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【大人の算数居残り補習】0で割ってはいけない!どんな数も0で割れない理由【セイスケくんのエッセイ】

小学生の算数の問題

そもそも、割り算(除算/Division)とは?

割り算は、除法じょほう除算じょざんともいいます。英語ではDivisionディヴィジョン(分割という意)

割り算(除算)とは、《元の数を指定した数で割って、何回割れるかを求める操作》であり、その回数が『商』になります。『割り算』という表現を使うなら、《元の数を、指定した数で何分割できるか》を求めることです。

言葉にすると難しそうですが、この基本概念を理解しないと、炎上中の話題の重大さもわからなくなってしまいます。

除算のイメージは、たとえば、8個のどら焼きを三人で分けようとしたとき、一人あたり2個ずつもらえて、2個余ります。(式:8 ÷ 3 = 2余2)
一方、割り算では、一人あたり2.66666…個もらえる計算になります。余った2個も徹底的に分けようとするので、どら焼きをさらに分割して分けます。(どら焼きを2段重ねにして3等分にカットするなどして)

これで、大雑把にでも割り算(除算)のイメージがつかめたと思います。

さて、0 ÷ 8を考えてみることにしましょう。
0個のどら焼きを8人で分けるとどうなるでしょうか?
そもそもどら焼き自体が存在しないので、8人全員がどら焼きをゲットできません。つまり、一人あたり0個です。
したがって、0 ÷ 8= 0 となります。
(0をどんな"非ゼロ"の数で割っても常に0になります)

では、0で割るとはどういうことでしょうか?

0で割るって、どういうこと?

いよいよ本題。
結論からいうと__
⭕【18 ÷ 0 = こたえなし】💮💮💮💮
❌️【18 ÷ 0 = 0】

なぜ、0で割れないのか(割ってはいけないのか?)については、浜村渚ちゃんの説明が秀逸なので、こちらを紹介します。

「君、0 × 100はいくつかね?」
「0では?」
「そのとおり。では、君!」「0 × 13532は?」
「やっぱり、0?」「そのとおり」
「0にはどんな数をかけても0になる。まさに、あらゆる数字を自分の中に内包してしまう、悪魔の数字だ」
「では聞きたいが、0 ÷ 4はいくつかな?」
「0」
「正解。では、4 ÷ 0は?」
「0!」
この答えを聞くなり、及川と浜村は、そろえて頭を振った。
「4 ÷ 0 = 0じゃないです」
「何?」
「そもそも、4 ÷ 0なんて計算は、しちゃだめなんです」
浜村渚は緊張した雰囲気を和らげようとしたのか、口元に少し笑みを取り戻し、そのままシャープペンをノートの上に走らせた。
『1 × 0 = 0、2 × 0 = 0』
「いいですか?これが成り立つとすれば、ゼロイコールゼロだから……」
『1 × 0 = 2 × 0』
問題ない。
「で、ここで『0で割っ』ていいなら、両辺を0で割ることができるはずなんです」
すると、僕たちの目の前には、世にも奇妙な等式が現れた。
『1 = 2』……?
「だから、『0で割る』っていうのは、やっちゃダメなんです。こんなことをしたら、数学の秩序がメチャメチャになっちゃう」

脳内の浜村渚ちゃんが、さらに語り続けます。

じゃあ、0で割るとどうなるか、簡単に説明しますね。
まず、割り算って何かというと、「ある数を何個に分けるか」って考えることですよね。
例えば、18を3で割ると、3つのグループに分けて、それぞれのグループに6が入りますよね。
でも、0で割るってどういうことかというと、「18を0個のグループに分ける」ってことになります。0個のグループ……ってそもそも意味が分かりませんよね。グループが無いのに、どうやって18を分けるの?ってことですよね。
ですから、数学の世界では0で割ることはできないって決まってるんです。0で割ろうとすると、答えがどうなるか全く分からないし、定義もされていないです。
ですから、【18 ÷ 0】は『答えなし』または『未定義(undefined)』って言うんです。


先生も間違うことがあるでしょうから、問題にしたいのはそこではありません。浜村渚ちゃんのように、間違っているところは教えてあげればいいだけです。(相手が恥をかかないように配慮することは大事です)

今回の算数の問題でも国語の問題でも、採点する側の先生が間違っていることもあるでしょう。今回のケースは、数学の概念をあらためて考えさせられる良い機会になりました。

先日の江戸川柳に関する記事もそうです。

寝ているのは子どもではなく「親の方」という答えが用意されていて、先生の意向に沿った回答をすればマルをもらえるような教育環境に慣れきってしまうと、❌️をもらっても疑問に思わなくなります。
疑いもせずに鵜呑みにするようになり、そのまま大人になると、正答ばかりを求めるようになり、結果として思考力が低下してしまうでしょう。
「これが常識」「これが正解」と信じ込まされてしまうと、『なぜ0で割ってはいけないのか』というような深い思考に至らなくなる危険性があります。

『正答・正解』そのものではなく、『正答・正解』に至る道筋や考え方のほうが、38倍大事なのではないでしょうか。

#セイスケくんのエッセイ #エッセイ #創作大賞2024 #エッセイ部門


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