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疑いすぎず、信じすぎず:ラクらく楽に生きるコツ【セイスケくんのエッセイ】
詐欺師に騙されても幸せを感じる人と、他人を疑いすぎて心を病んでしまう人。この二つの極端な生き方が、現代社会というカオスの中で交錯しています。興味深いと思いませんか。なぜ、これほどまでに異なる反応を人々は示すのか。
例えば、詐欺師やカルト教祖に心を奪われた人たち。
外部から見ると滑稽で、時に痛々しく映ります。しかし、彼らの目は希望に満ち、「幸せ」だと心から信じています。この現象の背景には、詐欺師が提供する「夢」という魅力的な商品があります。それが偽物であっても、現実の厳しさから逃れる手段として人は時にそれを選ぶのです。
心理学的に言えば、これは「プラシーボ効果」や「自己催眠」に近い現象です。たとえば、詐欺的な投資話にのめり込む人々は、将来の成功という幻想に取り憑かれることで現実の不安を忘れられるのです。信じることで脳内にはドーパミンが分泌され、一時的な幸福感を得ることができます。詐欺師とは、ある意味で「幸福の薬を売る商人」なのです。
一方、他人を疑い続ける生活はどうでしょうか。確かに、疑うことは本能的な防御手段です。しかし、それが過剰になると心と体をむしばんでしまいます。たとえば、毎日届く詐欺メールや、ネット広告、SNS情報。
「これは本物だろうか」「どんな罠が仕掛けられているのか」と考え続けるうちに、慢性的なストレスが心身を支配します。このような生活は、ストレスホルモンであるコルチゾールの分泌を増加させ、免疫力を低下させます。その結果、心臓病やうつ病といった病を引き起こすリスクが高まるのです。つまり、警戒しすぎる生活は私たちの「生きる力」を奪う可能性があるのです。
では、どちらの生き方が幸せなのでしょうか。
詐欺に騙される人々は、いずれその真実に直面し、大きな失望を味わうでしょう。しかし、少なくともその瞬間は確実に幸福を感じています。
一方、疑心暗鬼に生きる人々は、大きな失望からは逃れられるかもしれませんが、日常の小さな幸せすら感じられないかもしれません。この対比からわかるのは、「信じること」と「疑うこと」のどちらにも、幸福や健康に対する利点と欠点があるということです。
ここで注目したいのは、どちらの行動も「恐怖」を原動力にしている点です。詐欺に騙される人々は、現実の孤独や不安から逃れるために幻想に救いを求めます。一方、疑いすぎる人々は、未知の危険に対する恐怖にエネルギーを費やしているのです。つまり、どちらの選択も恐怖というエンジンで動いているのです。
では、どうすれば良いのか。
古代ローマの哲学者セネカは
「賢明な人間は、疑いすぎもせず、軽信もしない」と述べています。
私たちに求められるのは、ほどよく信じ、ほどよく疑う「中庸」の精神です。しかし、それを実践するのは簡単ではありません。現代社会は、ニュース、SNS、広告といった情報が洪水のように押し寄せる世界です。すべてを信じれば簡単に操られ、すべてを疑えば心を病んでしまいます。
この中で「中庸」を実現するためにどうすれば良いかというと、まず、情報に対するリテラシーを磨くことです。
具体的には、情報の出どころを確認し、複数の視点から物事を考える癖をつけること。そして、感情に流されるのではなく、直感と論理をバランスよく使うことです。
さらに、自分の内面と向き合い、何を恐れているのかを知ることも重要です。恐怖を理解することで、それに支配されることなく冷静に判断する力が養われます。
結論として、信じることと疑うことを適切にバランスさせる「知性」と「感性」を磨くことが、現代社会を生き抜くポイントだと言えます。
この複雑で混沌とした世界で、私たちは賢明に、そして穏やかに進む道を見つけなければなりません。それが真の幸福へとつながる道なのではないでしょうか。
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