さよならドビュッシー/沈む寺奇譚【#毎週ショートショートnote】
これは、とある音楽愛好家から聞いた話だ。
場所はパリ郊外、そびえ立つゴシック様式の大聖堂。霧がたちこめ、冷たい石造りの壁は幾百年も時を刻んできた重厚さで人々を圧倒していた。夜も更け、月明かりが淡く差し込むその時間に、なぜか大聖堂の中からピアノの音色が響いてくるのが聞こえたという。
演奏していたのは、あのドビュッシーだという。しっとりとした音が、礼拝堂の空気に溶け込むように広がり、集まっていた人々はひそやかに息をのみながら耳を傾けていた。音楽が終わるたびに、まるで魂が浄化されるような、静かで崇高な瞬間が訪れた。
しかし、演奏がクライマックスにさしかかったその時、異様な震動が床を伝ってきた。最初はかすかな揺れだったが、次第に激しさを増していき、古い壁がきしむ音が響き始めた。天井のシャンデリアが不気味に揺れ、まるで何かがその場全体を飲み込もうとしているかのようだった。
やがて、低い唸りをあげるような音と共に、床が少しずつ沈み込み始めた。誰も逃げ出すことができず、ただ茫然とその場に立ち尽くすしかなかった。ドビュッシーの指は鍵盤を打ち続けていたが、音が沈んでいくように、彼の姿もだんだんと視界から消えていったという。
翌朝、現場を訪れた者たちが見たのは、地面にぽっかりと空いた大穴と、残骸の中に埋もれたピアノの鍵盤の一部だけだったそうだ。
地元の人々は言う。その夜の演奏は、ただの音楽ではなく、彼がこの世の何かに挑んでいた「祈り」だったのかもしれない、と。誰もその真意を知る者はいないが、彼が奏でていたのは『沈める寺院』という曲だったと後に語り継がれている。
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