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【フリーメイソンとキリスト教】新約聖書・キリスト教の研究-26/#167


イエスの磔刑と復活が、単なる歴史的事件ではなく、マイトレーヤ(メルキゼデク)の計画の一部であったという視点は興味深い。この計画において、イエスという人物が果たした役割は、単なる預言者や教師を超えた存在だ。磔刑と復活が象徴するもの、そしてその意義は深遠であり、多くの宗教的、哲学的な解釈が可能だ。
エッセネ派の儀式では、生贄になる者が仲間の罪を背負うという概念が存在していた。これは「代償の死」という思想で、選ばれた者が他者の罪やカルマを引き受けることで、仲間を清める役割を果たす。このような背景のもと、イエスが弟子たちや周囲の人々のカルマを背負って磔刑にかけられたという見方は、特定の宗教的伝統に根差している。
しかし、問題はなぜこのような儀式が「公に」行われる必要があったのか、そしてなぜマイトレーヤがこの生贄の役割をイエスという肉体を通して演じさせたのかにある。この問いに対する答えは、いくつかの要因を考慮に入れる必要がある。
まず、マイトレーヤがイエスを使った理由として、彼の肉体が特別な「乗り物」としての役割を果たしていた点が挙げられる。イエスは、その時代の人々に深い影響を与える存在であり、精神的なリーダーとして多くの信者を引き寄せる力を持っていた。そのため、彼の磔刑という劇的な行為は、単なる個人の犠牲を超えた「象徴的な意味」を持つことになる。この磔刑の出来事は、イエスという肉体を通じて行われることで、人類全体に対するメッセージを強く伝えるためのものだったと考えられる。
また、この「磔刑というドラマ」は、単なる死を超えたもの、つまり「復活」という次の段階をも含んでいる。死と復活のサイクルは、生命の終わりと新たな始まり、つまり再生や変容を象徴する。この過程を通して、イエスは自らの存在を超越し、人類の霊的成長を促すための手本となった。
さらに、イエスの死が単に彼の弟子たちのカルマを浄化するためだけではなく、人類全体の「進化」を象徴しているという解釈も可能だ。この視点からすれば、磔刑という行為は、物理的な死を超えて、霊的な再生や浄化のプロセスを示している。イエスの犠牲は、個々の罪やカルマの清算を超えた、より普遍的な意味を持つ。
つまり、マイトレーヤがイエスという肉体を使って公にこのドラマを演じる必要があった理由は、その出来事が単なる宗教的儀式に留まらず、世界中の人々に対して深い霊的なメッセージを送るためであった可能性が高い。

フリーメーソンの奇妙な儀式

マスター・メーソンの真の秘儀が失われた次第が語られる。
「……神殿の完成を目前にして、3人は……神殿のそれぞれ南、西、東の門で待ち伏せした。そこにわれらのマスターであるヒラム・アビブが、至高者に祈りを捧げるために現れた。
祈りが終わり、南の門に退くと、彼はそこで3人の悪漢のひとりに出会った。彼はよりよい武器がなかったため、下げ振り定規を手にしていた。そしてマスター・メーソンの真正なる秘密を明かせ、さもなくば死が訪れる、と迫った。……だが彼は、この秘密を知る者はこの世に3人しかおらず、残るふたりの同意がなければ……教えることはできないと答えた。
……そこで悪漢は、われらがマスターの右の額を一撃した。……(マスターは)左膝をもって地面に跪いた」

封印のイエス

この本の著者であるクリストファー・ナイトとロバート・ロマスは、フリーメーソンの会員である。彼らはフリーメイソンの奇妙な儀式、特に第3階級の儀式が一体何を意味するのか、何を象徴しているのかを探求していく。そして、ついにその真相にたどり着くことになる。
フリーメイソンの儀式については本来、外部に公開してはならない部分が多い。しかし、彼らは自身のフリーメイソン入会時に誓ったことを破らない範囲で、許される程度まで情報を提供している。その内容は、「フリーメイソンの内部ではこんな儀式が行われている」というものである。
第3階級の儀式は、ヒラム・アビフというフリーメイソンの神話上の人物に関するものである。ヒラム・アビフはソロモンの神殿建設の統領であったとされており、神殿建設の直前に3人の圧巻によって殺害される。その出来事が儀式化されており、入会者はこのヒラム・アビフの役を演じることになる。その際、マスターメイソンが解説し、儀式的なセリフを語るのだ。

ヒラム・アビフの死と復活

「……彼は立ち上がり、西の門へと走った。そこには第2の悪漢がいた。……これに対しても、同じ答えを返した。コンパスを持っていた悪漢は、これでマスターの左の額を激しく打った。マスターは右の膝をもって大地に跪いた」
「……われらがマスターは、血を流し、意識を失いそうになりながら、東の門へと走った。……そこには第3の悪漢がいたが……同じ答えを返し……巨大な石鎚をもって、額の中央に打撃を受けた……マスターは絶命し、地面に横たわった」
ここに出てくる登場人物は、ソロモン王にせよ、ボアズやヤキンにせよ、いずれもユダヤ・キリスト教の神話に登場する。だが、ただひとりヒラム・アビブだけが、旧約聖書にもどこにも登場しないのだ。

封印のイエス

1 さてツロの王ヒラムは、ソロモンが油を注がれ、その父に代って、王となったのを聞いて、家来をソロモンにつかわした。ヒラムは常にダビデを愛したからである。
2 そこでソロモンはヒラムに人をつかわして言った、

列王記上 第5章

20 二つの柱の上端の丸い突出部の上にある網細工の柱頭の周囲には、おのおの二百のざくろが二並びになっていた。
21 この柱を神殿の廊に立てた。すなわち南に柱を立てて、その名をヤキンと名づけ、北に柱を立てて、その名をボアズと名づけた。
22 その柱の頂にはゆりの花の細工があった。こうしてその柱の造作ができあがった。

列王記上 第7章

『封印のイエス』によると、フリーメイソンリーのホーリーロイヤルアーチ階級での儀式において、ヒラム王が材料を提供し、ヒラム王とは別人であるヒラム・アビフが実際の建築を担当したとされている。
ヒラム王は旧約聖書に登場するが、ヒラム・アビフはどこにも登場しない。つまり、ヒラム・アビフという名前は単なる暗号であり、実際には別の名前や人物を指しているのではないかという推測が成り立つ。

人の王が神になるエジプトの秘儀

天空女神ヌウトには5人の子供がいたが、その長男が神人オシリスであった。古代エジプトの習慣により、妹のイシスがその妻となった。右腕であるトートに助けられ、その治世は立派なものであったが、弟のセトに妬まれ、殺されてしまう。
セトはオシリスの体をばらばらに切断し、ナイル川のあちこちに投げ込んだ。だがイシスは、オシリスの肉体の断片を集め、魔術によってつなぎ合わせ、最後の束の間の生命を与えた。そしてこのオシリスと交わり、その精を受けた。オシリスは星となり、死者の国を治めるようになった。
イシスはホルスという息子を生んだ。ホルスは成長してエジプトの王子となり、父の敵と対決した。ホルスはセトの掌丸を切断するが、自らは片目を失ってしまう。しかし、最後にホルスは勝利し、初代の王となる。
以来、王はすべてホルス神であり、その死の瞬間にオシリスとなり、その息子が新たなホルスとなると考えられた。

封印のイエス

王は、儀式を通してホルス神の化身となる。これは「ホルス神そのものになる」という意味ではなく、「ホルス神の化身」になるという意味だ。つまり、ホルスから霊的な導きを受ける存在としての立場を得るということだ。本当のホルス神であるかどうかは別問題。この点について強調したいのは、ホルス神そのものになるのではなく、ホルスによって霊導される王になるという意味だ。ホルス神は実在の人物というわけではなく、オシリスとイシスの息子としての神であり、エジプト神話の中で重要な存在だ。エジプトの王は、そのホルス神の霊導を受けて即位する。さらに、王が死んだ後、オシリスになるわけではない。オシリスの名前を受け継ぎ、「オシリス○○」という形で神々の一員となる。これはオシリス神そのものになるのではなく、オシリスの名を冠した神々の一員として位置づけられるという意味。
エジプトでは、王は神と見なされていた。そして死後、王は神々の世界へ旅立ち、神々の一員となることで、人類を霊的に導き助ける存在と考えられていた。

新王の即位と戴冠の儀式

即位と戴冠がまったく別に行われたことも重要である。即位は王の死の翌日であったが、戴冠式はそのかなり後に行われた。王位継承の秘儀の中核となる最も重要な部分は、新王候補者が星の世界へと旅立ち、そこで神々の社会の一員と認められてホルスとなり、死んだ王――すなわち新たなオシリス――から霊的な冠を授けられる、という一連の儀礼である。
新たな王は、王家の秘密を守る中心グループに属する祭司長が処方したある薬品によって「死ぬ」。この薬は緩慢な硬直状態を起こす幻覚剤である。これによって新王候補者はあたかも死体のようになってしまう。
夜が明け、薬の効力が切れると、候補者は新たなホルスとなり、神々の世界から戻ってくる。
この処方は厳密に計算され、明けの明星が地平線上に昇る、まさにそのときに王が意識を取り戻すようになっていた。

封印のイエス

ヒクソス王によるエジプトの神聖秘儀の強奪未遂

エジプト征服

今日のエジプト学では、紀元前1782年から前1570年を、中王国と新王国の間の「第2中間期」と呼ぶ。このとき、異民族ヒクソス(紀元前3世紀のエジプトの歴史家マネトーは「ヒクソス」の意味を「牧人王」とした)が侵入し、6代にわたって征服王朝を築いた。
マネトーによれば、「ヒクソスは一戦も交えずしてエジプトを征服した」という。中王国時代以降、彼らは長い時間をかけて徐々にエジプト社会に流入を続け、それが中王国以後の混乱の時代に勢力を伸ばし、やがてその実権を掌握するに至ったのである。
ヒクソスの王たちは、次第に政治の実権のみならず、霊的な力をも欲しはじめた。そこで彼らは、伝統的なエジプト王にならって、「神の子」の称号を要求しはじめたのである。

封印のイエス

セクエンエンラ2世(セケンエンラー)のミイラ:頭蓋骨の傷跡

エジプトの秘儀にとりわけ執心したのは、「アポピ」と呼ばれたヒクソス王であった。彼は「正統な」エジプトの王となるために、テーベにいた本来のエジプト王セケエンエンラ2世に対して、オシリスの秘儀を明かすよう求めた。このセケエンエンラ2世こそ、メーソンリーの始祖、ヒラム・アビフその人なのだ。
セケエンエンラ2世は、アポピの放った3人の刺客によって殺された。それとともに、エジプトの王権授受の儀式も失われてしまったのである。
1881年、このセケエンエンラ2世のミイラが発見された。これを見ると、彼の額の中央は陥没し、右眼窩から右頬、鼻にかけても痛々しい打撃の跡があった。第3の打撃は左耳の後ろで、それは首にまで達していた。

封印のイエス

メーソンの儀式のヒラム・アビフは、セクエンエンラ2世(セケンエンラー)

生前は黒い髪を持つ背の高い美青年であった彼の顔は、その死に際の苦痛を物語ってあまりあるものであった。しかもその死体は、ミイラ化されるまえに、しばらくの間放置されていた形跡もあった。
この傷は、メーソンリーの第3階級の儀礼で言及されるヒラム・アビフの傷とぴったり一致する。それは少なくともふたり以上の人間によって、短剣、斧、棍棒とおぼしきもので襲われたものである。儀礼においては、それは重い木槌をはじめとする建築道具によって行われたこととなっている。
また、メーソンリーの儀礼には、ヒラム・アビフの死体が、殺害後しばらくの間失われていたという叙述まであるのだ。すなわち、ヒラム・アビフがソロモン王の時代の人であるという部分以外、すべての事実が符合しているのである。

封印のイエス

ヒラム・アビフはフリーメイソンにおいて重要な存在とされているが、彼がソロモン王の時代の人物であるとする通説には疑問がある。これは単なる誤解や歴史の誤記ではなく、意図的に作り上げられた陰謀である可能性が高い。実際のところ、ヒラム・アビフに関連する儀式が生まれたのは、エジプトがアレクサンドロス大王によって征服された後の前4世紀の出来事であり、古代エジプトの秘儀が様々な宗派を経由してフリーメイソンに伝わったと考えられる。このような歴史的背景を考慮すると、ヒラム・アビフがソロモンの時代に属するという説は作り話であり、意図的にその時代に結びつけられたと見るのが自然である。
フリーメイソンにおいて、ヒラム・アビフの名とその儀式がソロモン王の時代に遡るものであるという信念が根強く残っているが、これは事実に基づかないものである。フリーメイソンの儀式や象徴が、ソロモン王やその時代に結びつけられたのは、後世に作り上げられた「虚構」や「プロパガンダ」に他ならない。この虚構が広まった背景には、フリーメイソンが自らの権威や正統性を古代にまで遡らせようとする意図があると考えられる。しかし、実際のフリーメイソンの起源はエジプトにあり、ソロモン王時代とは何の関係もない。
エジプトがアレクサンドロス大王によって征服された時期には、アレクサンドリアという都市が新たに形成され、エジプトの文化と他の地域の思想が交わる重要な文明の中心地となった。エジプトの王家が保持していた秘儀や宗教的儀式は、この時期に外部の宗教や秘教的な要素と融合し、新たな形で保存されるようになった。この過程において、エジプトの古代宗教とミトラ教のような秘教が結びつき、儀式や教義が発展していったと考えられる。
このようなエジプトの秘儀は、エッセネ派によって受け継がれた。アレクサンドリアにはエッセネ派の本部が置かれ、そこでエジプトの秘儀が伝えられていった。このエッセネ派の儀式や思想は、後にマンダ教やヨハネ派、ドシテウス派といった宗派に伝わり、それらの宗派はエッセネ派の影響を強く受けていた。このようにして、エジプトの秘儀が宗教的な枠を越えて広がり、さまざまな集団に影響を与えた。
エッセネ派を通じてエジプトの秘儀はさらに発展し、最終的にはテンプル騎士団やフリーメイソンにも受け継がれていった。フリーメイソンの儀式や象徴がソロモン王の時代に由来するという主張は、実際のところ根拠がなく、その起源はむしろエジプトの古代宗教にある。フリーメイソンがソロモン王に自らの起源を結びつけたのは、その権威を強化し、自らを古代の正統な宗教的継承者として位置付けるための策略に過ぎないと考えられる。
フリーメイソンの儀式は、エジプトの古代宗教やその秘儀から派生したものであり、ソロモン王との結びつきは後世に作られたものである。これにより、フリーメイソンの起源に関する誤解が広まり、現代に至るまでその影響が残っている。しかし、実際にはエジプトの秘儀がエッセネ派やヨハネ派を通じて伝わり、それが最終的にフリーメイソンに受け継がれたことが真実である。
こうした背景を踏まえると、ヒラム・アビフやフリーメイソンの儀式がソロモン王に由来するとする主張は、歴史的に見ても根拠が薄い。エジプトの古代宗教や秘儀が、様々な宗派を通じてフリーメイソンに伝わったという流れが、実際の歴史的事実であり、ソロモン王との結びつきは虚構に過ぎない。この点を理解することで、フリーメイソンの本来の起源をより正確に捉えることができる。
結論として、ヒラム・アビフがソロモン王の時代の人物であったという説は、歴史的な事実に基づいていない。これはフリーメイソンが自らの権威を強化するために作り上げた陰謀の一部であり、実際のところ、フリーメイソンの儀式はエジプトの秘儀から派生したものである。エジプトの秘儀は、エッセネ派やヨハネ派、さらにはテンプル騎士団を通じてフリーメイソンに受け継がれたものであり、ソロモン王との関係は後世に作られた虚構に過ぎない。この歴史的な経緯を明確に理解することが、フリーメイソンの真の起源を正しく把握するためには不可欠である。

ヒラム・アビフの殺害犯

メーソンリーの伝承によれば、ヒラム・アビフを殺害した3人の名はジュベロ、ジュベラ、ジュベルムであり、まとめて「ジューヴェ」と呼ばれる。いずれの名にもjubelという文字が含まれているが、これはアラビア語で「山」を意味する。
だが、当面われわれの関心を惹くのは、本当の殺害者のほうである。アポピの高官であったヨセフであれば、セケエンエンラ2世から秘儀を強奪する計画に参画していた可能性がある。また、ヨセフの父ヤコブは、その死の間際に、次のような言葉を残している。
<わたしの魂よ、彼らの謀議に加わるな。わたしの心よ、彼らの仲間に連なるな。彼らは怒りのままに人を殺し、思うがままに雄牛の足の筋を切った>
ここでいう「彼ら」とは、ヤコブのふたりの息子であるシメオンとレビを指す。この殺害は、単に個人的な罪なのではなく、シメオンとレビという支族全体の恥辱なのである。

封印のイエス

著者は大胆な推論を行っている。時代背景からもヤコブの息子であるヨセフに注目している。ヤコブの子供たちは、後にイスラエルの12部族を形成し、イスラエル人の祖先となる。一方、ヤコブの異母兄弟であるイシュマエルの子孫はアラブ人の祖先とされている。そのため、イスラエル人とアラブ人は本来親戚関係にある。
アブラハムと妻サラの間に生まれた息子がイサクであり、その息子がヤコブである。そしてヤコブの息子の一人にヨセフがいる。ヨセフは兄たちの嫉妬を買い、奴隷商人に売られてエジプトへ連れて行かれる。兄たちは父ヤコブに対してヨセフは遊んでいる最中にいなくなったと嘘をつくが、実際には彼を奴隷として売っていた。
ヨセフはエジプトで出世し、宰相の地位にまで上り詰める。この背景にはヒクソスという異民族の支配があったとされ、彼らはイスラエルの地域から出てきた民族であった可能性がある。ヒクソス王朝の支配下であれば、同族であるヨセフが宰相として重用されることは自然なことだと推測できる。
これに基づいて、ヨセフがエジプトの宰相であった時の王はヒクソス王であり、具体的にはアポピ王の高官だったのではないかという大胆な推理をしている。時代背景と一致することから、ヨセフがアポピ王の下で宰相を務めた可能性が高いという結論に至っている。

5 シメオンとレビとは兄弟。彼らのつるぎは暴虐の武器。
6 わが魂よ、彼らの会議に臨むな。わが栄えよ、彼らのつどいに連なるな。彼らは怒りに任せて人を殺し、/ほしいままに雄牛の足の筋を切った。
7 彼らの怒りは、激しいゆえにのろわれ、/彼らの憤りは、はなはだしいゆえにのろわれる。わたしは彼らをヤコブのうちに分け、イスラエルのうちに散らそう。

創世記 第49章

イスラエルという部族全体に関して「恥辱」と言われていることについて。このイスラエル人というのは、簡単に言えば王族の秘儀を盗み出そうとしたのだ。その中心となったのがシメオンとレビで、もちろんヨセフの命令で行動した。彼らからイスラエル人の系譜が続くが、そもそも彼らがどういった存在なのかといえば、元々は、エサウが長子としての権利を受け継ぐはずだったものを、ヤコブが兄を騙して奪った。ヤコブが兄の財産を自分のものにしたことから、イスラエルが始まっている。このヤコブの子孫たちが、エジプトの王権を奪おうとし、さらに王の秘儀を奪おうとして失敗したという背景がある。
そして、驚くべきことに、そのイスラエルが「神に選ばれた民族」、つまり「選民」であるとされている。しかし、ここで疑問が生じる。イスラエルが選民というのも怪しいし、それを選んだ神自体も相当に怪しく感じられる。同じような波長を持つ者同士が引き合うという法則があるなら、神とイスラエルも同類なのではないかと感じるのも無理からぬことだ。

エジプトの秘儀略奪計画の失敗

アポピは、死後にオシリス神となり、永遠にエジプトを支配するための秘法を、何としてでも手に入れねばならなかった――彼自身の寿命が、もはや尽きようとしていたからである。彼は有能な高官であるヨセフに、この計画を一任した。そこでヨセフは、かつて自分を奴隷として売った兄たち、シメオンとレビを使うことを思い立った。
ふたりの兄弟は、極秘のうちにテーベの都に侵入し、アメン・ラーの神殿の若い司祭(この人物を「ジュベロ」と呼んでもいい)と接触し、正午の礼拝に現れた王を待ち伏せた。セケエンエンラ2世の息子カメスは3人を捕らえ、生き残った司祭たちを集め、新たな司祭長を任命し、対策を協議した。そして、古来よりのエジプト神話を援用して、儀礼の再生を図ったのである。

封印のイエス

事実上、儀礼の再生を試みるのは無理だ。なぜなら、その秘儀を知っていたのはおそらく3名しかおらず、その3名全員が殺されてしまっているからだ。セクエンエンラ2世が最後の1人だったはずで、その前に2人の司祭が先に殺されていた。彼らは秘密を明かせと迫られ、拒んだために殺され、最後に残ったのがセクエンエンラ2世だった。この出来事は「ダ・ヴィンチ・コード」のストーリーにそっくりだ。「ダ・ヴィンチ・コード」の物語では、シオン修道会の秘密を握る3人の理事がいて、悪漢が秘密を明かせと迫る。悪漢は1人だったが、理事たちは秘密を明かすことを拒み、結果としてその秘密が永遠に失われたという話だ。実際、1956年にフランスで設立されたシオン修道会では3人の理事が殺されるという同様の事件が起こっている。

犯人ジュベロの処刑

セト神の体現者とされたジュベロは、繰り返し腐敗した乳に浸された後、砂漠の中に放置された。その肉体は悪臭を放ち、「悪しき者」であることを示す明らかな印となった。
半ば狂乱した全裸のジュベロが儀式の場に引きだされた。これからホルス神となろうとするカメスは、自らの手でセト神=ジュベロの生殖器を切り取り、床に投げつけた。ジュベロは生きながら全身にミイラの包帯を巻かれ、粗末な白い柩に入れられた。柩が封印され、ジュベロはその数分後に死んだ。
賢明な司祭長は、失われた儀式の代わりに、新たな秘儀を創出することにした。新たな復活の儀礼と、魔法の呪文が作られた。
以上のシナリオが、われわれが数千年前に実際に起こったと考えるセケエンエンラ2世殺害の様子である。


封印のイエス

失われた儀式と天上界の権力交代

歴史における宗教的事件の背後には、しばしば神々の権力闘争が存在する。イエス(マイトレーヤ)の磔刑に至った理由である「失われた儀式」に焦点を当て、イエスとマイトレーヤが生贄となった背景について考察する。また、天上界でのキリストの世代交代とギリシャ思想の封じ込めについても論じる。

マイトレーヤの磔刑と失われた儀式

マイトレーヤが磔刑にかけられた理由は、古代に失われた「儀式」にある。この儀式は、エジプトとギリシャの神々の怒りを鎮めるために必要で、これを果たさなければマイトレーヤがキリストの座を保持することはできなかった。もしイエスの磔刑が失敗していれば、キリストの地位はギリシャの神々に移り、主流の宗教思想はプラトン主義に基づくものになっていたと考えられる。

キリストの世代交代とギリシャ思想

キリストの座は2000年ごとに交代しており、エノク、ミトラ、マイトレーヤと引き継がれてきた。イエスの磔刑が成功したことにより、ギリシャ思想は封じ込められ、キリスト教の教義が歴史の主流となった。

イエスとマイトレーヤの生贄としての役割

イエスとマイトレーヤは、それぞれギリシャとエジプトの神々への生贄となった。エノクやアールマティが引き起こした罪を贖うために、マイトレーヤは自ら生贄となり神々との調停を図った。

人類の救済ではなく、自己利益のための生贄

イエス(マイトレーヤ)が生贄になった理由は、人類の救済のためではなく、神々の権力基盤を強化し、支持を得るためであった。ベンジャミン・クレーム氏の発言でも、覚者たちが地上に降臨するのは自己利益のためであると確認されている。彼らの生贄によって権力基盤が強化され、キリスト教が主流となることで天上界の秩序が維持された。

結論:天上世界の権力争い

マイトレーヤの磔刑は「失われた儀式」と神々の機嫌を取るためであり、これは神々と覚者たちの権力争いの一環であった。イエスとマイトレーヤの生贄は、天上界の秩序を維持するためであり、この結果としてギリシャ思想は追いやられ、キリスト教が支配的な思想となった。こうした視点から、キリスト教の歴史や背後にある神々の影響力を再評価することが重要である。

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