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【アハブ王とエリアの対決・バビロン捕囚】聖書・キリスト教の研究-05/#138

『旧約聖書』の中では、神と悪魔の対立がテーマとして繰り返し現れる。神はイスラエルの民を導く存在として、常に彼らを「悪魔崇拝」から守ろうとする。悪魔崇拝、つまり異教の神々や邪悪な力に従うことは、神にとって最大の敵対行為だった。ところが、驚くべきことに、この悪魔崇拝は一時期、イスラエルの中心人物であるソロモン王によって国内に持ち込まれたとされている。

ソロモン王は、知恵と栄光を象徴する王として名高いが、彼の後半生ではエジプトをはじめとする異国の影響を受け、多くの異教の神々を崇拝する妻たちを迎え入れた。これは、イスラエルの宗教的純粋さに暗い影を落とした。ソロモンはその妻たちのために異教の神々の祭壇を建てたとされ、それがイスラエルに悪魔崇拝を持ち込むきっかけになったという。エジプトの宗教は古代から強力な神秘主義と結びついており、悪魔的な要素を含んでいると解釈された。

この影響が王族や神官階級にまで及んだことで、イスラエルは神に背を向ける時代を迎えることになった。預言者たちが警告を発し続けても、多くの指導者たちは異教の神々に惹かれ、信仰をゆるがせにした。

この「悪魔崇拝」の流れは、聖書の物語だけに留まらず、現代においても多くの象徴や思想に見られる。悪魔という概念は、単なる神話的存在ではなく、倫理や信仰、文化に深く根付いた象徴であり、その影響は今日でも続いているとされる。信仰の混乱と、それに伴う社会の価値観の揺らぎは、古代イスラエルだけでなく、現在に至るまで人々に問いかけられ続けている。


アハブ王とエリヤの対決

ソロモンが死ぬと、イスラエル王国では内乱が勃発。跡継ぎのレハブアムに従ったのは、12部族のうちユダとベニヤミンのみだった。ほかの部族は、北半分を占拠してしまうのである。国は二分され、南はユダ王国、北はイスラエル王国となる。こうしてダビデとソロモンが築いた大王国はわずか70年で終焉を迎える。
この内乱の時、イスラエル王国の王となったのはヤロブアムである。彼は、もともとは労働者の監督としてソロモンに仕えていた人物だ。しかし、労働者に同情し強制労働に反対したことでソロモンに命を狙われ、エジプトに亡命していた。そしてソロモンの死後、10 部族を率いて王国独立を果たしたのである。
彼はソロモンの神殿に対抗して金の牛の像を設置する。異なる民族で構成された国民をまとめるため、カナン人の信仰とイスラエル人の信仰を融合させようとしたのだ。しかしこれは、イスラエル人の異教化を進めることになった。
その後、次々と王が代わり、7 代目の王となったのがアハブだ。彼は、王国の分裂以来続いてきた南北王国の冷戦状態を改善、両王国の王女に婚姻関係を結ばせることで新たな友好関係を結ぶ。その後、アラム人に占領されていた町を奪還すると同時に、アッシリアの脅威を限りなく、国際勢を臥り見ていた。また、通商も盛んで北王国はおおいに富み栄えた。

『図説:地図とあらすじでわかる!聖書』船本弘毅監修、青春出版社
図説:地図とあらすじでわかる!聖書

イスラエル王国の分立

イスラエル王国が南北に分立した理由は、主に政治的、宗教的、経済的な要因によるものである。歴史的に見ると、イスラエルはダビデ王とソロモン王の統治下で統一された王国だったが、ソロモン王の死後、国家は二つに分かれることになった。
まず、ソロモンの治世末期には、多くの国民が高い税負担や強制労働に苦しんでいた。彼の後継者であるレハブアムがその負担を軽減するどころか、さらに強化する方針を取ったため、北部の部族はこれに反発した。この経済的圧力が、分立の一因となった。
次に、宗教的要因が挙げられる。ソロモンの治世において、異教の影響が強まり、彼の後を継いだ者たちも同様の宗教的方針を維持しようとした。これに対して、北部の部族は純粋なヤハウェ崇拝を求め、宗教的対立が深まった。
また、政治的には、北部と南部でそれぞれ異なる利益が存在していた。北部の部族は、王位を巡る権力争いにおいて、自らの権利を強く主張するようになり、最終的にエフライム部族出身のヤロブアムを王に擁立し、北王国イスラエルを建国した。一方、南部にはダビデの血統を引くレハブアムが王位を維持し、ユダ王国を統治した。
こうして、統一されたイスラエルは南北に分裂し、北はイスラエル王国、南はユダ王国としてそれぞれ独立した国家となった。

アハブ王、その妃イゼベルと預言者エリヤの対決
アハブの治世下に預言者エリヤがいた。王国に始祖伝来の神の信仰を思い出させることに生涯を捧げた人物である。
エリヤはイスラエル王国分裂以来続く異教への信仰を嘆くアハブを責め、様々な預言を行なった。
妃イゼベルの意向によって、アハブが異教の神バアルの神殿を建て自らも礼拝した時、エリヤは干害を予告する。そして3年後、バアルの司祭との対決を行い、敗れたバアルの司祭を皆殺しにして、雨を降らせてもみせた。

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イゼベルの話は、旧約聖書の中でも特に強烈なエピソードのひとつだ。彼女はシドンの王の娘として、イスラエルの王アハブに嫁いだが、持ち込んだのは政治的な影響力だけではなく、彼女が崇拝する異教の神・バアルだった。これにより、イスラエルは大きく影響を受け、バアル崇拝が広まり、エホバ信仰に大きな混乱をもたらした。

イゼベルがなぜここまで恐れられたかというと、彼女の行動がただの悪行にとどまらず、非常に計画的かつ冷酷だったからだ。ナボテの葡萄畑を奪うために彼を偽証罪で陥れ、石打ちの刑に処したのはその典型例だ。自分が欲しいものを手に入れるためには、誰が犠牲になろうと構わないという姿勢は、当時の王妃という立場でも異例だ。

アハブ王も優柔不断な面があり、イゼベルに対して強い反対を示すことなく、むしろ彼女に操られていた。アハブがイスラエル史上「最悪の王」とされる理由も、イゼベルの影響が大きい。

しかし、どんな暴君にも終わりは来る。エヒウという将軍が反旗を翻した際、イゼベルの最期はあっけなかった。彼女は最後の瞬間まで自尊心を捨てず、化粧をしてエヒウを迎えたが、結局宮殿の人々に窓から突き落とされるという、まさに劇的で凄惨な最期を迎えた。

この物語は権力と悪の結びつき、そしてそれが引き起こす結末の警告として後世に語り継がれている。イゼベルの名は今でも「悪女」の代名詞として使われることがあるが、実際彼女がもたらした影響は、その一言だけでは収まらない深いものだと言える。

エノクと洗礼ヨハネ

イスラエルの神の正体はエノクである。エノクは「メタトロン」と呼ばれている存在で、ヤハウェの代理を務めている。ちなみに、ヤハウェというのは「サナト・クマーラ」のことを指している。つまり、エノク=メタトロンがイスラエルの神というわけだ。

聖書には、エリアが昇天したと記されており、天に引き上げられたという記述がある。これは、おそらく彼の死後の霊体が天に上ったことを意味している。エリアは天にのぼり、サンダルフォンという大天使になったとされる。ちなみにメタトロンとサンダルフォンは「双子の魂」である。

その後、エリアは転生し、洗礼者ヨハネとして生まれ変わる。エリアと洗礼者ヨハネは雰囲気が非常に似ており、どちらも「悔い改めよ」と叫ぶ姿が共通している。そのため、実際には同じ人物であり、このような繋がりがあるために、非常に重要な存在だ。

彼はエリアの時代に民衆の心を掴み、本物の預言者だと信じられていた。そして、闇の側の悪魔崇拝の司祭たちを皆殺しにした。同様に、転生したヨハネもユダヤ人たちから絶大な支持を集め、本物の預言者であり救世主だと思われていた。しかし、彼は首をはねられて殺されてしまう。

おそらく、彼が首をはねられて殺されたということの意味は、バアル信仰の預言者や司祭たちを—聖書には450人と書かれているが—皆殺しにしたことに対するカルマであると考えるのが自然だろう。

バビロンの捕囚と新しい契約

バビロン捕囚―バビロニアの圧政は神からユダ王国への罰
南北に分立したイスラエル国家のうち、北のイスラエル王国は紀元前722年、アッシリアの支配下に入る。一方、南のユダ王国はかろうじて独立を保っていたものの、小国であるがあまりにその存続は困難を極めていた。アッシリアの支配下にあった新バビロニア王国がオリエントの覇者として台頭。これに対抗してエジプトとアッシリアが同盟を結ぶ。
こうした情勢のもと、預言者エレミヤはバビロニアのネブカドネザル王を、神がユダ王国を懲らしめるために遣わした存在と主張し、エジプトと手を結ぶことを非難する。しかし、人々は彼を国の冒涜者として責め、地下牢に閉じ込めてしまうのだった。
バビロニアの勢いに押され、当初は手を組んでいたユダ王国だが、エジプト王がネブカドネザルを打ち負かすや、その支援を逃れるためにエジプト側に寝返る。だが再び態勢を立て直したネブカドネザルによって、首都エルサレムは包囲されてしまうのだった。
時のユダ王ホヤキムは、エルサレムを破壊から救うために新バビロニアへの従属を決意。こうしてユダ王国はかろうじて独立国の体面を保つことを許されたものの、王族ほか1万人がバビロンに強制連行された。紀元前598年の第1回バビロン捕囚である。
ユダ王国の王はホヤキムからゼデキアに代わった。屈辱に耐えかねた王はエジプトと組んでバビロニアを攻撃する策略に加担する。エレミヤの糾弾によって一度は思い留むものの、反バビロニア派に扇動されたゼデキアは結局バビロニアを裏切った。怒ったネブカドネザルは再びエルサレムを包囲。3年間に及ぶ激しい攻防のうち、エルサレムはついに陥落、破壊されてしまう。
ゼデキアは、子を殺され、自身は両目を奪われて捕虜となった。ゼデキア以降、ユダは王を立てることは許されなくなり、ユダ王国は滅びる。そして第2回バビロン捕囚(紀元前586年)が行われたのだった。

『図説:地図とあらすじでわかる!聖書』船本弘毅監修、青春出版社

北イスラエル王国と南ユダ王国は、古代イスラエルが分裂した際に形成された二つの主要な王国である。紀元前722年、北イスラエル王国はアッシリア帝国によって征服され、その結果、北の王国に属していた10部族は「失われた十部族」として知られるようになった。これに対して、南ユダ王国はその後もしばらく独立を保ち続け、最終的には紀元前586年に新バビロニア帝国によって滅ぼされるに至る。

北イスラエル王国の部族構成

北イスラエル王国に属していた部族は以下の10部族で構成されていた。

  1. ルベン族:ヤコブの長男ルベンの子孫にあたる。

  2. シメオン族:ヤコブの次男シメオンの子孫。

  3. ゼブルン族:ヤコブの六男ゼブルンの子孫。

  4. イッサカル族:ヤコブの五男イッサカルの子孫。

  5. アシェル族:ヤコブの八男アシェルの子孫。

  6. ナフタリ族:ヤコブの二男ビルハの子であるナフタリの子孫。

  7. ダン族:ヤコブの四男ビルハの子であるダンの子孫。

  8. ガド族:ヤコブの七男ガドの子孫。

  9. マナセ族:ヨセフの長男マナセに由来し、エフライム族と共に「ヨセフの家」として位置づけられる。

  10. エフライム族:ヨセフの次男エフライムの子孫で、北イスラエルの主要な部族の一つ。

これらの部族は、北王国の滅亡後、アッシリアによる征服と強制移住によって行方不明となり、歴史の中で「失われた十部族」としてその所在が不明となった。

南ユダ王国の部族構成

南ユダ王国は、北イスラエル王国とは異なり、以下の2部族で構成されていた。

  1. ユダ族:ヤコブの四男ユダの子孫であり、ユダ王国の支配部族となった。

  2. ベニヤミン族:ヤコブの末子ベニヤミンの子孫であり、ユダ族と共に南王国を形成した。

さらに、レビ族は、神殿祭司として特定の土地を持たずに他の部族に分散していたが、南ユダ王国と特に深い関わりを持ち、祭司階級としての役割を果たしていた。

北イスラエル王国の滅亡により、これらの部族間の運命には大きな違いが生じた。南ユダ王国の滅亡後も、ユダ族とベニヤミン族、レビ族はバビロニア捕囚から解放された後に再びエルサレムに戻り、イスラエルの宗教的・文化的な伝統を引き継ぐこととなった。一方で、北の失われた十部族はその行方が不明であり、様々な仮説が存在するものの、歴史上は謎に包まれたままである。

エレミヤは、また、エルサレムの滅亡を嘆き「哀歌」を書き残している。同時に彼は災難と破壊は、神が人と新しい契約を築こうとしている準備であることに気付く。モーセがシナイ山で授かった契約を人は守れなかった。「新しい契約」こそ、人が倫理的に生きるために必要なことであったのだ。「エレミヤ書」第31章には、神が人と改めて新しい契約を結ぶ日がくること、再び彼らの心に律法を置くことが記されている。

『図説:地図とあらすじでわかる!聖書』船本弘毅監修、青春出版社

31 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。
32 この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。
33 しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。
34 人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。

エレミヤ書

ハロウィンの由来

オカルトの世界では、10月31日に行われる祭りは「サムハイン」と呼ばれている。この日、ドルイド僧とその信者たちは、城から城、農奴から農奴へと「トリック・オア・トリート」と言いながら巡回するという。彼らが城で要求する「トリート」とは、その城の王妃や他の女性を生贄に捧げることを意味する。
もしこの「トリート」がドルイド僧たちの気に入るものであれば、彼らは城に「ジャック・オ・ランタン」を置いていく。このランタンには、人間の脂肪で作られた蝋燭が灯されており、それがその夜、悪霊から城内の人々を守るという言い伝えがある。
一方で、ドルイド僧の要求に応じられなかった場合、城の入り口のドアにヘックス(六芒星,Hex(Hexagram))が描かれる。この「トリック」によって、その夜、サタンや悪霊たちが城の誰かを恐怖の中で殺すというのだ。
最近、アメリカから帰国した人の話によれば、ハロウィーンの日に子供たちが多数殺される事件が増えつつあり、このため次第にハロウィーンの習慣が廃れつつあるとも報告されている。
注:生贄の儀式は通常ハロウィーンの前日に行われ、主に女性がその対象となる。この儀式において生贄になることは非常に栄誉あることであり、儀式の後には、その生贄をスープとして供し、血のワインと共にふるまわれる。この人肉スープを口にできるのは、外見上はエリート中のエリートで、莫大な富と名誉を持つ者たちであるという。桁外れの力を持つ彼らは、このような儀式に参加しているとされている。
「ジャック・オ・ランタン(Jack o'Lantern)」や「トリック・オア・トリート(Trick or Treat)」は、単に「お菓子をくれなければいたずらするぞ」という意味ではないのだ。
(画像が削除されました)
この写真は「悪魔の13血流」というフリッツスプリングマイヤー氏からのものですが2008年1月オレゴン州シェリダンの刑務所にいたとき本人に面会し転載の許可を得たものです。上は1993年ビバリーヒルズで行われたイルミナティのハロウイン前日の儀式で生贄となったのは13血流デューク家の大富豪ドリス・デューク

https://megalodon.jp/ref/2010-0131-2116-20/angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/12.html

この話は、事実に基づいたものではなく、オカルトや都市伝説的な要素が強い。ハロウィンやサムハインの起源については、歴史的な記録や学術的な研究があるが、述べられているような「ドルイド僧が生贄を要求する」といった具体的な行為に関する信頼できる証拠は存在しない。
サムハインは、古代ケルトの宗教的な祭りで、夏の終わりと冬の到来を意味し、死者の霊がこの世に戻ると信じられていた。この期間に行われた祭りは、先祖崇拝や悪霊を鎮めるための儀式が中心だったと考えられているが、生贄やジャック・オー・ランタンの起源についての話は、後世の誤解や神話に基づくものである可能性が高い。
現代の「トリック・オア・トリート」などは、アメリカにおけるハロウィン文化の一部として発展したもので、特に20世紀以降に普及した風習だ。生贄や悪霊といった要素は、オカルト的な解釈やフィクションの中で膨らまされたものであり、実際の歴史的事実とは大きく異なる。


とはいうものの
これは秘密裏に行われているため、もちろん、事件として報道されることはないが、もし人々がこれを知ったらどうなるか。世界中の人々が知ったら、どう思うか。暴動が起きるだろう。だからこそ、彼らはこの事実をひた隠しにしているのだ。
当時のイスラエルも同様で、一般の人々はこのような出来事が起こっていることさえ知らなかった。こういう連中がどのような政治を行うかと言えば、普通の人々を苦しめ、重税を課し、「増税だ、増税だ」と言い続けるような政治を行っていた。人々はその状況に非常に不満を抱く。そして、当然のように革命が起こるのだ。
彼らがやっていることはこういった事実を隠蔽することだ。これを理解しなければ、旧約聖書を理解することは不可能だろう。
「まさか、そんな馬鹿げたことが」と言っているようでは、旧約聖書に何が書かれているか、全くわからない。
唯一真の神という意味も理解できないはずだ。唯一真の神というのは、「お前らが拝んでいるものは悪霊なんだ!」と言っているのであり、私以外を拝むものは、悪魔そのものを崇めているということを気づかせるためなのである。

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