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愛を過剰に語る人たち【セイスケくんのエッセイ】

 社会において「愛」という概念を過度に強調し、それを頻繁に言葉として掲げる人々や集団を観察すると、しばしば興味深い傾向が浮かび上がる。それは、これらの人々が実際には愛を実践する能力に欠けている場合が多いこと、あるいは自らの内面に深い愛情不足や未解決の欲求を抱えていることに起因する。

 こうした人々は、「愛」を理念として表明しながらも、その実態は自身の内面的な葛藤を隠蔽し、それを解消しようとする試みである場合がある。このような心理的背景のもと、彼らは「愛」を中心に据えた集団を形成するが、それは往々にして真正な愛に基づく関係性とは異なるものとなる。「愛」を語る一方で、互いに愛を与えたり受け取ったりすることができず、歪んだ相互関係が顕在化するのである。

 これらの集団内では、「愛」の強調がむしろ個々人の内なる傷を隠す盾として機能する。その結果、集団の構成員たちは表面的に愛し合っていると信じ込んでいるが、実際には相互理解が欠如している。さらに、各構成員の個性や内面の傷に対する配慮が不足しており、結果としてお互いに向き合う余裕を失う状況が生じる。

 また、このような集団においては、変化への恐怖が顕著に見られる。構成員は現状維持に固執し、新たな視点や異なる価値観を受け入れることに消極的である。この態度は、問題を信条や解釈によって表面的に処理しようとする傾向を強め、行動への勇気を欠いた防衛的な姿勢として現れる。

 特筆すべきは、これらの集団が弱者や無防備な人々に対してしばしば冷淡で厳しい態度を示す点である。自身の満たされない愛情欲求や抑圧された葛藤を認識できない人々は、他者の甘えや弱さに過剰反応し、それを強く非難することで自己の不安定さを補完しようとする。このような行為は他者を傷つけるばかりか、彼ら自身の内的な葛藤をさらに深化させる。

 結局のところ、こうした防衛的な行動は、根本的な問題解決には何ら寄与しない。それどころか、自己の葛藤を一層複雑化させ、他者との関係性をさらに歪ませる結果をもたらす。これらの現象に気づいた際には、自身がそのような行動を取っていないか、あるいはそうした環境で育まれてきた可能性を冷静に省察することが重要である。そのような内省を通じて初めて、真に充実した人生への道筋を見出すことができるのである。

参考文献

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