(ジェンダー)の日本史』が多くの研究者の参加を得て開かれている。

*3 歴博の企画展示「性差(ジェンダー)の日本史」。
どんな展示&どんな博物館?横山教授に聞いてみた!
連載(1/4) 2020.10.5

連載(2/4) 2020.10.12

連載(3/4) 2020.10.19

連載(4/4) 2020.10.26

また、2024年春に東京芸大美術館で開催された「大吉原展」では、開催直前に、江戸時代の遊廓について、女性に対する性的搾取という視点を欠いて江戸文化の粋などと無批判に称揚しようとするコンセプトが批判されて「炎上」的な現象を招いてしまったことも記憶に新しい。

*4 TOKYO ART BEAT 2024年2月9日公開
「大吉原展」が炎上。遊廓はこれまでどのように「展示」されてきたのか? 博物館や遺構の事例に見る享楽的言説と、抜け落ちる遊女の「痛み」(文:渡辺豪)

*5 「大吉原展」で突き付けられた、性搾取の構造を覆い隠す「日本文化」(1)
仁藤夢乃(社会活動家) 2024/05/21

imidas.jp/bakanafuri/?article_id=l-72-044-24-05-g559

**(2)まで(文中にリンクあり)

実際に上野に足を運んで「大吉原展」を見た感想としては、これらの批判を受けての「軌道修正」は、展覧会場入り口に掲げられた冒頭あいさつ文の修正程度におさまり、歴博の「ジェンダーの日本史展」のように展示の内容にそれらが反映されたものとは到底言い難かった。

しかし、これらの批判文の名指すところは全く至当なものであり、むしろ「大吉原展」の意義はこうした批判があったことで初めて社会的に価値のあるものとなったのではないかと思う。

振り返って、2015-16年の「春画展」にこうした大所高所からの正当な批判が行われただろうか。

展覧会の回顧記録とも言うべき本ドキュメンタリーを観たうえで判断する限り、それには「否」と答えざるを得ないのではないか。

永青文庫の会場で行われた展覧会の開幕レセプション(業界では「内覧会」と言ったりする)は、細川護煕理事長や青柳正規文化庁長官(当時)ら列席したセレブが興奮気味に頬を紅潮させながら、日本初の春画の展覧会が実現できたことを無邪気に喜んでいる姿をカメラが捉えている。

「春画展」実行委員には、石上阿希ら女性がいないわけではないが、壇上の挨拶はどういうわけか男性ばかりが映されている。

発言者の名前は失念したが、「春画を所有していない大名はいなかった」、だから大名細川家の遺宝を母体とする永青文庫で春画展が開かれることは必然だ、といった趣旨のコメントがボイスオーバーで流された。

このアナクロニズム丸出しの言説を聴いて「えっ?」と疑問を抱かない感性の持ち主は、現代人として、どこか欠落があるのではなかろうか。

もちろん、本来、国立の博物館・美術館で開催されるべき展覧会を、元首相でもある細川護煕が「義侠心で引き受けた」からこそ実現した、というのが実態ではあろう。

しかし、曲がりなりにも、かつて特定の階層・階級の独占物であった芸術なる存在を、広く国民・大衆の共有財産として社会化して来た明治以降の日本の近現代史というものと、こうした発言、発想は真っ向から対立する可能性を彼らは考えないのだろうか。

気になるのは、四人衆の一人である浅野秀剛が、芸術(ここでは美術を指す)の自由化のメルクマールは四つある。
出版・公開・研究・売買がそれである。
自分は、春画展の開催より『浮世絵秘蔵名品集』の公刊により春画の出版の自由を勝ち得たことの方が意義が大きいと思う、と発言していることだ。

確かに、百年来のくびきを解いて「春画自由化」の先鞭を付けたのは、『秘蔵名品集』の出版だったのかも知れない。
ところが、編集委員となった四人衆は、全員男性。
おまけに、立命館の理工学部卒業の浅野以外は東大美術史出身(ちなみに当時の青柳正規文化庁長官も、である)。
本ドキュメンタリーでは、四人衆の一人である小林忠が、当時は学界に春画タブーが隠然としてあり、若い浅野はそのために出世が遅れたのだと思う、と発言しているが、その浅野は現在、大和文華館・あべのハルカス美術館の館長を兼任し、小林忠名誉会長のもと国際浮世絵学会の会長の座にある。
浅野秀剛は、今や浮世絵界における押しも押されもせぬ大権威なのである。

*6 国際浮世絵学会公式サイト 学会概要

つまり、浅野を含む四人衆が核となる形で組織された「春画展」実行委員会は、東大美術史を頂点とする、男性中心の美術史学界の「権威主義」を再生産、再強化する場として機能してしまってはいなかったか、という懸念を抱かざるを得ない。

私は、美術史の世界については、部外者に過ぎないので、あくまでも聞きかじりに過ぎないのだが、この業界の関係者の口から、かなり原始的なフェミニズム忌避の発言を聴いて驚いたことがある。

それを一般化して良いかは分からないが、男性だけによるアカデミズムが性差別の温床となることは充分に考えられることではある。

もちろん、石上阿希は、本作『春画と日本人』のパンフレットにも「日文研コレクションが語る女性と春画」なるエッセイを寄稿し、春画研究におけるジェンダー的な視点の必要性を説こうとはしているようだ。

しかし、有益な批判を浴びることによって幸運にも「更新」の機会を与えられた「大吉原展」に対して、絶賛一辺倒だった「春画展」が本当の意味で「成功」だったと言えるのかどうかは、もう一度「現在」的な観点から考えてみる必要がある。

奇しくも、京都シネマでの本作の上映は、細見美術館で開催中の「美しい春画」展の開催記念としてリバイバルが実現されたものだ。

*7-1 【美しい春画】開催記念 映画「春画と日本人」上映
2024/10/4(金)~10/10(木)

*7-2 京都シネマにて『春画と日本人』上映決定 10/4(金)~10/10(木)

event.kyoto-np.co.jp/feature/shungaten2024.html/1723174273.3248.html

細見美術館の展覧会も観て来たが、多くは「春画展」で既に紹介された作品で、謂わば「再放送」的な展覧会興行だと認識した。

本作で映されている9年前の永青文庫展(最終日は行列が長くできたため閉館時間を21時まで延長した場面が本作に登場する)のように行列ができることもなく、休日に岡崎公園を散策する延長で美術館に来たような若い女性のグループやカップルが何の躊躇いもなく入場していたのが印象的だった。

「美術史における春画」の時計の針は、おそらく2015年を指したまま、まだ次の時を刻むには至ってないようだ。

ただし、それは少なくとも、京都の人びとの「日常」に近づいていることだけは確かだ。
それが本作に描かれた「革命」であることは、忘れないでおきたい。

《その他の参考》
*8 奥様はねこ ~団地妻猫とダーリン絵日記~
追記)永青文庫で春画展~女性として思うこと
2015-12-01 06:14:30

*9 春画展は「わいせつ物陳列」なのか? 表現の自由を萎縮させる日本人の「体質」とは
2019年、日本は「表現の自由」に揺れた。日本人が自ら規制し、表現の自由の萎縮を生んでいる「見えない何か」の正体とは? 『春画と日本人』が私たちに語りかけるもの。
杉本穂高 2019年12月24日 7時33分

*10 春画の世界をめぐる旅に果てはない ドキュメンタリー映画『春の画 SHUNGA』平田潤子監督が語る
Cinema 美術・アート 2023.12.06
松本 卓也(ニッポンドットコム)


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