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【旧約の神とバアル神の戦い】聖書・キリスト教の研究-02/#134


『旧約聖書』において、イスラエル人を導いた神と邪神バアルとの戦いは、まさに古代の宗教的対立の象徴だ。ここで中心となるのは、旧約の神、つまりヤハウェ(YHWH)と呼ばれる存在。しかし、この神が誰であるのかを理解するには、単に名前を知るだけでは不十分で、古代の世界観における「神々のヒエラルキー」や、統治構造に対する理解が不可欠になる。

古代の宗教には、しばしば多くの神々が登場するが、そのすべてが同等の地位にあるわけではない。むしろ、各神はそれぞれ特定の役割を担い、複雑なヒエラルキーを形成していた。例えば、エジプトやバビロニアの神話では、天と地、冥界を司る神々がそれぞれ異なる層に存在し、その上に至高神が君臨するという構図があった。

ここで重要なのは、イスラエルの宗教もまた、こうした周辺の多神教の影響を受けながらも独自の一神教を発展させていった点だ。『出エジプト記』に登場するヤハウェは、この統治構造の中で独自の地位を築いた。彼は単なる自然神や部族神ではなく、全宇宙の創造者としての役割を持ち、他の神々を従える絶対的な存在として描かれる。

十戒が授けられたシナイ山の出来事は、この点を強調する重要なシーンだ。ヤハウェはモーセに対して、自らの名を「我は有りて有る者」(エヒェ・アシェル・エヒェ)と明かす。この言葉は、存在そのもの、永遠不変の神を意味し、他の神々とは一線を画す。これが、ヤハウェの特異性だ。

一方、対抗する邪神バアルは、もともとカナン人や周辺民族に信仰されていた雷と農業の神で、雨や嵐を司る存在だった。バアル信仰はイスラエル周辺で根強く、特に旱魃や収穫に影響を与える自然神として、しばしばヤハウェ信仰に対抗する形で登場する。だが、旧約聖書においては、バアルは単なる異教の神というより、偽りの偶像崇拝の象徴であり、ヤハウェに挑む堕落した神として描かれている。

さて、このヤハウェが「誰か」について語る際、ヤハウェは単に神という役割にとどまらず、イスラエルの歴史的・文化的な背景とも密接に結びついている。彼は、イスラエルをエジプトから解放し、契約を結び、その運命を導く存在である。つまり、ヤハウェはイスラエルの「民族神」から始まり、次第に唯一神としての性格を強め、最終的には全宇宙の創造主へと昇華したといえる。

この過程を理解することで、ヤハウェという神が単なる部族の守護神から、絶対的な存在へと進化し、バアルのような邪神と対立した理由がより明確になる。ヤハウェは、単に他の神々と競い合う存在ではなく、全ての存在の根源であり、支配者としての位置を確立していったのだ。

旧約の神とバアル神の戦い

モーセに率いられた一行がエジプトを脱してから40年以上経ち、イスラエル人たちはついにカナンの地を目指して北上を開始した。しかし、道中でエドムとモアブの王に行く手を阻まれ、やむなくその土地を避けて進むことになる。そしてようやくヨルダン川の東岸に辿り着いたが、ここで大きな試練が待っていた。多くのイスラエル人がモアブの娘たちに誘惑され、邪悪なバアル崇拝に引き込まれてしまうのだ。


モーセ率いるイスラエルの民が、40年以上にわたる放浪を経てついに動き出す。彼らは南北を結ぶ古代の交易路「王の大路」(南北を繋げる古代からある交易路)を北上しようとしたが、エドム王に行く手を阻まれ、やむなく迂回しながら進んだ。
ようやくたどり着いたのは、エドムとモアブの国境付近、ヨルダン川東側の地。そこからさらに死海を北上し、アモリ人(アムル人)の王シホンを打ち破り、ヤボク川を越えて、巨人族の子孫とされるバシャンの王オグをも征服したことで、ヨルダン川東側の支配を手中に収めることに成功する。

この知らせはモアブの王バラクを震え上がらせた。軍事的に太刀打ちできないと悟った彼は、ある策を思い付く。それは後にモーセとイスラエルに災いをもたらす恐ろしいものであった。
モーセがイスラエルの民をカナンに導こうとしていた時、モアブ人は自らの領土を通過することを許さなかった。そして、アモリ人が滅ぼされるのを目撃したバラクは、イスラエルを呪わせるためにバラムという預言者を雇ったのだ。

しかし、その呪いは失敗に終わった。だが、バラムの助言が新たな策を導き出す。それはモアブやミディアンの娘たちを使ってイスラエルの男たちを誘惑し、彼らをカナンの地に根付くバアル神の儀式へと引き込むというものだった。
この儀式は性的な堕落に満ち、終わりには淫蕩な交わりが行われたと言われている。多くのイスラエルの男たちが、この異教の神に心を奪われ、まだヨルダン川を越えていないうちに、カナンの文化とその堕落した宗教に染まってしまったのだ。モーセの怒りと苦悩は想像に難くない。


この文章の内容に対応する聖書の箇所は、民数記 22章から25章に記されている。これらの章において、イスラエルの民がモアブおよびミディアンの策略により偶像崇拝と不道徳に陥る様子が描かれている。以下に、その主要な内容を要約する。

民数記 22章:バラク王とバラムの召喚

民数記22章では、モアブの王バラクが、イスラエル人の勢力を恐れ、預言者バラムを雇ってイスラエルを呪わせようとする場面が描かれている。イスラエル人がエモリ人(アモリ人)を打ち倒し、モアブに近づいてくるのを目の当たりにしたバラクは、バラムを召喚することでイスラエル人に打撃を与えようとする。しかし、神はバラムに対してイスラエルを呪うことを禁じる。バラムはバラクの要請に応じつつも、神の命令に従うことを誓う。

民数記 23章~24章:祝福とバラムの預言

民数記23章から24章にかけて、バラムはイスラエルを呪おうと何度か試みるが、その度に神は彼に対して祝福の言葉を告げさせる。バラムはバラクの期待に反して、イスラエルに対して祝福の預言を繰り返し、バラクの怒りを買う。しかし、バラムは神の命令に逆らうことができず、結果的にイスラエルを呪うことには失敗する。

民数記 25章:バラムの策略とイスラエルの堕落

バラムがイスラエルを直接呪うことに失敗した後、民数記25章では、バラムが別の策略を授けたことが明らかにされる。モアブとミディアンの女性たちがイスラエルの男性を誘惑し、カナンの土着信仰であるバアル・ペオルの儀式に引き入れることで、イスラエル人を堕落させるのである。この儀式には淫行が伴い、結果として多くのイスラエル人が偶像崇拝と不道徳な行為に加担することとなる。この行為により、神の怒りがイスラエルに下り、疫病が発生する。

「イスラエルがシッティムに住んでいた時、民はモアブの娘たちと淫行を行った。これらの女たちは、自分たちの神々のいけにえに民を誘ったので、民はこれを食べ、彼らの神々を拝んだ。こうしてイスラエルはバアル・ペオルに従って主の怒りを招いた。」(民数記 25:1-3)

結論
これら物語は、イスラエルがカナンに到達する直前に直面した重大な霊的危機を描いており、外部の敵対勢力が直接的な軍事力を用いるのではなく、宗教的・道徳的な堕落を通じてイスラエルを崩壊させようとしたことを示している。バラムによる呪詛の失敗と、彼が授けた秘策がイスラエルに重大な影響を与え、モアブやミディアンとの関係を悪化させる決定的な要因となった。

モーセの皆殺し命令


5 そこでモーセはイスラエルのさばきつかさたちに言った。「あなたがたはそれぞれ、自分たちに属する者で、バアル・ペオルに身を寄せた者を殺せ。」6 そのとき、見よ、ひとりのイスラエル人がミデヤンの女を連れて、兄弟たちのもとにやって来た。モーセと、イスラエル人の全会衆が会見の天幕の入口で泣いているまさにその時であった。7 祭司エルアザルの子ピネハスはそれを見て、会衆の中から立ち上がり、手に槍を取って、8 そのイスラエル人の男のあとを追い、天幕の中へ入って、その二人を、イスラエルの男と女をその腹を突き刺した。こうしてイスラエルの人々に下った疫病はやんだ。9 その疫病で死んだ者は二万四千人であった。

民数記 25章5-9節

聖書の記述では、アロンの孫が同胞の一人と異民族の女性を槍で貫き殺す場面や、モーセが少女以外のすべてを皆殺しにするよう命じ、2万4千人ものイスラエル人が失われたとされているが、これらの話は後世に作られた可能性が高い。もしこれらの記述が事実ならば、出エジプトからの経緯でイスラエル人の犠牲者数は、彼らの総人口を遥かに超えてしまうはずだからだ。おそらく、実際の死者の数は聖書に記されたほど多くはなかったのだろう。

バビロンの聖婚儀礼をイエスに施したマグダラのマリア

バビロン捕囚期において、ユダヤ人たちはバビロンのジグラッドにある神殿で、王や祭司が巫女と不道徳な関係を持つという話を聞き、この行為を行った神殿の女神イシュタル(イナンナ)を「大淫婦」と呼ぶようになったのだろう。これが後に「ヨハネの黙示録」で登場する「バビロンの大淫婦」という表現、つまりローマ帝国を指す隠喩に繋がった可能性がある。

これは「聖婚儀礼」と呼ばれる儀式であり、新年を祝う宗教的な行事の一部として執り行われるものである。この儀式において、王は祭司の役割を果たし、イシュタルに仕える巫女と性交渉を行う。巫女はイシュタルの代理としての役割を担い、この儀式は単なる新年の祝祭ではなく、王の象徴的な「死」と「復活」を伴う重要な宗教的行為である。具体的には、王は儀式的に死を迎え、3日後に復活することで、再び神から王としての権限を授けられ、その後の一年間、王としての統治が許される。

この儀式の形式には、キリスト教の新約聖書に登場する「マグダラのマリアがイエスの足に香油を注ぎ、自身の髪でそれを拭った」場面との共通点が見られる。この行為は、キリスト教徒にはあまり知られていないが、聖婚儀礼の一環として理解されるべきである。すなわち、ベタニアのマリアがイエスに香油を施した場面は、象徴的な聖婚の儀式の一部であり、その後、儀式的な死と復活が続く構造を持つ。

さらに、新約聖書において、イエスが磔刑に処され、3日後に復活したという物語も、この聖婚儀礼の象徴的な要素と深く関連していると解釈されるべきである。しかし、この点については、キリスト教徒の多くが理解していない。

要するに、旧約の時代には王が新年の儀式として「聖婚儀礼」を行い、その一環でイナンナの巫女と性行為をしていた。これは結婚関係にはない相手との行為で、新年の豊穣を祈願する目的があった。王だけじゃなく、神殿には多くの巫女が仕えていて、彼女たちは旅人とも性交渉を行い、性の技術で喜びを与えていた。こうした行為は国家レベルで推奨され、国としても「喜びを女神から受け取る」として、モテない男たちまで勧誘されていたんだ。それによって社会が安定していたという側面もある。

問題は、こうした社会制度をどう捉えるかだ。民が満足しているなら民主主義的に肯定されるべきなのか、あるいは神の怒りを招いて滅ぼされるべきだと見るか。いずれにせよ、この状況は「まともな国家」とは言い難い。

バビロンの大淫婦=自由の女神=女神イシュタル(イナンナ)

それから、七つの鉢を持つ七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。多くの水の上にすわっている大淫婦に対するさばきを、見せよう。地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている」
御使は、わたしを御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。
この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦(いんぷ)どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。

ヨハネの黙示録 17:1-5

自由の女神像が「大淫婦バビロン」に対応すると考える理由は、いくつかの要素が符号するからだ。

  1. 多くの水の上に立つ
    自由の女神像はニューヨーク港にあるリバティ島という小さな島に位置している。ニューヨーク港は世界中の海と航路で繋がっており、「多くの水の上にある」という聖書の表現に一致する。

  2. 7つの頭
    聖書の「大淫婦バビロン」が乗る獣の7つの頭は、G7における七つの超大国の首脳を象徴しているとされる。その頂点に立つのがアメリカ(の裏支配者)だと考えられている。あるいは、G8として捉えてアメリカを引いた7つの国々が7つの頭に該当するとも解釈できる。

  3. 紫と赤の衣
    「麻布と紫布と緋布」という表現は、アメリカの国旗に対応するとされる。星条旗は白、青、赤の三色で構成されているが、その青色は純粋な青ではなく、やや紫がかった紺色であり、これが「紫布」に相当する。また、赤色は「緋布」に対応するとされる。

  4. 金の杯を手に持っている
    自由の女神像が手にしているたいまつは、杯のようにも見える。そして、そのたいまつの炎は金色に塗装されており、これが「金の杯」に該当するという主張だ。

  5. フリーメイソンとの関連
    自由の女神像は1884年にフランスのフリーメイソンからアメリカのフリーメイソンに贈られたものである。さらに、アメリカの建国が1776年であることが示されており、これがフリーメイソンの影響下で進められたことが強調されている。また、1776という数字が111の16倍であることにも意味があるとされる。

これらの要素から導かれる結論として、自由の女神像は聖書の預言を実現するために贈られた象徴であり、アメリカという国家はその役割を果たすべく建国当初から計画された「生贄の人工国家」であった。つまり、アメリカは神の裁きを受ける運命にある国家であり、その存在自体が預言の実現に向けたものである。

「大淫婦バビロン=自由の女神」である。異論は認めない。

イシュタルの夫=バアル説

イシュタルの夫がバアルだという話をすると、ちょっと興味深いことが出てくる。キリスト教のシンボルは十字架「+」だが、バアルのシンボルはクロス十字「X」だ。面白いことに、みんながクリスマスを祝う時に使う「Xマス」という表記は、この「X」と関係している。実は、これはバアル崇拝とつながっている、という説もある。特にオカルト好きのたちはこのことをよく知っていて、クリスマスがそういう背景を持っていることが常識のようんだ。しかも、ハロウィンも含めて、こういった行事はすごく興味深い現象だ。

Xmasとバアル神の関連性そしてハロウィンについて

まず、Xmasとは「クリスマス」の略で、特に英語圏で使われる表現だ。「X」はギリシャ語でキリスト(Χριστός)の最初の文字「Χ」(キー)を表す。この略語自体は古くから使われており、キリスト教的な意味合いがしっかりと含まれている。Xmasをバアル信仰や異教に関連付ける考えは、歴史的な事実に基づくものではない。一方、バアル神は古代のカナンやフェニキアで崇拝されていた多神教の神々の一つであり、主に豊穣、天気、雷などを司る神として知られている。バアル信仰は、旧約聖書の中でイスラエルの民がバアル崇拝に惹かれることがたびたび批判されていることから、キリスト教徒の間では「異教の神」として否定的なイメージが強い。このような誤解が生じる理由として考えられるのは、いくつかの要素が重なっているからだ。特に次の2つが挙げられる。

  1. 異教的な起源に対する過敏な反応
    キリスト教において、異教の要素が取り入れられていることへの懸念が、歴史上たびたび見られてきた。たとえば、クリスマス自体が冬至を祝う異教の祭り(特にローマのサトゥルナリア祭など)と時期が重なるため、異教の要素が影響しているのではないかという主張が根強く存在する。このため、一部の人々がクリスマスと古代の異教神、特に豊穣や自然を司るバアル神のような神々との関連を無理に見出そうとした可能性がある。

  2. 文化の誤解や混同
    異教の神々とキリスト教の祭りを関連付ける誤解は、文化的な混同からも発生することがある。バアル神は「太陽神」としても知られるが、太陽や光に関連する祭りやシンボルは、古代の多くの文化で冬至の時期に祝われていた。クリスマスが冬至に近い日付で祝われることから、異教の太陽神信仰とクリスマスが誤って結び付けられることもあった。また、バアル神自体がキリスト教の文脈で悪神的に描かれることが多いため、クリスマスに何か「異教的な」要素があると信じる人々が、その象徴としてバアルを持ち出すことがあった。

  3. 結論
    Xmas(クリスマス)は、バアル神とは直接的な関連性を持たない。誤解が生じたのは、キリスト教と異教信仰の融合に対する懸念や、異教の神々とクリスマスの象徴が混同されたことによるものだ。クリスマスは、基本的にはキリストの降誕を祝うキリスト教の祝日であり、バアル神など古代の異教の神々とは無関係だと考えてよい。

キリスト教原理主義者、特にものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)がハロウィンを拒否する理由は、以下の5点に集約される。

まず、ハロウィンの起源が異教的なケルトの祭り「サウィン(Samhain)」に由来しており、死者の霊や悪霊との関わりを強調することが挙げられる。聖書において異教の儀式や他の神々への崇拝は明確に禁じられており(出エジプト記や申命記)、これがハロウィンへの参加拒否の一因となっている。
次に、ハロウィンが死者の霊や悪霊に関連する行事であることから、聖書が禁じる霊的交信や魔術に抵触すると見なされている(申命記18章10-12節)。エホバの証人は霊的存在との交わりを避け、これに基づく行事への参加を否定する。
第三に、ハロウィンには悪魔や悪霊を象徴する仮装が含まれており、これが悪魔崇拝やサタンとの関わりを連想させるため、聖書における「闇の権力」との戦いという観点から拒絶される(エペソ書6章12節)。
さらに、ハロウィンが商業化された文化的イベントであることも問題視される。エホバの証人は、商業主義が信仰の純粋さを損なうと考え、クリスマスやイースターと同様にハロウィンも信仰的に不適切と判断している。
最後に、ハロウィンはキリスト教の万聖節に関連しているが、その起源が異教の影響を受けているため、聖なる日を純粋に祝うべきという教義に反すると見なされる。したがって、エホバの証人を含むキリスト教原理主義者はハロウィンを拒否し、聖書の教えに従う姿勢を貫いている。

メタトロン=エノク

メタトロンについての主な記述はカバラなどの中世ユダヤ神秘思想や聖書偽典において現れる。メタトロンの性格については様々な伝承があるが、「契約の天使」「天の書記」「神の代理人」「小YHWH」(YHWHはヘブライで神を表す)など、様々な異称を持ち、76の異名を持つともいう。中世ユダヤ神秘主義者のなかには「出エジプト記」に現れる「太陽よりも燦然と輝く」顔を持つ天の御使いこそメタトロンであり、天の上から「炎の柱」を使って彼らを導いたという。一般には出エジプト記の「炎の柱」は神そのものであるとされる。メタトロンの語源はメタトロニオス(Metathronios, ギリシア語で「玉座に佇る者」の意味)だとされるほか、他にも、その異称「ミトロン(Mitron)」からペルシャ起源の東方神「ミトラ」との関係を指摘する説もある。

5.位置付け
神の化身
メタトロンは小ヤーウェ、すなわち神の化身である。正確に言えば、メタトロンは天使ではなく、天使王である。ユダヤの秘教(メタトロン神秘主義)によれば、神ヤーウェ(アイン・ソフ)は目に見えず、かたちもない。このような神の人間的な表れがメタトロンである。アイン・ソフは神の潜在相(目に見えない姿)で、メタトロンはその顕現相なので、アイン・ソフを大ヤーウェ、メタトロンを小ヤーウェと言う。

7.メタトロンとエノク
二人のメタトロン
ユダヤ伝承には二人のメタトロンがいる。一方のメタトロンの名は七文字(מיטטרון)で、もう一方は六文字(מטטרון)である。七文字のメタトロンはアイン・ソフから生まれた最初の者(根元の大天使)で、六文字のメタトロンはエノクの変容した姿であるとされている。⇒アグリッパ『秘教哲学の三書』
『ヘブライ語エノク書』によれば、七文字のメタトロンはアイン・ソフから生まれた最初の者)つまりロゴス(言霊)である。六文字のメタトロンは、『創世記』5:21-24に登場する賢者エノクである。エノクは、365年の間、この世で神と共に歩み(生き)、その後、天に召されて、そこで変容しメタトロンになった人物である⇒『ヘブライ語エノク書』9:2–13:2;『創世記』5:21-24。

二つの綴り
メタトロンの名には、二系統の綴りがある。一方は七文字で、ミトラトン/ミットロン、もう一方は六文字でメタトロンである。七文字のメタトロンはアイン・ソフから生まれた最初の者(根元の大天使あるいはヤーウェの人格的な顕現)で、天地の創造者(創造神)である。六文字のメタトロンは天上で変容したエノクの名である。

エノク伝承 その2
以下は、五世紀のバビロニアとイスラエルの伝承である⇒シュワルツ『ガブリエルの楽園』p59-60。
神は天地を創造したとき、天地を聖なる光(無限光=アイン・ソフ・オウル)で満たした。アダムとイヴは禁じられていた果実を食べたために、楽園を追放された。その時、二人は聖なる光を失った。この光をなくしたために、二人にとって世界は真っ暗になった。聖なる光に比べたら、太陽の光ですら、ろうそくの光のごとくか細いものであったからである。神は聖なる光の一部をツォハルという名の宝石に封入していたので、神は天使ラジエルに命じて、アダムに届けさせた。アダムが寿命を終えるとき、この宝石を息子のセトに譲った。その後も、代々受け継がれて、やがてエノクのものになった。エノクがその宝石の中をのぞき込むと、そこには燃える火の文字が見えた。その文字を読むことで、エノクは天界のトーラーを知り、賢者になった。賢者エノクは、やがて迎えに来たメルカバの戦車に乗って天界に上り、メタトロンになった。

8.メタトロンとモーゼ
ユダヤ教にとって、メタトロン以上に重要な天使はいない。このことは、モーゼの出エジプト(エジプト脱出)におけるメタトロンの保護と導き、シナイ山頂における十戒の授与という二つの偉業を知れば即座に理解できる。以下は『ゾーハル』および『ヘブライ語エノク書』の伝承である。
出エジプト
(1)モーゼが、イスラエルの民をつれて、エジプトから脱出するとき、メタトロンは、彼らの先頭を火の柱となって進んだ⇒ド・マンハル『ゾーハル』p140;『出エジプト記』13:17-22。
(2)メタトロンは、モーゼが率いるイスラエルの部隊に先立って進み、移動して彼らの後ろに行き、エジプトの陣とイスラエルの陣の間に割って入った⇒『ゾーハル』p140;『出エジプト記』14:19。
(3)メタトロンは、後ろからエジプト軍が来たとき、モーゼたちのために、海を二つに分けて、道をつくった⇒ド・マンハル『ゾーハル』p140;『出エジプト記』14:15-31。
シナイ山頂
(1)モーゼがシナイ山に上った時、モーゼの前に現れ、モーゼの願いを聞き、そのすべてに答えたのは、メタトロンである。このとき、メタトロンは十戒を授けるとともに、自らの名を明かした⇒『ヘブライ語エノク書』15B, 48D:6-10;『出エジプト記』19-20。
(2)イスラエルの民が荒れ野を見ると、主の栄光メタトロンが現れた⇒『出エジプト記』16:10;メイヤー『カバラ』p272。
モーゼ一行の定住先を確保する
(1)主なる神はモーゼに次のように語った。「見よ、わたしはあなた(=モーゼ)の前に使い(=メタトロン)を遣わして、あなたを道で守らせ、わたしの備えた場所に導かせる」。⇒『出エジプト記』23:20-23;メイヤー『カバラ』p272
(2)主なる神はモーゼに次のように語った。「わたしは、あなた(=モーゼ)に先立って使い(=メタトロン)を遣わし、カナン人、アモリ人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い出す。あなたは乳と蜜の流れる土地に上りなさい」。⇒『出エジプト記』33:2;メイヤー『カバラ』p272

http://mithra.world.coocan.jp/Mithraism_Metatron.html

YHWH=サナト・クマーラ

これは太陽系ハイアラーキー第3レベル話。ここでトップに位置するのはサナト・クマーラであり、彼は「世界主」と呼ばれている。彼には側近がいて、2つの系統が存在する。1つはエノクを中心とする12名の使徒、もう1つはミトラを中心とする12名である。(実際は16名だがここでは12名としておく)
ミトラを中心とするグループはほとんど表に出てこず、隠された存在になっているため、エノクを中心とするグループが神智学で取り上げられている。そして、エノクは旧約聖書の時代にその役割を果たし、最終的にマイトレーヤと入れ替わる。つまり、サナト・クマーラを頂点として、マイトレーヤがキリストであり、旧約の時代にはエノクがキリストであった。エノクには従う12名の使徒が存在し、彼らはイエスが出現した時代にハイアラーキー第2レベルに昇進し、より高次の存在となった。そして、その代わりにマイトレーヤと彼に従う12名が新たに現れる。これが新約の世界観となる。
この部分が、神智学でベンジャミン・クレームやブラヴァツキー夫人が紹介した世界観である。しかし、彼らはミトラとその上位グループである12名を省略してしまっているため、全体像が分からなくなっている。
しかし、ユダヤ教の神秘思想ではミトラトンという7文字の名前を認識しており、その下位にエノクが位置することが明確に述べられている。このような構造を理解していないと、宗教の全体像が見えなくなってしまうというわけだ。
このアインソフ(YHWH)は実はサナト・クマーラのことだ。ミトラトンはミトラのこと、メタトロンはエノクのことを指す。これらが旧約聖書に登場する神々の正体だということになる。
つまり、サナト・クマーラこそが唯一の真の神であり、メタトロンは唯一の真の神の代理人として、使いの神としてイスラエルの民の前に現れた存在だということだ。

アインソフ = YHWH = サナト・クマーラ
メタトロン = 小YHWH
      = (7文字)ミトラトン = ミトラ
      = (6文字)メタトロン = エノク(旧約の神)
太陽系ハイアラーキー 第3レベル
サナト・クマーラ(世界主)
└ミトラ(+12名)
└エノク(+12名)⇒神智学

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