イエスの体に香油を塗る場面、いわゆる「塗油行為(anointing)」は、福音書の中で非常に象徴的なエピソードだが、その解釈は多岐にわたり、混乱が生じることも少なくない。この場面は福音書の中で、特にマタイ(26:6-13)、マルコ(14:3-9)、ルカ(7:36-50)、ヨハネ(12:1-8)に描かれており、それぞれの記述に微妙な差異がある。
まず、塗油行為そのものについて考えてみよう。塗油は当時のユダヤ文化において、葬儀の準備、客人への尊敬の表明、そして王や預言者への神聖な選定儀式として行われた。この背景を考慮すると、イエスに対する香油の塗布は、単なる礼儀的な行為以上の意味を持つ。特にイエスの死を予示する象徴的な意味が強調されている。マタイとマルコの記述では、香油を注いだ女性がイエスの葬りのためにその準備をしていると解釈され、イエス自身がこの行為を称賛している。
一方、ルカでは、この場面が罪深い女性による悔い改めの表現として描かれ、より人間的な悔恨と赦しの物語として強調される。ここでは香油は悔い改めの涙と混ざり、イエスの足を洗い、その後、髪で拭うという非常に感情的な描写がなされている。この点で、塗油行為が霊的な清めや癒しの象徴としても機能している。
さらに混乱を助長するのがヨハネによる福音書での記述だ。ここでは塗油の行為がベタニアでの出来事として、ラザロの姉であるマリアがイエスの足に高価な香油を塗り、髪で拭う姿が描かれる。この描写はルカのものと似ているが、物語の文脈や登場人物が異なるため、同じ事件なのか、別の機会なのか、という点で議論が分かれる。
こうした福音書の記述の違いは、塗油行為が持つ意味の多層性を反映しているともいえる。古代世界では、香油は神聖な行為や葬送、癒しの象徴であったため、福音書の著者たちはそれぞれの神学的メッセージを強調するために、この行為を異なる形で取り入れた可能性がある。特に、イエスの使命と死の予兆を象徴する要素が、それぞれの物語で強調されている。
こうした違いが生まれた理由の一つとして、各福音書が書かれた時代背景や、イエスの教えを伝えたい対象の違いがあると考えられる。例えば、マタイやマルコでは、塗油はイエスの王としての性質を示し、葬儀の準備を予示している。一方、ルカは赦しのメッセージを強調し、ヨハネは個々の信仰者との個人的な関係を描くことに重点を置いている。
塗油のエピソードは、それぞれの福音書が持つ独自の神学的意図と交錯し、同じ行為が異なる意味を帯びるように描かれている。つまり、塗油行為はイエスの死と復活、赦し、そして彼の王としての役割を象徴する多義的な行為であり、それぞれの福音書はその側面を異なる角度から強調していると言える。これが記述の混乱や解釈の違いにつながっているのだろう。
四福音書の塗油行為に関する記述の違い
塗油が行われた「場所・部位・日時・人物」の比較
マタイ・マルコ
場所:ベタニア・らい病人シモンの家
部位:頭
日時:最後の晩餐2日前
人物:ある女
ルカ
場所:カファルナウム・パリサイ人の家(シモン)
部位:足(涙で足を濡らし髪で拭ってから香油を塗った)
日時:伝道のはじめ頃
人物:罪の女
ヨハネ
場所:ベタニア・ラザロの家
部位:足に塗り髪で拭う
日時:過越の祭の6日前
人物:ベタニアのマリア
大混乱の原因と正しい解釈
塗油の目的は3種類
マタイ・マルコ/埋葬のため:頭~全身:マグダラのマリア
ルカ/聖婚の儀礼(聖なる交わりの準備の為):足と男根:マグダラのマリア
ヨハネ/キリストになるための塗油:頭:ベタニアのマリア
そもそも、福音書の執筆者たちが塗油の行為自体のその意味を十分に理解していなかった。12人の弟子たちは、その目的や意義を把握しておらず、さらに「聖婚儀礼の塗油」や「埋葬の塗油」といった儀式的行為の深層的な意味について理解していなかった。これにより、福音書の記述は混乱し、誤解や誤った表現が多く含まれる結果となった。
さらに、福音書の記述は、過去の複数の記録を参考にしてまとめられたものであるが、その過程で複数の情報が混在し、相互に矛盾したり、曖昧な表現になっている。したがって、最初にこれらの行為を記述した人物たちが、その目的や意味を理解していなかったため、後にこれを解釈した人々が正確な理解に至ることは甚だ困難である。結果として、福音書の記述は一層複雑で曖昧なものになり、誤解を招く内容となってしまった。
エジプトの神秘劇に見る「塗油」
エジプトの神秘劇とは、古代エジプトにおいて行われていた宗教的な儀式の一環で、特に神々の死と再生、自然のサイクルや王の権威を象徴的に表現するものだ。この劇は、ただの演劇ではなく、神聖な儀式として宗教的な意味合いが非常に強かった。特に有名なのは、オシリス神に関する神秘劇である。
オシリスは古代エジプトで「死と再生」の象徴とされ、冥界の王でもあった。彼の物語は、弟セトによって殺され、バラバラにされた後、妻イシスの魔力や努力によって復活するというものである。この復活劇は、毎年行われる祭礼の中心的なテーマであり、古代エジプトの人々にとって、豊穣と自然の循環を象徴するものでもあった。
神秘劇では、オシリスの死と再生が儀式的に再現され、その過程を通じて自然界の秩序と安定が祈願される。劇の中で、オシリス役の人物が一度死を迎え、イシスの魔力や祈りによって復活する場面がある。
オシリスが死から立ち上がる場面では、マグダラのマリアが言った「誰かが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」という言葉が用いられる。この言葉はエジプトの神秘劇の中で、イシスが発するものとして描かれており、オシリスが立ち上がる場面にぴったりと一致している。
また、オシリスが死んだ場面では、彼の頭側にはイシス、足側にはネフティスが立ち、二人の女神がオシリスを冥界の王として復活させるシーンも描かれる。これにより、オシリスは再び力を得て、死後の世界の統治者として君臨する。オシリスの復活は、エジプトの王権や国家の再生とも結びつけられ、国家的な儀式として大きな意義を持っていた。
この類似点は極めて重要である。福音書における「磔刑」と「復活」のエピソード、そしてそれに関連するマグダラのマリアの役割は、実際にはエジプトの神秘劇を霊的に模倣していると考えられる。この物語構造には、エジプトの秘教的な要素が深く内包されていることが示唆されている。
主演イエス・脚本マイトレーヤ
これは、イエスが若い頃にエジプトで修行していたこと、そしてその時に学んだ最高の秘伝、特に埋葬に関する秘伝が福音書に反映されているということだ。福音書の物語は、実際にはその秘伝を目に見える形で再演しているのだが、イエス自身はそれを意識して再演していたわけではない。イエスも弟子たちも、自分たちが磔にされ、復活するというストーリーが予め決められていることは全く知らなかった。
これらのことを知っていたのは、イエスに「合体していた」マイトレーヤ(メルキゼデク)であり、彼らが背後で物語を演じていた。つまり、これらの出来事は霊的なものであったことがわかる。イエス自身は、政治的な革命を起こし、自分がユダヤの王になるつもりだったが、その背後にもっと大きなストーリーがあったことには全く気付いていなかった。弟子たちも同じように、その真相を知らなかった。
過越の祭の6日前にベタニアのラザロの家で行われた出来事では、ベタニアのマリアがイエスを王にする儀式を行った。これによりイエスは「選ばれた者」、すなわちキリストとなった。そして、エルサレムに入場し、革命を起こして王になるつもりだったのだ。この儀式の背後には深い意味があり、その後マグダラのマリアが再び同じような儀式を行った。
この時、マイトレーヤを通じで「この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである。」と言わせられたが、イエス自身は何を言っているのか理解しておらず、なぜそのような準備が必要なのかもわかっていなかった。つまり、イエスも弟子たちも自分たちの役割や運命を完全には理解していないまま、霊的なストーリーが進行していたことになる。
これらのことから、聖書に書かれていることやその文脈は、ユダヤ教の教義に基づいているものではなく、むしろエジプトの宗教に由来しているものといえよう。
アリマタヤのヨセフの重要性
キリスト教の起源においてミトラ教の影響が決定的である。イザヤやダニエルといった、一般にはユダヤ教の預言者とされる人物も、実際にはミトラ教の預言者であり、彼らはマイトレーヤ(メルキゼデク)と深く結びついていた。特にエリアに関しては、ユダヤ教における代表的な預言者であるが、彼以降の宗教的内容は実質的にミトラ教に基づいている。
イエスの生涯やその死に至る過程は、ミトラ教の宗教儀礼が実際の場面で再現されたものであり、イエス自身やその弟子たちはそれに気づいていなかった。特に、埋葬の儀礼はミトラ教の教えに基づき、マイトレーヤが主導し、アリマタヤのヨセフがその実行を手配した。
この過程において、マグダラのマリアも重要な役割を果たしたが、彼女もまた全体像を知らされず、指示に従って儀礼を遂行していたに過ぎない。
霊能者としてのマグダラのマリアは、イエスに宿っていたマイトレーヤ(メルキゼデク)を視認し、対話する能力を持っていたが、磔刑と復活に至るシナリオを理解していたわけではなかった。
この未来の出来事を知っていたのはアリマタヤのヨセフだけであり、彼がこの劇的な展開を実現する中心人物であった。しかし、彼の重要性にもかかわらず、聖書ではアリマタヤのヨセフはサンヘドリンの長老の一人としてしか描かれていない。
エッセネ派の大祭司であり、全てを知っていたのは彼だということを理解していない人が多い。実際に理解しようと思ったら、ある種の霊感や直感が必要だ。また、周辺の他の文献にも目を通す必要がある。その中の一つが何かといえば、実はアーサー王伝説だ。アーサー王伝説を読めば、彼が大祭司であったことが分かる。だから、聖書だけを読んでいても絶対に理解できない。
聖書というものは、実際にはほんの一部のことしか理解していない人々が書いているものである。だからこそ、それ以外にも真実を伝えようとする物語や文献が多く存在しており、それらは周囲に散らばっている。そうしたものをある程度理解しておかないと、聖書に書かれていることも本当の意味で理解することは難しいのだ。
ユダヤ教の「油を注ぐ」意味
イエスを取り巻く人々の婚姻関係
「マグダラとヨハネのミステリー」という書籍は、イエスとマグダラのマリアが実際には夫婦であり、性的な関係があったという異説に基づいている。これが興味深いのは、聖書外典やグノーシス主義の伝承でしばしば言及される点にある。特に、マリアがイエスの側近であり、霊的なパートナーとして描かれることが多い。これはオシリスとイシスの関係性とも共鳴する要素を持つ。エジプト神話において、イシスはオシリスの妻であり、彼の復活を助ける存在として象徴的に描かれている。この夫婦の再生・復活のモチーフがキリスト教の「復活」神話にある程度影響を与えた可能性があるという視点も存在する。
さて、塗油の儀式がエジプトのオシリス儀礼に関連しているという点についてだが、オシリスは死と復活を司る神であり、その復活を促すために神聖な儀式が行われた。オシリスの身体がバラバラにされた後、イシスがその身体を再構成し、復活させるためにオイルを塗った。この塗油の儀式は、象徴的に「生命の復活」や「神聖なる再生」を意味し、キリスト教の塗油の儀式や復活の概念との類似性が指摘されている。特に、イエスの磔刑と復活の物語は、古代の再生神話の一部を反映している可能性がある。
次に「贖いの罪」について触れよう。イエスが磔刑に処せられたのは、キリスト教において「人類の罪を贖うため」であるとされている。ここで重要なのは、イエスが自らの死を通して、罪の赦しをもたらす「贖罪の子羊」として機能するという概念だ。この「贖罪」という考え方は、他の古代宗教の供犠の儀式にも共通して見られる要素であり、神に対する犠牲を捧げることでコミュニティ全体が浄化されるという古代の信仰に根ざしている。エジプトのオシリス信仰においても、オシリスの死と復活が人々に「永遠の命」をもたらすという信念があった。
このように見ていくと、イエスとマグダラのマリアの関係、塗油の儀式、そして磔刑の贖罪の意味には、キリスト教とエジプトのオシリス信仰の間に興味深い類似点がある。
聖婚の塗油はマグダラからキリストへの求婚
イエスはベタニアのマリアを形式的な妻としていた。ただし、この夫婦関係には性的な要素はなかった。つまり、イエスは自らがキリストであることを自覚しており、キリストたる者が性交渉を持つべきではないと信じていたため、肉体的な関係を避けていた。
当時の社会では、特にユダヤ教徒であるイエスが独身であることは問題視された。ユダヤ教の習慣では、結婚していないことは好ましくないとされていたため、表向きだけでも結婚している必要があった。したがって、イエスとベタニアのマリアは形式的な夫婦となったのだ。
さらに、イエスにはメルキゼデク(マイトレーヤ)が合体しており、マグダラのマリアは霊能力者であり、預言者であった。彼女は霊的な世界との繋がりが強く、ある特定の瞬間に本物のキリストであるイエスを認識していた。エッセネ派はメルキゼデクをトップと仰ぐ集団であり、彼らの教義にはメルキゼデクの存在が重要な位置を占めていた。
マグダラのマリアは、かつての夫である洗礼者ヨハネを失い、その悲しみに暮れていた。その後、イエスと霊的な結びつきを持つことになった。彼女がイエスに対して涙で足を洗い、髪の毛で拭き、香油を塗ったという行為は、ルカの福音書に描かれている。この行動は単なる儀式ではなく、聖婚儀礼であり、マグダラのマリアが霊的な結婚を求めていた証である。
その結果、イエスとマグダラのマリアは霊的な夫婦関係となった。この関係は、マグダラのマリアが死んで天上界に迎えられた時点で、周囲からも正式に認められるものとなった。イエスとマグダラのマリアの関係は複雑であり、多くの誤解を生むことがあるが、実際にはイエスの妻とされるのはベタニアのマリアであった。
マグダラとイエスの婚姻関係
マグダラの名の由来
イエスの独身問題
※実際に性交渉はなかった。フィリポの福音書には、「伴侶・同伴者=配偶者」とある。
ベタニアのマリアとマグダラのマリア
女性の塗油は異教の証
どちらも、塗油の儀式を行うのは女性であるという点が、異教であることの証明である。ユダヤ教ではないことの証拠だ。もしこれがユダヤ教であれば、男性の預言者がこの儀式を行っているはずだからだ。つまり、これは確実にイエスが異教の宗派に属していたこと、そしてユダヤ教徒ではないことの宗教的な証明である。
聖書の物語と聖婚(錬金術)の関係
女性の塗油行為と異教の神聖婚姻:ヒエロ・ガモス
イエス聖書の物語と異教の儀式には、決定的な違いがある。特に、異教の儀式には性交渉が伴うことが確実だが、イエスやマイトレーヤ(メルキゼデク)が行った儀式には、性交渉は一切含まれていない。ただ形式的に行うだけであり、性交渉のない結婚という形を取るが、それでも結婚という形式を守っている。また、塗油の儀式においても同様で、性交渉は含まれていない。これらの儀式を行う人々、特にハイアラーキーのメンバーたちは、性交渉を罪だと捉えているため、性交渉を拒否している。彼らは事実上の頂点に立つ存在であるため、性交渉に対する厳格な態度を持つ。しかし、それでも異教の神々が行ってきた伝統を、そのまま価値あるものとして受け入れ、それを儀式として提供している。
ただし、覚者の段階が5段階以下の者たちに対しては、性交渉を認めている。これは、ギリシャ神々やシュメールの神々など、多くの神々をなだめるための行為でもある。これらの神々は、長い間神聖な儀式として性交渉を伴う儀式を行ってきたため、その伝統を否定すれば神々の怒りを買うことになる。それを避けるために、同じような儀式を行いながらも、性交渉を伴わない形に変えたのだ。
この点が、異教の神々との間で決定的な違いを生み出している。異教の神々の儀式が性錬金術であるのに対して、彼らが行うのは性交渉のない錬金術だ。これはプラトニックな存在、聖杯を必要とするものだ。例えば、アーサー王伝説に登場する騎士道の物語を見ても、多くの場合、その愛はプラトニックなものである。騎士たちは誰かの王妃や貴族の妻に対してプラトニックな愛を抱くが、実際の肉体的な関係は伴わない。
「マグダラとヨハネのミステリー」の著者は、イエスがエジプトで修行をしていたと誤解し、その際に異教を持ち込んだと考えている。その結果、イエスの教えが異教的なものだと思い込んでしまった。また、マグダラのマリアがイエスの妻であり、彼らが性交渉をしていたと誤解している。しかし、これは大きな誤解であり、事実とは異なるということだ。
イエスの「荒野の誘惑」とは何だったのか(マグダラのマリア)
キリストによる罪の贖い
秘儀伝授者マリア
「人類の罪を贖ったキリスト」とエッセネ派の関係
聖書の物語において、異教の儀式を性交渉なしで採用し、新しい儀式体系を作り上げていると先ほど述べた。しかし、その背景にはエッセネ派の儀式が非常に濃く反映されている。
キリスト教はキリストを贖い主、すなわち罪を贖う者、救世主として位置づけている。これは、ユダヤ教や異教の王としてのキリスト観とは異なるものだ。王としての「油注がれた者」ではなく、罪の贖い主、救世主としてのキリストという概念がキリスト教の中核を成している。
この点が、他の宗教との決定的な違いとなっている。では、贖い主としてのキリストという概念はどこから来るのか。それは実はエッセネ派から由来しているのだ。
クリストス (Christos)
エッセネ派における「キリストへの呪い」
エッセネ派において、特定の儀式が行われていたが、これはパレスチナのエッセネ派ではなく、アレクサンドリアの本部でのみ行われていたものと考えられる。この儀式について、預言者マグダラのマリアや洗礼者ヨハネ、イエスは知らなかった可能性が高い。これを知っていたのは、アリマタヤのヨセフだけであった。彼がアレクサンドリアの本部の大祭司だったためである。
この儀式はたとえば「流し雛」に似た概念であり、シュメールやバビロニアでも類似の儀式が存在していた。シュメール・バビロニアの儀式では、新年に過去の罪を払うために2体の人形が作られ、それを斬首し火で燃やすという手順が取られていた。
エッセネ派では、キリストとなる者が自ら志願し、人々の罪を贖うという役割を果たしていた。この者に対して呪いがかけられ、罪が転嫁されていく。彼は英雄として、他者の罪を引き受けるという役割を果たし、その前日に埋葬の儀式が行われる。彼にとっての「イシス」とされる女性(マグダラのマリアに相当する存在)が埋葬の儀式を施し、その後性交渉が行われた。この性交渉が、儀式における最後の祝福として機能していたとされる。その後、彼は生贄として殺され、3日後に霊的に復活し、天国に昇るとされていた。
イエスが罵倒され、贖い主とされた理由
イエスが捕らえられ、罵られ、拷問を受け、十字架で死んでいった理由は、エッセネ派の儀式によるものだ。この儀式が理解できれば、その意味がはっきりする。エッセネ派の儀式とは、内部で行われていたものが次第に公の場に広がり、それが聖書に書かれている「磔⇒復活」という福音書の内容に繋がるということだ。イエスは罵られる必要があり、贖い主としての役割を担ったのだ。
重要なのは、キリスト教が異教の宗教観と決定的に異なる点である。キリスト教においてイエスは「贖い主」であり、罪を贖う者だとされている。しかし、この罪とは、キリスト教の教義における「原罪」ではない。エッセネ派の「罪の贖い」は、日本の「流し雛」のような概念に近い。子どもの無病息災を願い、厄を雛人形に移して川や海に流すように、エッセネ派の人々は自らの罪を英雄であるイエスに移し、彼がその罪を背負って死ぬという儀式だった。したがって、イエスが原罪を背負って死んだわけではない。
エッセネ派の儀式とキリスト教の間には、基本的な概念の違いが存在する。イエスが贖い主として罪を担うという考え方は、このエッセネ派の儀式から来ている。このように理解すれば、イエスがエッセネ派に属していたこと、また彼がエジプトで修行を積んできたことが明らかになる。そして、聖書の物語が単なるお話ではなく、古代の異教の宗派の儀式を別の形で再現したものだということがよくわかるだろう。
イニシエーションとしての磔刑と復活
イエスはあくまでも、ユダヤの王になると信じていたのであって、イエスはこんな復活劇をやって3日後に復活して蘇って霊的に蘇る……などということを全く考えていなかった。これを考えていたのはマイトレーヤ(メルキゼデク)である。
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