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毒親という現実:自転車に乗る母と走る子供の光景

川口市で偶然目にしたある親子のやり取り。母親からの激しい叱責に苦しむ小さな男の子の姿が私たちの心に深く刻まれました。その日、友人と私が取った行動、そして感じた正義感の難しさについて綴っています。社会全体で支え合うことの重要性を考えさせられる、心に残る体験記です。



川口市で見かけた心が痛む親子の光景

先日、友人と川口市の元大手デパート店近くを自転車で走っている時のことです。その日は晴れていて、のんびりと街を散策するつもりでした。私たちはゆっくりと周囲の景色を楽しみながら走っていましたが、そこで目撃した親子のやり取りが、あまりにもショッキングで、今も心に残っています。

ある瞬間、後ろから勢いよく自転車で私たちを追い越していく女性がいました。その後ろには、小学校低学年くらいの男の子が、息を切らしながら必死についてきていました。最初は「親子でトレーニング中かな?」なんて微笑ましく見ていましたが、その印象はすぐに変わりました。

女性はものすごい勢いでペダルをこぎ、まるで誰かから逃げるような姿勢で走っていました。男の子は彼女についていくのがやっとで、顔は赤く、額には汗が滲んでいました。少し先の坂道で、その女性が減速し、私たちは追いつきました。そのとき、彼女はヒステリックに男の子を怒鳴り始めたのです。「そんなわざとらしく息を荒げないの!気持ち悪い!もっとダメ人間になるよ!」と、息も絶え絶えの男の子に対して容赦ない言葉を投げつけ続けていました。

さらに、「晩ご飯はあげないからね!」などと、あまりに厳しい言葉を口にし、男の子を責め続けていました。その子の小さな身体が震えているのが目に見えて分かりました。その後も、母親は自転車を激しく止めて子供に詰め寄り、「学校でも保健室で休んで、塾でも熱を出して、甘えるのもいい加減にしなさい!」と怒りをぶつけ続けていました。彼女の声は強烈で、周りにいた通行人も一瞬足を止めて振り向くほどでした。

子供は涙目で「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返すばかりでした。その謝る姿はあまりにも痛々しく、私たちは胸が締め付けられる思いでした。母親は怒鳴り続けるだけではなく、「九九を暗唱しながら走らないと許さないからね!」と叫び、男の子を置いて先に行ってしまいました。男の子はその場で吐き気を催し、苦しそうにしていましたが、母親は振り返りもせず、まるで見捨てるかのようにその場を去りました。

友人と私が取った行動

私たちはあまりの光景にショックを受け、立ち止まりました。これは普通ではない、と直感的に感じた私たちは、その場でどうするべきか迷いました。友人はすぐに近くのコンビニで水とスポーツドリンクを買い、私は男の子に寄り添って「大丈夫?」と声をかけました。友人が戻ってくる間も、男の子は嗚咽しながら「ごめんなさい」を繰り返していました。

男の子は身体が震え、体力的にも精神的にも限界に達しているようでした。友人が戻ってきて、水とスポーツドリンクを手渡したとき、男の子は弱々しく受け取りましたが、手は力が入らないのか震えていて、開けるのにも苦労している様子でした。友人は優しく「大丈夫、無理しないでいいからね」と言いながら手伝い、少しずつ飲ませました。男の子が少しでも落ち着くようにと、私たちはゆっくりとした声で話しかけ続けました。

私は母親を追いかけ、「お子さんが具合悪そうですよ」と声をかけました。しかし、彼女は「あんなの仮病よ」と言い放ち、私の言葉をまるで受け付けない様子でした。その冷たい視線と無関心な態度に、私はただ驚くばかりでした。母親は子供の痛みや苦しさに全く共感を示さず、むしろ嘲笑うような態度でした。彼女は苛立ったように「何の関係もない人間が口を出すべきではない」と言い放ち、男の子を完全に無視して先へ進んでしまいました。

その場にはたまたま通りかかったご老人もいて、私たちにこう語りました。「あなたたちがしたことは素晴らしいことだが、この子が母親にどう扱われるか考えたことはあるかい?」と。その言葉で、私たちはやるせなさを感じざるを得ませんでした。男の子を助けたことで、さらに母親から厳しい罰を受ける可能性がある、というのです。ご老人はとても物静かな口調で、しかし深い悲しみを込めて話していました。「この子は、この親からの束縛と罵声に長く耐え続けてきているのだ」と。

その老人によれば、この親子は地元では有名で、過去にも同様の事件が起こっていたとのこと。警察沙汰にもなったことがあるが、子供のためにこれ以上の介入ができず、事態は進展しないままだそうです。周囲の人々もその親子に関わることを避けるようになっているようで、その結果、母親の暴言はエスカレートする一方であるとのことでした。ご老人は溜息をつきながら、「私たちは見守ることしかできないのかもしれない」とつぶやきました。

私たちは警察に通報するべきか迷いましたが、老人の助言で男の子の父親に連絡を取ることにしました。その際、ご老人は男の子の父親の連絡先を知っていて、私たちに教えてくれました。男の子の父親に連絡を入れると、父親はすぐに駆けつけてくれるとのことでした。その後、父親が到着するまでの間、私たちは男の子と一緒に過ごし、少しでも安心できるように寄り添いました。

正義感の難しさ

結局、その日は雨が降りそうな暑い日で、私たちの心にも重いものが残りました。助けたい気持ちがあっても、それが必ずしも良い結果をもたらすとは限らない――そんな現実を痛感させられる出来事でした。私たちは善意から行動しましたが、その善意が逆に子供を追い詰める可能性があるという事実に、非常に苦しい気持ちになりました。

その後、父親が到着し、男の子を連れて帰ることができました。父親は深く頭を下げ、私たちにお礼を言ってくれましたが、その顔には疲れと悲しみが滲んでいました。父親もまた、この厳しい家庭環境に苦しんでいるのだと感じさせられました。男の子は父親に抱きしめられ、そのとき初めて少し安堵の表情を浮かべていました。

世の中には、親子関係が「毒親」という形で歪んでいるケースも多く存在します。この母親も、何かしらの不安やプレッシャーがあって、あのような過剰な態度を取ってしまったのかもしれません。しかし、その歪みの矛先が無力な子供に向かうことの残酷さを、改めて目の当たりにしてしまったのです。私たちは、そんな状況をどうすれば少しでも改善できるのか、自問するしかありませんでした。

友人と私は帰り道で、この親子のことをずっと話していました。「あの子は今ごろどうしているだろうか」「何か少しでも彼のためにできることはなかったのか」。何もできない自分たちへの無力感が、私たちの心に深く残りました。正義感を持って行動することの難しさ、その結果として他人の人生にどのような影響を与えるかを考えると、簡単には行動に移せないという現実がそこにはありました。

また、私たちはこの出来事を通じて、地域社会の支えの重要性についても考えさせられました。周囲の人々がもっと積極的に関わることができれば、あの子供も違った状況に置かれていたかもしれない。しかし、実際には多くの人々が関与を避け、見て見ぬふりをしてしまう現状があります。それは決して他人事ではなく、社会全体で取り組むべき問題なのだと思います。

私たちは最後にご老人に男の子のことを託しましたが、心の中では複雑な思いが渦巻いていました。正義とは何か、そしてそれを実行することの難しさ――これからもずっと考え続けるべき問題であると感じました。そして、私たちはどんな小さなことでも、できることから始めていく必要があるのかもしれません。その日感じた重い空気は、きっとこれからも忘れないでしょう。

その後の私たちの心境と考えたこと

日常に戻ってからも、あの日の出来事が頭から離れませんでした。あの男の子の涙、震える声、そして母親の冷酷な態度――全てが鮮明に思い出されます。私たちは正義感だけで動いたつもりでしたが、その結果がどうであったのか、あの男の子のその後の生活が少しでも良くなったのか、それを知る術はありません。それが悔しくもありました。

また、友人とも話していたのは、なぜ私たちはあの場でためらいを感じたのかということです。あの子を助けるべきかどうか、一瞬迷った理由――それは社会全体の「見て見ぬふり」の風潮が、どこか自分たちの中にも根付いていたからなのかもしれません。周囲の目を気にすることで、行動をためらう。その結果、あの子供のように助けが必要な人を見過ごしてしまうのです。

それでも、あの男の子の姿を見て、私たちは行動しました。確かに私たちの力は限られているかもしれませんが、少しでも誰かを助けることができるなら、その行動に価値があるはずです。私たちはこれからも、自分たちにできる小さなことを積み重ねていこうと心に誓いました。

いつか、あの男の子が少しでも幸せになっていることを願いながら。そして、私たちはこの経験を忘れずに、これからも周囲の人々に対して優しさと共感を持って接していくことを誓います。この出来事は私たちにとって深い学びとなり、決して忘れることのできない教訓となりました。

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