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【マンダ教】新約聖書・キリスト教の研究-25/#166


イエスの磔刑の背後に何があったのかについて、マンダ教の視点から話すと、興味深い点がいくつも浮かび上がる。マンダ教は、現存するグノーシス主義の宗派であり、彼らの信仰は洗礼者ヨハネを重要な存在とする。このヨハネ派の視点からキリスト教を再考すると、従来の解釈では見落とされていた事柄がつながり、新たな歴史像が浮かび上がる可能性がある。
マンダ教は、イラク周辺に今でも存在しているが、その信者は少数である。彼らの教えによれば、ヨハネはイエスに対して優位な存在であり、イエスの教えや行動を批判的に見ていたとも考えられている。この宗派の視点から見た場合、イエスの磔刑の出来事そのものも異なる文脈で捉えられることになる。

マンダ教~現存する唯一のグノーシス宗教

17世紀、現在のイラクに当たるティグリスとユーフラテス川の南部流域から戻ってきたイエズス会の伝道士たちは、「聖ヨハネのキリスト教徒」と称する人びとについての話を持ち帰った。この集団は、イスラム世界でアラブ人に囲まれながら暮らしているが、通常の意味での「キリスト教徒」とはとても呼ぶことはできないのである。なぜなら彼らはイエスを弟子たちや人びとを意図的に誤った方向に導いた偽預言者、嘘つきとみなしているからである。彼らの方針は、『ギンザ』と呼ばれる神聖な書物のなかの以下の言葉に要約されている。
イエスがあなたを虐げたときは、私たちはあなたたちと共にありますと言いなさい。しかし、心を打ち明けたり、あなたの主人である、いと高き光の王の声を否定してはいけません。偽りのメシアに隠されたことは明らかにされていないからです。

マグダラとヨハネのミステリー

フリーメイソンやその他の地下に潜伏しているような宗教は、実際にはグノーシス主義に属するものが多い。フリーメイソン自体は内部の教義を明かさないため、外部から見ると宗教団体かどうか明確ではない。しかし、公開されていない情報や推測をもとに考えると、フリーメイソンはグノーシス派であると言える。また、よく知られる騎士団や秘密結社の類も、ほとんどがグノーシス主義に属していると考えて良い。ただし、グノーシス主義が公に明らかにされている宗教としては、マンダ教が唯一地上に現れている宗派であるとされる。一方、イスラム教内にも多くの派閥があり、表向きはイスラム教を装っているが、実際にはグノーシス主義に基づいているものが多い。その中には、本来はマニ教であるものの、迫害を避けるためにイスラム教を表看板として掲げている秘密結社が多く存在している。こうした集団も基本的にグノーシス主義の流れを汲んでいる。


「マンダ(manda)」とは、「知識」や「認識」を指す言葉である。マンダ教において最も重要な教典は『ギンザー(財宝)・ラバ』と呼ばれるものがあり、他にも『ヨハネの書』や典礼集『コラスター』が存在している。
マンダ教徒は、イエスを偽りのメシア、偽預言者、嘘つき、ペテン師とみなしている。ユダヤ教では「ペテン師」という表現が用いられるが、マンダ教徒は自らを「聖ヨハネのキリスト教徒」と称する。彼らは、イエスではなく、聖ヨハネをキリストと認識する信仰を持つキリスト教徒である。
一般的に「キリスト教徒」と聞くと、人々はイエスをキリスト、すなわち救世主とする考えを思い浮かべる。しかし、マンダ教徒は聖ヨハネこそが真のキリストであると信じている。彼らの信念によれば、キリストとは聖霊やグノーシスを受け取った者全員を指すため、その中でも特に聖ヨハネを最大のキリストと見なして崇拝している。したがって、彼らが自らを「キリスト教徒」と称することには看板に偽りはない。
ただし、一般のキリスト教徒から見るとこの主張は誤解を招く。通常の意味でのキリスト教徒とは異なるためだ。彼らの言う「キリスト」とは、油注がれた者という意味であり、彼らは「我々は霊的なグノーシスを受け取ったキリストであり、皆がキリスト教徒である」と平気で主張する。このような言葉の意味の上では彼らの主張は通る。
しかし、「キリスト」という言葉一つとっても、その解釈によって全く異なるものになる。一般的なキリスト教においては、「キリスト」と言えばイエスを指し、イエスを救世主と認めることが唯一の意味である。他の信仰では異なる表現を用いる。たとえば、ユダヤ教では「キリスト」とは未来のユダヤ王を指す。

エノクの霊導

ギンザに記された「イエスを偽りのメシア」とする言葉は、エノクによるものだ。このエノクは、知恵に優れ、後に大天使メタトロンへと昇格した人物であり、その発言は重大な意味を持つ。彼は、マンダ教徒に対してイエスを「偽りのメシア」と断じ、洗礼者ヨハネを真のメシアとして崇拝していた。マンダ教は、ヨハネを最高の預言者と見なし、イエスに批判的な立場を取っていたため、エノクの言葉は単なる個人的な意見を超えた宗教的な教義の表れである。マンダ教の教えが霊的な進化を阻害する障害物として表現されている。マンダ教の信仰が他の宗教的存在や啓示を妨げるものとして描かれているのだ。エノクの発言とマイトレーヤに関する象徴は、宗教的対立とその影響を示すものであり、宗教的信条が霊的な発展を妨げる要因となることを象徴している。一方で、こうした対立は新たな理解や深い洞察をもたらす契機にもなる。

マンダ教に見られるヨハネ派の思想

平和的な集団「マンダ教」

この宗派は南イラクの湿地帯とイラン南西部に少数が現存し、マンダ〔マンダヤ〕教徒と呼ばれている。彼らはきわめて宗教的かつ平和的な集団で、その法典では戦争や流血沙汰を禁じている。
マンダの文字どおりの意味は「グノーシス」(霊的認識を意味する「マンダ」から)であり、これは共同体全体を指すことも多いが、本当は平信徒だけを指す言葉である。祭司たちは「ナジル人」と呼ばれている。アラブ人は彼らを「サーバ」と呼び、『コーラン』には「サービア教徒」〔「コーラン」ではイスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒と同じく彼らを真の神の信者と認めている〕として登場する。
マンダ教徒は、常に迫害を避け、最終的に現在の郷土に辿り着いた。彼ら自身の伝承や現代の学界の見解によれば、マンダ教徒は、紀元1世紀に強制的に追い出されたパレスチナの出身者である。

マグダラとヨハネのミステリー

イエスと義人ヤコブがエッセネ派を引き継いだことに反発した者たちが、分派としてエッセネ派を離脱した。それがマンダ教徒、シモン・マゴスのシモン派、ドシテウス派などであると考えるべきだ。つまり、イエスや義人ヤコブを認めなかったエッセネ派の一部が離脱し、分派を形成した。イエス派として残った者たちは原始エルサレム教団となり、離脱した者たちの中の1つがマンダ教である。マンダ教徒も「ナジル人」と自称しており、洗礼者ヨハネが率いていた集団と関わりがある。彼らはイスラム教への改宗を表向きには受け入れて迫害を避けていたが、実際にはヨハネ派の信仰を裏で保っていた。コーランではサービア教徒として描かれ、表面上はイスラム教徒であるかのように見えるが、背後ではヨハネ派の信仰を続けていた。
この集団はイスラム教とは言えず、シリアではアラウィー派と呼ばれる集団と親戚のような関係にあると考えられる。彼らは事実上、パレスチナから強制的に追放された者たちであり、現実には迫害を避けて逃れてきた存在だろう。

イエスは偽預言者・アンチキリスト

マンダ教徒は、洗礼者ヨハネが自分たちの創始者であるとも、彼が洗礼を考え出したとも主張していない。彼らはヨハネを自分たちの宗派の偉大な——実際にはもっとも偉大な——指導者、つまりナスライ(熟練者)以上にはみなしていないのである。彼らによればイエスもナスライであったが、「反逆し、異端に走り、人びとを迷わせ、秘密の教義を裏切った……。」
イエスが最初ヨルダン川にやって来て洗礼を求めたとき、ヨハネは彼の動機とその価値に疑問を抱いていったん断わったが、結局イエスに説得されてしまった。イエスが洗礼を受けると、ルーハ——闇の女王——が鳩の姿で現われ、ヨルダン川を光の十字架で照らした。
『ハラン・ガヴァイタ』ではイエスを非難して、彼は光の言葉を曲解して闇の言葉に変え、わたしの民を改宗させ、すべての宗派を歪曲させた。

マグダラとヨハネのミステリー

「愛人と駆け落ちしたミリアイ」の物語

愛人と駆け落ちしたミリアイ(ミリアム、マリア)という女性を取り戻そうと、家族が死にももの狂いで捜し求める話がこの宗派に伝わっている。(しかし彼女に家族の気持ちを伝える前は、「雌犬の心をもつ」とか「堕落したこね鉢」という下品な言葉で彼女を呼んでいる。)ミリアイという名前と、誤解され迫害された「娼婦」としての描像は、故郷を離れて説教師か預言者になったという内容から考えると、マグダラ伝承を暗に示している。

マグダラとヨハネのミステリー

マンダ教徒の視点では、イエスは嘘つきとされている。彼らにとって真のキリストは洗礼者ヨハネである。あろうことか洗礼者ヨハネの信奉者:ミリアイがイエスに引き寄せられ、駆け落ちしてしまった。これに対し、マンダ教徒はなんとかイエスから引き離し、元に戻そうとした。
この状況は、あたかも堕落したカルト宗教に家族が引きずり込まれてしまったようなものである。マンダ教徒にとって、その信奉者がただの信者ではなく、イエスの愛人のような存在であったため、家族や仲間はなんとかして引き戻そうと必死になる。ミリアイは、本来、真理の体現者である洗礼者ヨハネと結ばれるべき女性が、反キリストとされるイエスの方に駆け落ちしてしまったため、彼らは必死にその女性を取り戻そうとした。このような伝承が彼らの中で語り継がれている。

エッセネ派からマ二教、カタリ派、テンプル騎士団への流れ

グノーシス派の導師マニ(216頃−276)の信奉者であるマニ教徒とマンダ教徒の教義を比較すれば、マニの父がかつて属し、マニ自身もそのなかで育ったといわれるムグタシラという洗礼宗派が、マンダ教徒(イラク南部に向かって移動中の共同体が、現在は絶滅した共同体)であったことがわかる。マニの教義がマンダ教に影響を受けたのはたしかであり、今度はこの教義がカタリ派などのヨーロッパのグノーシス宗派に大きな影響を及ぼしたのである。
マンダ教徒がメソポタミアのハランに定着したというのも、じつに興味深い関係を思い起こさせる。10世紀までこの土地は、秘教史で非常に重要な役割を果たしたサービア宗派の中心地であった。彼らはスーフィー教などイスラムの秘儀宗派に、きわめて大きな影響を与えただけでなく、テンプル騎士団に代表される中世南フランスの文化にまでその影響を見いだすことができる。

マグダラとヨハネのミステリー

パレスチナにはエッセネ派という宗派が存在していたが、これがヨハネ派と原始エルサレム教会に分かれることになる。ヨハネ派はさらにシモン派、ドシテウス派、マンダ教へと派生するが、マンダ教はパレナス地方に逃れることになる。シモン派やドシテウス派は結果的に滅ぼされてしまう運命にある。マンダ教の一派には、ムグタシラという絶滅した派閥があり、彼らの影響でマニ教が誕生する。マニ教は、マニという人物が創設した宗教であり、グノーシス主義の本家といえるほどの重要な宗教だった。マニ教は表向きには絶滅したとされているが、実際にはイスラム教の秘教として現在も存在している。つまり、表向きはイスラム教を装いながらも、実際にはマニ教の教義が残されている。
次に、引用の記述「マニ教がカタリ派を産んだ」という説だが、これは現在疑問視されており、マニ教とカタリ派は直接的な関係はないとされている。実際には、カタリ派はマンダ教から直接派生したものである。マンダ教はイスラム化してサービア教になる。このサービア教からボゴミール派が生まれ、さらにカタリ派へと繋がっていく。
サービア教がヨーロッパに広がる過程で、テンプル騎士団がこの流れに影響を受け、フリーメイソンの母体が形成された。
この一連の流れを見ると、源流はヨハネ派にたどり着く。つまり、歴史的に弾圧されているのは、ヨハネ派である。一方、原始エルサレム教団の流れは景教へと繋がっていく。

錬金術の鉱脈

ジャック・リンゼーの『グレコ=ローマン・エジプトにおける錬金術の起源』(1970)によれば、ヘルメス思想や錬金術と非常に関係の深い奇妙な鉱脈は、メソポタミアのハランに住むサービア教徒のなかに脈々と生き続けた。少なくとも2世紀のあいだ……彼らはイスラム圏内の異教徒として存続した。
テンプル騎士団に与えた影響とは、ヘルメス主義だけだったのだろうか。洗礼者ヨハネに対する崇敬や、たぶんその秘密知識も伝えたのではないのか。
調べれば調べるほど、マンダ教徒が、ヨハネのもともとの信奉者に遡る直系の後継者であることが明らかになってきた。実際、マンダ教徒について言及する最古のものは、紀元792年のシリアの神学者テオドール・バー・コナイのものであり、このなかで彼はマンダ教徒がドシテウス派に由来すると『ギンザ』を引用して言及する。

マグダラとヨハネのミステリー

ヘルメス思想は基本的に錬金術と考えてよい。この思想はキリスト教のグノーシス主義とは異なり、キリスト教ではないグノーシス思想に属するものだ。グノーシス主義には大きく分けて、キリスト教グノーシスとキリスト教とは関係のないグノーシスが存在する。ヘルメス思想は、このキリスト教ではないグノーシス思想の典型的な例であり、グノーシス思想の中でも特に完成度の高いもののひとつ。非常に理知的で、整った思想体系を持っている。通常のグノーシス思想は旧約聖書をパロディ化し、愚弄するようなネガティブで不吉な表現が多いが、ヘルメス思想はそうではない。むしろ、ギリシャ的で明るく、理性的な形で宇宙の創造を説明している点が特徴的だ。このヘルメス思想は、グノーシスの中では特にバランスが取れていて、まとまりがあると感じられる思想だ。その根底にあるのは錬金術だ。

「ヨハネ斬首」の真相

グノーシス宗派の絶滅

創設期のキリスト教会に大きな危機感をもたらしたふたつの運動は、どちらもヨハネの弟子、シモン・マゴスとドシテウスが創設し、共にアレクサンドリアで勢力を誇った「グノーシス宗派」であった。
グノーシス思想の発展は、おもにイランなどの別の地域や文化に遡ることができるが、明らかに古代エジプト宗教の影響を受け継いでいる。
マンダ教徒のイエスに対する見方——嘘つき、欺く人、邪悪な妖術師——はユダヤ教の『タルムード』とも一致しており、そこで彼はユダヤ人の「道を踏み外させた」と非難され、死刑もオカルト師として宣告されたと書かれている。
マンダ教徒やシモン・マゴス派、ドシテウス派、そして問題点の多いテンプル騎士団も、カトリック教会から情け容赦ない迫害を受け、いまではイラクの小規模なマンダ教徒を除いて絶滅してしまった。

マグダラとヨハネのミステリー

イエスを憎悪するマンダ教

ヨーロッパのオカルト集団内でテンプル騎士団は、「東方のヨハネ派」から秘密の知識を受け継いだといわれている。
キリスト教徒から残虐な扱いを受けたことを考慮に入れても、どうしてマンダ教徒が燃えるような憎悪をイエスその人に向けたのか理解することはできない。どうして何世紀にもわたってイエスがこのような非難の対象とされたのだろうか。
ヨハネの死によって実際に利益を受けたのは誰だろうか。オーストラリアの神学者バーバラ・スィーリングによれば、当時、非難されるべきはイエスの派閥であるという噂が広がっていた(『イエスのミステリー』1993)。
洗礼者ヨハネがいなくなって利益を受ける集団はほかに見当たらないのである。ヨハネの死が巧妙に企まれた殺人とすれば、イエスの支持者たちを決して見落とすことはできない。

マグダラとヨハネのミステリー

イエス派の陰謀

獄中のヨハネが以前の自分の弟子に対して疑問の念を表明し、またヨハネの後継者はイエスではなくシモン・マゴスだったので、これはイエスの運動にとって明らかに頭痛の種であった。その後、多数の信奉者を抱えたこのカリスマ的な預言者は、それによる人びとの反応をみくびるほど愚かとは思えないヘロデ家の気まぐれによって殺されたと伝えられているのである。
新体制に対する野望の最終的な障害物を反対者と共に一撃で取り除くには、都合のいい死が最善の策であることは、歴史でも枚挙に暇がない。おそらくヨハネの処刑もこの範疇に属するものかもしれない。この集団は、イエスの偉大な競争相手を舞台から消し去る時期と判断したのだろうか。もちろんイエス自身は、自分に有利となるこの犯罪について何も知らなかったのかもしれない。

マグダラとヨハネのミステリー

対立していた王のメシアの二人の候補

この歴史のジグソーパズルを埋める最も重要なピースのひとつはトセフタ・シェブート(Tosefta Shevut)と呼ばれるユダヤ教文書の一節である。これは西暦紀元後数世紀に遡るものであり西暦70年の悲劇以前にエルサレム にいたユダヤ人たちの記憶を伝えているからである。これはキリスト教文書ではないので余計な粉飾や捏造もなされていない。
兄弟である二人の祭司が互いに争いあい競争しあって傾斜路を登っていた。二人のうち一方がもう一人を出し抜いて、祭壇から四キュビトのところまで迫った。

封印のイエス

競合していたのは洗礼者ヨハネとイエスではない!ここに書いてあるように、争っていたのはイエスと義人ヤコブだ。この二つの派閥が激しく競合していたのだ。争いは非常に激しかったことが、ここに記されている。これが決定的な事実なのだ!

眞相はかうだ

洗礼者ヨハネが死んでから、新たな体制が始まった。実は、洗礼者ヨハネの後継者として、祭司のメシアは最初から決まっていた。それがシモン・マゴスであった。しかし、王のメシアはまだ決まっておらず、イエスと義人ヤコブがその座を巡って激しく争っていた。その王のメシアを最終的に決める権限を持っていたのは洗礼者ヨハネであった。
その真相とは、マイトレーヤがイエスと合体していたこと。彼はイエスをオーバーシャドーしていた。イエスが磔刑に遭い復活しなければ、全ての計画が破綻してしまう可能性があった。そのため、絶対に義人ヤコブが王のメシアとして選ばれてはいけなかったのだ。しかし、洗礼者ヨハネはイエスではなく、義人ヤコブを王のメシアに指名しようとしていた。
なぜそんなことになったのかというと、イエスとマグダラのマリアとの間に恋愛関係が生じていたからだ。ヨハネにとって、自分の妻であるマグダラのマリアに手を出す男を王のメシアにするはずがなかった。そのため、義人ヤコブがほとんど王のメシアに決まりかけていたのだ。もし洗礼者ヨハネが義人ヤコブを指名した瞬間、マイトレーヤの全ての計画が崩壊してしまう。
このような状況では、ほぼ確実に義人ヤコブが指名されることが決まっていたため、イエスが指名される可能性はなかった。そこで、どうすればよいかという問題が浮上した。
結局、洗礼者ヨハネを殺すしか方法がなかった。マイトレーヤはその計画を知っており、自分の計画を遂行するためには、ヨハネを抹殺する以外に方法がなかった。
では、どのように実行されたのか。洗礼者ヨハネの居場所を知っていて彼を捕まえさせたのは、イエスの派閥のメンバーであった。イエス自身はこの計画を知らなかったとされているが、彼の派閥の誰かがヨハネの居場所を密告し、警備隊が彼を捕らえた。
その後、洗礼者ヨハネは投獄された。そして、ヘロデ・アンティパスの誕生日の祝宴の際、サロメが踊り、褒美を要求する際にヘロディアが耳打ちして「ヨハネの首を所望しなさい」と指示し、ヨハネの首が差し出された。この事件は偶然ではなく、計画的な殺人だったと考えられる。
ヘロディア自身がそのような策略を考えつくとは思えず、彼女に耳打ちしたのはアリマタヤのヨセフであった。マイトレーヤとアリマタヤのヨセフ、そしてヘロディアだけがこの計画を知っていた。マイトレーヤがヨセフに指示を送り、それが実行に移された。洗礼者ヨハネを捕らえ、ヘロディアに「こうすればヨハネの首を落とせる」と教え、彼女がその方法を実行したのだ。
洗礼者ヨハネが亡くなれば、マイトレーヤが王のメシアになることが可能となるはずだった。ところが、この計画は失敗に終わり、結果的に祭司のメシアは義人ヤコブ、王のメシアはイエスとなった。この結果、シモン・マゴスが祭司のメシアになることはなくなってしまった。
シモン・マゴスがこれを受け入れるはずはなかった。洗礼者ヨハネが最初から決めていたのはシモン・マゴスだったからだ。これにより、エッセネ派内部でクーデターが発生し、その承認の儀式が、5000人にパンを分け与えるという出来事として行われた。このクーデターが成功し、シモン・マゴスはそれを認めず、ヨハネ派として分派した。
これが歴史の真相である。

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