【人・人霊・半神・神霊・神】聖書・キリスト教の研究-08/#142
旧約聖書の世界には、創世記の冒頭でアダムとイブが登場するが、彼らの系図が示すのは単なる人類の起源だけではない。旧約に描かれた家系や血統は、善と悪、光と闇、神の選びと人間の堕落といったテーマを裏に秘めている。ここで「闇の系列」というものを探ると、それは単純に悪行や不義のラインにとどまらず、旧約世界と関連する神話体系からも見えてくる深淵の象徴だ。
アダムとイブの長男カインが、弟アベルを殺すことで「闇の系列」が始まるともいえる。カインは兄弟殺しという呪われた存在となり、その系譜はやがて「ネフィリム」や「巨人族」といった地上に闇をもたらす者たちと繋がる。ここには、人類の堕落や神の怒りといった象徴があるが、これは単に人間の欲望や堕落の物語ではなく、もっと広義な闇の力が背後に存在する暗示だ。
この「ブラック・ロッジ」の概念を旧約や古代メソポタミアの神話と結びつけると、興味深い対応が浮かび上がる。例えば、カインの子孫たちが進んでいく道は、しばしば古代神話の悪神や混沌の力と共鳴している。メソポタミア神話に登場するエンリルやエンキの神々の系譜では、天地創造の物語と共に、神々の間での対立や権力闘争が展開される。神々同士の争いが、しばしば人間界に投影され、善と悪、混沌と秩序の力が入り乱れる。
特に、バビロニアの神話における「ティアマト」という混沌の女神の存在は、闇の系列を象徴するキャラクターといえる。ティアマトは、天地創造の後に新しい秩序に反旗を翻す存在として描かれ、彼女の敗北によって秩序が成立する。これは、カインの堕落やネフィリムの台頭が最終的に神の裁きによって処理されるという旧約の物語とパラレルな関係を示している。
カインの系列が堕落していく過程で、やがてソドムやゴモラといった象徴的な「闇の都市」が現れ、これらもまた神の怒りによって滅ぼされる。このようにして、闇の勢力は常に神の秩序と対立しながらも、何世代にもわたって続いているのだ。
こうして旧約聖書の世界とメソポタミアの神話を照らし合わせると、ブラック・ロッジ的な「闇の世代交代」が見えてくる。闇は神々や人間の力を奪いながらも、その度に新しい世代に形を変えて引き継がれていく。そして、この闇の力は現代にまでその影響を及ぼしている。人類の歴史や伝承には、常に光と闇の闘争が繰り返され、その中で新たな世代がそれぞれの運命を背負っていくという構図が浮かび上がる。
言い換えれば、ブラック・ロッジとは単に「悪の勢力」ではなく、歴史や神話の中で、力と秩序の交代や変遷の中で現れる不可避の闇の側面を象徴する場所なのだ。カインから続く血統や、メソポタミアの神々の系譜は、この闇と光のバランスを象徴する壮大な物語の一部だと言える。
「人:神」の区別~身体構成元素の違い
私たちは、人間を通常のレベルで「人」として認識している。一方で、神という概念も存在する。しかし、正確な日本語の意味においては、これをさらに細かく分ける必要がある。
まず、「人」よりも一段階上の存在として「人霊」というものがある。これは単に「霊」とも呼ばれ、悪霊も含まれる。例えば、マイトレイヤーやシュメールの神々、バビロニアの神々、ハイアラーキーの多くがこの「人霊」に該当する。
次に、「人霊」ではなく「神霊」という存在がある。このレベルに属するのが、例えば本物のエジプトの神々や、サナト・クマーラ、さらにミカエルやガブリエルといった四大天使たちである。これらは「神霊」に分類され、インドの神々、例えばパールヴァティーなどもここに含まれる。
ミカエルやガブリエルは天使として知られているが、実際には彼らも「神霊」であり、サナト・クマーラがそのトップに立っているだけで序列や位階は異なるが、同じ「神霊」のグループに属している。
私たちは、この「神霊」部分を通常「神々」と呼んでいるが、実際にはその上にさらに「神」が存在する。この「神」は、日本の神々や中国の神々が該当する。日本では多くの神々が祀られているが、これらはすべて異なる存在である。その違いは何かというと、彼らの体を構成している元素が異なる。
ネフィリム
それから、人と神霊の間にいる存在が「半神」と呼ばれるものだ。この半神は聖書では「ネフィリム」とも言われている。例えば、「ギルガメシュ叙事詩」にも登場する半神半人の存在。シュメールなどの古代伝承でも、彼らのような存在は「巨人」とも呼ばれている。半神や巨人という存在は実際にいた。
人は神の姿に似せて作られているというが、たしかに人間は神霊にも神にも非常によく似ている。しかし、日本や中国で祀られている神々は本物の神であるのに対し、ヨーロッパやキリスト教文化圏で崇拝されているものは神霊よりも下の存在で、本当の神ではない。シュメールの人々に至っては、単なる悪霊を神として祀っていたこともある。これらは半神ですらなく、単なる霊であり、しかもその中でも特に波動が悪い存在だ。
仏教的な用語で言うと、これらは「贍部洲」の下にある地獄界の住人にあたる。つまり、地獄界の住人であり、悪霊として分類されるべき存在。一方で、「ハイアラーキー」というのは「贍部洲」の上にある欲界に住む存在で、これもまた人霊だ。だから、ハイアラーキーは「天上界」と訳されているが、彼らは決して神ではないということを理解しないといけない。
ブラック・ロッジの政権交代の様子バビロニアの神々(悪霊)
BC5100年以降、ブラック・ロッジのNo.1とNo.2の世代交代については、古代メソポタミアの神話や歴史的な変化と照らし合わせて推測が可能だ。特に、メソポタミアでは時代ごとに神々の位階や影響力が変わっていく様子が神話に反映されている。
メソポタミアの神話における神々の変遷もまた、同様の権力交代が神話の中に見られる。例えば、最初に崇拝された神々はアヌンナキと呼ばれる高位の神々であり、これがシュメール時代の神話に反映されている。アヌンナキの中には、エンリルやエンキのような主要な神々が含まれていたが、時代が進むにつれて、これらの神々の役割や地位が変わっていく。
特に、BC3000年頃のアッカド帝国の興隆時に、メソポタミアの神話が大きく変化している。この時期に神話の中心がエンリルからマルドゥクへと移行していることは、ブラック・ロッジのNo.1、No.2の交代と関連付けることができる。マルドゥクは後にバビロニアの守護神となり、その力が拡大していくが、これもまた、神話の中で新たな権威が確立される過程を示していると考えられる。
このような神話の変化は、古代の人々が社会的、政治的な変動を神話に投影した結果とも言える。ブラック・ロッジのNo.1、No.2の交代が、こうした神話の変化に影響を与えたか、もしくは神話が交代を象徴しているかは定かではないが、両者の時期が一致していることは重要な示唆を含んでいる。
BC5100年:①トバル・カイン、②ヤバル
BC3100年:①ハム、②クシュ
BC2001年:①マルドゥク、②ナブ
BC539年:①ニヌルタ(サトゥルヌス)、②ニムロデ(バール)
AD107年:①デーヴァダッタ、②カナン
シュメールの洪水神話
マルドゥク、ナブの時代の神話の変化(BC2001年の政権交代)
BC2000年初頭のウル滅亡と、ハンムラビ王(バビロン第1王朝)によるバビロニア再統一
旧約聖書に登場する神は「サナト・クマーラ」。エノク(マイトレーヤ)がこの唯一神を持ち上げている。エノクは旧約の神の代理人として君臨した。エノクはユダヤ教においては「メタトロン」として知られ、イランでは「アフラ・マズダー」と呼ばれている。アフラ・マズダーは光の神であり、その対立者として闇の神「アーリマン」が存在する。この光と闇の戦いは、イランのゾロアスター教の中心的なテーマであり、ユダヤ教では「メタトロン」として表現されているエノクが、光側の存在として関わっている。
この光と闇の戦いは、エノク(メタトロン)とその部下たち、そして闇の勢力との間で展開される。こうした構造は、古代メソポタミアやバビロニアの時代における神話的な戦いとリンクしており、特にバビロニアの神マルドゥクとその息子ナブが、ある時期においてNo.1とNo.2の役割を担っていたことがわかる。
バビロニアを滅ぼそうとした勢力は、ハイアラーキーの側から見ると、光の側の勢力であり、その手段としてペルシャ(イラン)からゾロアスター教やミトラ教といった宗教を支援し、バビロニアを打倒しようとした。この計画が実行され、最終的にバビロニアは紀元前539年に滅亡した。
こうして、地上での戦争や対立の背後には、霊的な光と闇の戦いが存在するという視点が示されている。現実世界での戦争や破壊の背後には、必ずどちらかの勢力が霊的に介入している。
バビロニアの最高神ナブ
神々の黄昏(悪霊の黄昏)
アダムとイブの系図から見るブラック・ロッジの系列
聖書において、ノアの洪水ではノアの家族のみが助かり、それ以外の人々は滅ぼされたとされている。しかし、実際にはブラック・ロッジ(闇の勢力)は完全に滅びることなく、別の形で存続していく。その鍵を握るのがレメクの子ナアマであり、彼女がノアの息子ハムの妻となったことによって、ブラック・ロッジの影響はハムの血統に引き継がれた。
旧約聖書では、セムの子孫がイスラエル民族や他のアブラハムの子孫たちに繋がり、神の契約を守り続ける者として描かれているのに対し、ハムの子孫はしばしば反対勢力として登場する。特に、ハムの息子カナンの子孫が後にイスラエルと敵対するカナン人の祖となり、旧約において彼らとの戦いが繰り広げられていく。
この構図により、ノアの三人の息子の中でも、特にハムとセムの血統間の対立が、旧約の多くの戦争や争い、神の裁きの物語の根底にあるという解釈が示される。この対立は単なる人間同士の争いではなく、ブラック・ロッジとハイアラーキー、つまり闇の勢力と光の勢力との霊的な戦いとして描かれている。このように、ノアの洪水後に残った二つの系列、ハムの系列とセムの系列の戦いが、旧約聖書全体を通して繰り返されるテーマである。
ナアマがハムの妻となり、彼女の囁きによってハムは自分の子供を生贄に捧げ、その肉を食べるようになる。彼は徐々に悪魔崇拝に染まっていく。そして、ハムの子供たちも次第に悪魔崇拝に染まり、彼らの子孫がシュメールの神々へと変わっていく。
一方、セムの子孫は救世主の系譜にあたる。ここからアブラハムが生まれ、さらにイエス・キリストへと繋がる。この構図により、セムの系統が「光の子孫」、ハムの系統が「闇の子孫」とされ、この二つの系譜が対立し続けるのが旧約聖書の世界であり、聖書全体のテーマでもある。つまり、これは非常に狭い世界の話であり、地理的にはイスラエル周辺で起きた出来事に過ぎない。
アジアや日本、インドといった地域はこの対立にはまったく関与していない。ノアの息子である兄弟たちが洪水後に生き残り、その子孫が光と闇に分かれて争っているわけだが、インドや日本の神々はこの争いに関知していない。結局のところ、向こうの世界で何やら大きな陰謀が起こっているといった感じだ。
その後、2000年を経て現在に至ると、キリスト教とイスラム教が世界の大部分を覆い尽くす状況にまで発展した。もはや、キリスト教を知らなければ世界を理解することが難しい時代になってしまった。
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